安上がりな防衛戦略


 常在菌との共生が人間にとって栄養の面で必要不可欠であることは説明したが、「宿主の感染対策」という面でも常在菌込みの防衛システムの方が宿主に有利に働くのだ。ここで、腸管に常在菌が一切いない場合にどうなるか、思考実験してみよう。


 まず、地球のあらゆる環境に細菌が生息していることを考えると、食物を食べるたびに口から病原性を持つ細菌が入り込む危険性は常にある。そういう細菌に対し、人間の自前の免疫システムのみで対処するとしたらどうなるか。人間の腸管粘膜のあらゆる部分で細菌の侵入を防がなければいけないことになる。つまり、免疫細胞は常に腸管に張り付いていなければいけなくなるし、しかもそれらは常にスクランブル体制を強いられ、外来菌と免疫細胞との戦闘は至る所で起こるはずだ。

 つまりこの「常在菌なしの細菌感染防御」をしようとしたら、侵入細菌監視システムの維持に常にエネルギーが必要だし、細菌との戦闘にもエネルギーを消費するし、死んだ細胞の処理や修復も必要になる。要するにこれは、周辺の国をすべて敵として対応する軍事国家が、あらゆる国境線に兵士を配置して即時戦闘態勢をとっているいるようなものだ。そういう国家では、国家予算の大半を軍事につぎ込むことになり、産業、農業、教育などは二の次にならざるを得なくなるが、それと同様、「すべての侵入細菌を自前で防衛」というシステムを採用すると、体の成長も子孫を作ることもままならなくなるはずだ。


 一方、腸管常在菌に守ってもらうシステムの場合、人間が消費するエネルギーは最小限ですむ。腸管に住み着いた常在菌たちが勝手に外来菌を排除してくれるからだ。その監視システムをかいくぐって身体に進入する細菌がいたら、その時だけ人間側が免疫システムを発動させればいい。つまりこちらは、きわめて安上がりの防衛システムとなる。

 要するに前者と後者では、外来菌の侵入に対処するための消費エネルギーがまるっきり違うのだ。これが「共生常在菌による感染防衛システム」をすべての哺乳類が採用した理由だろう。このシステムを採用しなかった哺乳類と採用した哺乳類では、前者に強い淘汰圧が加わって生存に不利になり、生き延びられなかったのだ。


 地球は細菌の王国であり、人間が住めない環境でも易々と生きていられる。そういう環境で細菌以外の生物が生きていこうとすれば、細菌を敵とするのでなく、細菌をうまく利用する方が現実的だ。要するに、「毒をもって毒を制する」戦略である。そして、こういう考えが的外れでないことは、人体の外界と接する部分(皮膚、腸管、生殖器、口腔など)には必ず常在菌が定着していることが証明している。

(2008/12/12)