《エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜》 (2007年,フランス)


 恐らく日本人の半分はシャンソンを聴いたことがないんじゃないだろうか・・・なんて言っている私も,実はほとんど聴いたことがない。何となく,アメリカ人にとってのゴスペルやカントリーソング,日本人にとっての演歌,そしてフランス人にとってのシャンソン・・・ってな感じかなと思っている。

 そのシャンソン界に女王として君臨していたのがエディット・ピアフだ。身長142センチと小学生並みの体なのに,信じられないほどの声量と伸びやかな声の持ち主で,まさに天賦の才能を欲しいがままにした歌姫だった。その彼女の47年という短くも波乱万丈の人生を描いたのがこの映画だ。ちなみに,ピアフを演じたマリオン・コティヤールはその圧倒的な演技力により2008年のアカデミー主演女優賞を受賞したと記憶している。


 ピアフは1915年にパリで生まれた。父親はアクロバットの大道芸人,母親は場末のバーの歌手だったらしい。その後母親は失踪し,父親の軍隊入隊の際,父方の祖母が経営する売春宿に預けられ,そこで9歳くらいまでを過ごすが娼婦たちに可愛がられた様子が映画でも描かれている。やがて兵役から戻ってきた父親が彼女を引き取り,サーカス一座で暮らすようになるが,父親は興行元とトラブルを起こして解雇される。そこでピン芸人として食っていこうとするが,さすがにそれは難しい。彼の芸に飽きて帰ろうとする客を前に,父親はエディットに「お前も何かやれ」と命令する。そこで彼女はフランス国歌「ラ・マルセエーズ」を歌う。
 その小柄な幼い少女は,パリの喧騒を圧するほどの伸びやかな声量で朗々と歌う。雑踏は彼女の歌に沈黙し,そして喝采する。不世出の歌手,ピアフの誕生の瞬間だった。
 やがて彼女は父親と別れ,路上で歌って金を得るようになるが,生活は苦しく物乞い同然の生活であり,体を売る生活に落ち込む寸前だった。

 そんな20歳の彼女に転機が訪れる。音楽キャバレーの支配人,ルイ・ルプレが道端で歌うエディットの歌声が原石のダイアモンドであることを見出し,彼女を「ラ・モーム・ピアフ(小さなスズメの意味)」の芸名で売り出したのだ。そこでさまざまな作曲家とも知り合い,なんとかレコード・デビューも果たし,人生がようやく上向きになる。
 だが,神はそのわずかな成功も許さなかった。彼女は大事件に巻き込まれるのだ。

 彼女が父と慕うルイが何者かに殺害されたのだ。裏社会の男たちと無関係ではないピアフには殺人幇助の疑いがかけられ,彼女はマスコミの好奇の目に晒され,スキャンダル歌手のレッテルを貼られる。そして彼女は再度,どん底生活に逆戻りする。

 そこで彼女を救ったのがアッソという人物で,歌手として彼女がもっと大きな存在になる可能性を持っていることを感じた彼は,発声や歌唱法の基礎を徹底的に鍛え直す。そしてこれによりピアフは,キャバレーの歌い手から劇場の歌い手へと変貌し,大歌手・国民歌手への道をひた走る。そして詩人のジャン・コクトー,俳優のチャップリンなどとも知遇を得るようになり,コクトーは彼女のために舞台台本を書く。また,イブ・モンタン,シャルル・アズナブールといった若い才能を発掘し,世に紹介したのも彼女だった。

 1946年,初めてのアメリカ公演の際に,生涯の恋人にしてボクシング・チャンピオンだったマルセル・セルダンと出会う。彼女は電撃的な恋に落ちるが,1947年,マルセルが飛行機事故で急逝するという悲劇が襲う。しばらく彼女は立ち直れなかったが,1949年,生死を越えた永遠の愛を高らかに歌い上げる歌詞を書き上げ,それにメロディーをつけ,舞台で絶唱する。それがあの名曲,《愛の賛歌》だった。

 しかし,その前から彼女の体はボロボロだった。10代から酒浸りで,舞台に上がる前には極度の緊張から酒を飲まずには歌えなかった。そしてマルセルの死後,モルヒネ中毒になっていた。40代の若さなのに,彼女の小柄な体はいっそう小さくなり,首から背中にかけては老婆のように曲がり,手も震えていた。舞台で歌っている最中に倒れることもあり,そのまま入院になったこともあった。
 それでも彼女は歌い続けた。生きることは歌うことだったから・・・。そして彼女の全速力の人生は突然幕を閉じる。享年47。


 この映画は伝記映画としては少々複雑な構成をとっている。通常の伝記映画なら出生から死までの出来事を時系列に並べるのが普通だが,この映画では幼い頃の彼女の様子と晩年(といってもまだ40代だが)の様子を交互に配置している。だから,ピアフのことを全く知らない人がいきなりこの映画を見ると,幼女から少女期のピアフの次に登場する背中の曲がった老婆が同一人物だとは気がつかないのではないかもしれない。
 フランスでは今でもピアフは絶大な人気があり敬愛されていて,この映画はフランス人の10人の1人が鑑賞したといわれているが,ピアフの生涯のことを全く知らない観客にはちょっとわかりにくいかもしれない。


 まず,ピアフを全力で演じ切ったマリオン・コティヤールに拍手を贈ろう。こんな迫真の演技は滅多に見られるものではない。ピアフのすごい部分だけでなく,嫌な部分まで見事に演じている。
 多分,こんな人間が周りにいたらすごく嫌だろうと思う。何しろ,我儘で自分勝手で衝動的で常識がない小娘が女王様のように傲慢に振舞うのである。見ていて嫌になるほどの傲慢ぶりだ。こんな女の身の回りの世話をした人たちの苦労はいかばかりだったろうか。
 ところがそんな嫌な女が舞台に立つと,聴くものを心を打ち,感涙を絞り,聴くものを幸せな気分にするのだ。そんなムチャクチャな性格と神の歌声を持つピアフをここまで演じるのはすごいことだと思う。特に,晩年の老婆のような姿まで完璧に再現している女優魂には脱帽するしかない。

 だからこそ,死の3年前のオリンピア劇場での彼女のステージは感動的だ。よぼよぼとしたおぼつかない足取りでステージに上がるが,歌い始めると姿は一変する。劇場を揺るがさんばかりの声量で「私は何も後悔していない」と歌うのだ。この瞬間,ピアフが降臨しコティヤールに憑依する。そうでなければ,こんなシーンは撮影できるはずがない。


 それと,短いシーンながらも大歌手マレーネ・ディートリッヒとの出会いも感動的だった。「あなたの歌にはパリの空と空気がある。もう長いことパリにいっていないけれど,あなたの歌を聞いてパリにいる気分になれた。ありがとう」というディートリッヒの言葉は,真のシャンソン歌手とはどんな存在だったのかを教えてくれる。

 そのほかにも,美しくも凄絶で悲痛極まりない「愛の賛歌」をはじめ,「水に流して」,映画タイトルにもなっている「ばら色の人生」など,命を削るように歌うピアフの絶唱,そしてそれを迫真の演技で熱演するコティヤールには圧倒されるばかりだ。


 ピアフが歌唱法を基本からやり直すシーンは音楽的に興味深かった。既に歌手として有名だった彼女を「君は歌の基礎もできていない。ただ歌っているだけだ」とこき下ろし,発声の基礎から鍛え直すのだが,それは,単に歌が上手いだけの存在から,歌で何かを表現する芸術家に変身するために必要な過程であり,修練だったのだと私は捉えた。

 どんな芸術も最初は真似,模倣からはじまる。耳で覚えた歌を真似して歌い,歌い回しを真似して歌う。だがそれだけではカラオケ名人と同じ。結局,それまでのピアフは上手いといってもカラオケ名人に過ぎないのだ。ただ,天賦の歌声がそれを覆い隠していただけだった。しかし,真似事は所詮真似事に過ぎないし,コピーに過ぎない。コピーはオリジナルを越えることはない。

 アッソは彼女に「正確に発音しろ,歌詞の意味を考えろ,歌詞に登場する女になりきって歌え,全身で演技しろ」と教える。それまでのピアフは,舞台で突っ立って歌うだけだけのスタイルだったが,このレッスンにより両手を大きく使い,指先の表情にまで気を使うスタイルに変貌する。そして彼女の歌は劇性を帯び,迫真的なものになった。誰にでも歌える歌から,彼女にしか歌えない歌,彼女にしか演じられない歌になった。

 このレッスンがなければ,彼女は単に「声がいいだけの歌手」どまりの存在だったと思う。恐らくそれまでのピアフは誰かが歌うのを聞き覚え,それをなぞって歌っていただけのはずだ。だから,発音の癖もその歌い手の癖をそのままなぞっていたはずだ。彼女が映画の中で「発音が駄目だ」と何度も注意されるのはそのためだろう。

私はシャンソン歌手としてのピアフがなぜ偉大と評価されるのかを知らずにこの映画を見たが,このレッスンシーンですべてがわかった気になった。彼女は歌が上手いだけの「小さなスズメ」から,表現者としての「ピアフ」に努力で進化したのだ。


 この映画は決して気軽に見られる類のものではない。マリオンのあまりに迫真的な演技(特に晩年の演技!)は,稀なる歌声のみを神から与えられてしまった者の業を感じさせ,息苦しささえ覚える。だからこの映画は決して娯楽映画ではないし,見るものにある種の覚悟を要求する映画だと思う。

 だが,この映画でなければ経験できないであろう大きな感動があなたを待っていることは,保証しよう。そして,この作品が十年に一つの傑作であると断言しよう。

(2008/04/02)

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