《マイ・ルーム Marvin's Room》 (1996年,アメリカ)


 10年ちょっと昔の映画だが,メリル・ストリープとダイアン・キートンという大女優の素晴らしい演技,そしてまだ10代だったディカプリオの初々しさが楽しめる佳作映画。しっとりした味わいと余韻が心に残るが,90分と短めの中に,姉妹の確執,ドメスティック・バイオレンス,親子の対立と和解,難病,高齢者問題と内容を詰め込みすぎた感じで,説明不足の部分があり,いまいち印象が薄いのが残念。もうちょっと内容というか焦点を絞り,余分な部分をそぎ落とすか,同じ内容で120分映画にするか,どちらかにすべきだったように思う。それと,ベテラン大女優の饗宴という豪華さの割には内容がちょっと地味で,その点でも損をしている映画だ。

 ちなみに,もともとは舞台用のシナリオとして書かれた物を映画に転用したらしく,そのためか,全体的に動きが少なく,登場人物同士の会話が多いが,これも「ちょっと地味」という印象の原因だろう。


 主人公はリー(メリル・ストリープ)とベッシー(ダイアン・キートン)という姉妹。二人は全く正反対の性格で,20年間,互いに連絡を取り合うこともなく音信普通だった。リーは故郷から飛び出し,その後もいろいろあったらしく,現在は二人の息子,ハンク(ディカプリオ)とチャーリーと暮らしていた。彼女は美容師の資格を得ようと必死だが,ハンクはことあるごとに母と対立し,ハンクは母親が写っている写真を燃やそうとして自宅まで家事にしてしまい,そのため,施設に入れられている。

 一方,姉のベッシーは実家に残り,数年前に寝たきりになった父親と,テレビドラマにしか興味のない老いた叔母の世話をしている。そんな彼女は体調不良を感じ,主治医(ロバート・デ・ニーロ)の診察を受け,骨髄性白血病の診断を受けて治療を受け,骨髄移植をするしか生きられないことがわかる。つまり,型の合う近親者からの骨髄の提供が必要だ。

 そして,20年ぶりにリーのもとにベッシーから電話がかかり,外出許可をもらったハンクとチャーリーを伴って,リーは実家に戻る。しかし,他人のために自分の人生を犠牲にするなんてまっぴらだと考えるリーと,父親と叔母に献身的に尽くすベッシーでは全く考えが相容れないし,20年の歳月が作り出した溝はなかなか埋まらない。そして,幼い頃からリーに「人間は利害関係だけで動く」と教えられてきたハンクもまた,骨髄提供に適しているかどうかの検査を受けることすら拒否する。

 だが,姉が抗癌剤治療のために髪の毛が抜けてカツラをかぶっていることを知ったリーは,美容師の腕を生かしてその野暮ったいカツラを素敵な髪型にしてあげると提案するが実際,髪の毛の抜けた姉の頭を見てしまいショックを受ける。しかしその頃から二人の心は少しずつ通じあうようになり,同時に,ハンクもベッシーと触れ合うことで次第に打ち解けてくる。

 全てがうまくいくかに見えた頃,病院から骨髄移植の検査の結果が知らされ・・・,という映画だ。


 上述のカツラのシーンで,リーが泣きながら美しいショートヘアに仕上げる部分はちょっと感動的。そして翌朝,そのカツラをかぶったベッシーがみんなの前に登場するシーンは,その髪型が本当に似合っていてチャーミング。見ている方まで楽しくなってきた。

 それ以外だと,一番最後の,寝たきりの父親に付き添っているベッシーが鏡に日の光を反射させて父に見せるシーンも美しい黄昏を思わせる素敵なシーンだった。


 はっきり言ってリーのような母親は嫌だなと思う。こんなに利己的で自己中心的な母親に育てられたら,ハンクでなくたって自宅に火をつけたくなるんじゃないだろうか。特に,ベッシーの自宅に到着してリビングでくつろぎ,ベッシーが出したポテトチップをハンクが摘もうとしたときの母親リーの叱責はちょっとひどい。許可を得ずに手を出すのはいけない,というのは百歩譲っていいとしても,ハンクが「(そんなに言われたら)もう食べたくない」と言っているのに,リーが「人が出したものを食べないのは失礼」とか叱るんだけど,このシーンは見ていて本当に不愉快だった。

 さらにいうと,意味不明のシーンが結構あった。例えば,ベッシーの主治医のオフィスの受付は主治医の実の兄だが,ちょっとオツムが弱いというか,ちょっとねじが緩んでいるというか,そんな感じなんだけど,わざわざそういう設定にする意味がわからない。最初に登場する受付の女性が辞表を出して辞めたために兄が登場したらしいんだけど,何もこんなに面倒にする必要はなかったと思う。

 ベッシーの家から夜遅く,こっそりとハンクが抜け出すシーンも唐突だし,その後につながっていない。あの意味ありげなメモ書きもそれっきりである。
 また,ハンクには「父親は優しかった」という記憶しかないが,リーによると全く逆であって,ハンクはドメスティック・バイオレンスの被害者ということになっている。「ハンクは当時4歳だったからよく覚えていない」とリーは説明するが,どうなんだろうか。リーかハンクのどちらかが嘘を言っているとしか思われないのだが,そのあたりも全く解決されないままに終わってしまう。


 最大の問題点は,この美しいシーンが,問題の解決に全くつながっていない点にある。ベッシーの命はどうなるのか,そのあと,残された父と叔母はどうなるのか,リーはどう行動するのか,ハンクの放火の罪はどうなるのか・・・など,映画を見終わった後,考えれば考えるほど気分が重くなってくる。

 また,この映画で一番気になったのは,ベッシーはどのようにして生活を維持しているのか,という疑問だ。ベッシーは結婚したことはなく,寝たきりの父と足腰が弱っている叔母の二人の面倒を見ているのだから,仕事をしている暇はないだろう。となると,あの大きな屋敷を維持し,3人分の生活を維持する資金は父と叔母の年金くらいしか思いつかないが,それって可能なんだろうか。
 同じ問題は,ベッシーが先に死んで父と叔母が残され,リーが実家に戻ってきても解決されないはず。美容師の仕事をしながらこの二人の介護をするのは実際上不可能だろう。

 要するにこれは,近い将来の日本で問題になる「少数の働き手で多数の高齢者の面倒を見る」という構造そのものだ。ベッシーは「これは自分から望んだものであり,自分は幸せだった」と言っているし,実際,彼女の表情は幸せそうだが,すべての人がこう考えるようになったら,社会は崩壊するのも事実だろう。働き手が介護ばかりしていては産業は崩壊し,社会が成立しなくなるからだ。この映画のエンディングは美しいが,それがどこか空しいのは,こういう問題を避けて通っているからではないかと思う。誠実に作られた真摯な作品だが,美しいおとぎ話以上のものではないような気がする。

 「愛されるのでなく,自分が愛する人がいることが人生で一番大事」というのが最後の結論なのだろうと思うが,この映画に登場する人間のさまざまなトラブルや悩みを,この一言だけで済ませるのはさすがに強引だと思う。


 そういえば,リーは映画の中でタバコを吸いまくっているし,ハンクもタバコをよく吸っていて,現代の目からするとかなり違和感を感じる。リーはチェーン・スモーカーのように休みなくタバコを吸い続けるが,10年ちょっと前のタバコをめぐる状況ってこんな感じだったっけ?

(2008/03/0)

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