《ジャック・サマースビー》 (1993年,アメリカ)


 リチャード・ギア,ジョディ・フォスターという豪華2枚看板の競演が楽しめるちょっといい感動系映画・・・なんだけど,よく考えると「そんなのありえないよね」系のお話なんで,プチ秀作どまりかな? ちなみにもともとは,実話を基にしたフランス映画 "Le retour de Martin Guerre" で,これはそのリメイク版らしい。


 ストーリーは割りに簡単。舞台は南北戦争終了直後のアメリカ。戦争に借り出されて行方不明になっていた地主のジャック・サマースビー(リチャード・ギア)がひょっこり帰ってきたところから話は始まる。小作たちと彼の妻(ジョディ・フォスター)は帰還を喜び,久しぶりの生活が再会するが,何かが変だった。かつてのジャックは金持ちだったが粗暴で粗野で,妻に暴力を振るうような男だったのに,帰ってきたジャックは心優しい男に変身していたからだ。そんな変化に戸惑いながらも妻は彼を受け入れ,結婚以来,初めての平穏な日々が続いていた。

 ジャックは小作たち,村人達に新作物のタバコの栽培をやろう,そして儲けた金で小作や奴隷達に土地を与えるつもりだ,ともちかける。以前の彼では考えられない申し出だった。そして各々の家に秘匿していた宝石などを集めて売り払い,高価なタバコの種を買い求めて,畑を耕してタバコの種を植える。痩せた土地でうまく育たなかったり害虫が沸いたりしたが,何とかそれを乗り越え,タバコは見事な葉をつけた。そんなときに保安官がやって来てジャックを逮捕する。容疑は殺人だった。

 果たしてジャックは本人なのか,誰かがなりすましているのか,殺人罪で絞首刑の処せられるのか,小作たちの生活はどうなるのか・・・という内容だ。

 ちなみに映画の前半分は,帰ってきたジャックへの違和感を感じつつも優しい男に変身した夫を愛していく妻の心の揺れ動きが描かれ,後半は一転して緊迫した裁判のシーンとなっている。


 まず,ハリウッド一のナルシスト男優とも称されるリチャード・ギアだが,ここでも思い入れたっぷりにいい男を演じている。普通なら臭い演技が目に付くところだが,何しろ相手が演技力抜群のジョディ・フォスターだ。ここでも彼女はギアの演技を大きく包み込み,他の男に求婚されていながら変貌したジャックを不安を抱きながらも愛していく,という役を見事に演じている。何より,最後の裁判のシーンが素晴らしかった。
 まともに考えれば,「数年ぶりとはいえ,旦那が本人か別人かは奥さんならわかるだろう」というツッコミが入る設定の映画なのだが,有無を言わさぬジョディ・フォスターの演技が,そういうツッコミを忘れさせてしまうのだ。「別人だとわかっていたが,あなたの優しさに初めて愛を感じた」という裁判中のセリフの説得力は,恐らく彼女が演じなかったら半減していたのではないだろうか。

 とは言うものの,上述のように,この映画の設定は本来「ありえねぇ!」ものだ。あれほど多くの村人や小作人たちが誰一人として見破れないというのはどう考えても変。元々のフランス映画は実話を元にしていたというが,実話を映画化し,それをハリウッドがリメイクした経過で話自体が変化しておかしな話になったとしか思えないのだ。いくら偽ジャックが「本物ジャックと2年間生活をともにし,お互いのことをよく話していた」といっても,それで知人すべての事を知ることは不可能だろうし,言い忘れていることもあるからだ。

 実際,ジャックが靴屋に行くシーンで,昔取った足型より2サイズも足が小さくなっていることが明らかにされた時点で,こいつが別人であることは見ている方にもわかっている。顔も同じで体系も同じで背格好も同じで,足のサイズだけが違うなんてかなり異常な状況だ。本物ジャックは足だけでかかったのだろうか?


 多分ここには,南軍支持のジャック(当然,奴隷制支持だったはず)に北軍兵士だった偽者ジャック(明らかに奴隷制廃止支持者)がなりすまし,まだ奴隷制度と黒人差別が色濃く残っている南部で「黒人にも土地を与えよう」と宣言した,という感動的な話も絡ませたかったのだろうと思う。だから,ジャックが土地を与えようとした黒人がリンチにあったり,裁判長が黒人で彼に暴言を吐く証人のシーンが生きているのだが,そのために逆に,ジャックは殺人犯として裁かれるべきなのか,ジャックは誰なのか,本人だという証明はどうなされるべきなのか,という本来のテーマが薄れてしまったように思う。

 それと,最後の結末がこれしかなかったかもしれないが,ちょっと悲しすぎて救いがない。ジャックがジャック本人でなければ殺人罪は無罪,ジャックが本人なら死刑,ジャックが偽者なら小作人達に土地を売るという証書のサインは偽物になり彼らは土地を買えなくなる,という状況に追い込まれ,ジャックは自分は本物だと言い張り,彼を助けたい妻は偽者だと証言するわけだ。そこでジャックはあの決断するのだが,他の解決法はなかったのだろうかと思ってしまう。

 また,サスペンス映画としては,冒頭の死体を埋めるシーンがあるが,もちろん,偽ジャックが本物ジャックの死体を埋めていたのだろうと思われるが,それが最後まで明かされないし,偽者が本物を殺してなりすましたのか,不慮の事故で本物が死んでしまったのかも不明。このあたりはジャックという人間を描く上で最も重要な点だと思うし,サスペンス映画である以上,きちんと説明すべきだったのではないかと思う。


 今から15年位前の映画だが,このあたりをきちんと踏まえて余分な部分をそぎ落としたリメイク版をもう一度作って欲しい気がする。そうすれば本物の傑作になるかも。

(2008/03/0)

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