《エンド・オブ・デイズ》 (1999年,アメリカ)


 1億5000万ドルという巨額をかけて作られた超豪華絢爛なクズ映画。主演はわれらがアーノルド・シュワルツェネッガーだ・・・が,物語の基本部分が滅茶苦茶だし,説明不足の部分と意味がない部分だらけなもんで,途中で何度も睡魔に襲われました。間違いなく不眠症の治療に使えますね,この映画は。


 ストーリーはこんな感じだ。

 1999年12月,民間の警備会社で働くジェリコ(シュワルツェネッガー)はウォール街の金融マンの警備の仕事を請け負っていた。しかし,わずかな隙をつかれてビルの屋上から狙撃されてしまう。何とか金融マンの安全を確保し,ヘリに乗って屋上に向かい犯人を追跡する。何とか追い詰めたが,その犯人は「千年の時代は終わりに近づいている」という謎の言葉を発する。そして,病院に収容された犯人の身元が判明するが,なんと,バチカンの修道士,トマス・アキナスであり,彼は事前に自分の舌を切り落としていた。

 それを遡ること20年前の1979年,アキナスは古い預言書の言い伝えにある前兆現象に気付いた。それは,千年紀「ミレニアム」の最後の日,つまり12月31日に悪魔が復活して世界を支配するのに必要な一人の女の子が生まれたことを示すものだった。どうやら,復活した悪魔は20歳になったその女性とセックスすることで世界が滅びるらしい。それ以来,バチカンは必死になってその女児を探し回っていて,その一人がアキナスだったのだ。

 ジェリコと相棒のシカゴはアキナスが暮らしていたアパートをつきとめて中に入り,そこで若い女性が写っている一枚の写真を発見する。そしてこの狙撃事件について彼女が何か知っているかもしれないと考える。

 一方,その写真に写っていたのはクリスティン・ヨークで,幼い時に両親に先立たれ,裕福な叔母(?)に育てられていたが,彼女はある男にレイプされるという悪夢に苦しんでいた。なんとこの男は,狙撃された金融マンと同じ顔をしている。

 一方,1999年12月29日(だったかな?),ニューヨークで起こったガス爆発事故とともに悪魔が復活し,先ほどの金融マンに憑依する。悪魔が世界を滅ぼして支配するためには,クリスティンを見つけて,もっとも穢れた時間である「1999年12月31日の23:00から24:00の間」にエッチしなければいけない。クリスティンを拉致しようとする悪魔とその崇拝者,彼女を見つけて12月31日の夜までに殺し世界を破滅から救おうと考えるバチカンの刺客の両方から狙われるクリスティン,そして彼女を助けようとするジェリコの戦いが始まる・・・ってなお話だ。


 というように要約されるのだが,これだけ読んでも訳がわからないと思う。文章にしてみるとわかるが,前後関係の脈絡がなさ過ぎるのだ。おまけに宗教色が非常に強いのだが,それも「信仰を捨ててはいけない,人間の最後のよりどころは信仰なのだ」というような説教臭さが強すぎて,閉口してしまう。

 どこをとっても褒めるところなく,ツッコミどころ満載の楽しい映画だが,順不同でツッコミを入れる。


 まず,1999年って千年紀(ミレニアム)の最後の年,というのはインチキだろう。だって,西暦は紀元1年に始まったのだから最初の千年紀のお終いは西暦1000年,そして次のミレニアムは1001年に始まって2000年までのはずだ。つまり,1999年はミレニアムの最後の年じゃないぞ。どうも神も悪魔もバチカンも悪魔崇拝者たちも算数が苦手らしい。

 途中で,「黙示録の666という獣の数字があるが夢の中では数字が逆さまになることが多い。だから,本当は666ではなく999なのである。しかも999は1999年を示しているから,1999年に悪魔が復活するのだ」と説明があるが,訳がわかんねえよ。何で逆さまに読むの? 何で999年でなくて1999年なの? っていうより,この預言が正しかったら999年に悪魔が復活しているはずじゃん。1999年の1はどこからもってきたんだよ? これだから,宗教クソ映画って好きになれないんだよね。

 アキナスが預言書にある予兆を読み取るのはいいとして,何でニューヨーク? 悪魔が復活するのはいいとしても,なぜニューヨーク? 悪魔がクリスティンとエッチするのはありとしても,なぜニューヨーク時間の午後11時から12までの間? なんで悪魔の時計はニューヨーク時間なの?

 生まれたばかりのクリスティンの腕に悪魔の記号みたいなのがついているのを見た看護師がクリスティンを保育機に入れて病院のどっかの階に連れて行き,生まれたばかりの赤ん坊にヘビの血を飲ませるシーンがあるのだが,前後関係からすると,この看護師一味は悪魔崇拝者と思われる。預言書を読み解いて「赤ん坊はニューヨークで生まれる」ことがわかっていたとしても,ニューヨーク中の病院に仲間の看護師を配置し,しかもその病院の一角に儀式をする部屋を造り,ヘビなどの道具一式を揃えていたことになる。すごい出費だったろうなぁ。すごい金を持っている組織なんだろうな。


 冒頭の証券マンをジェリコたちが警備するシーンも訳がわかんないよ。だってヘリコプターで上空から監視し,おまけに車3台くらいで警備して移動するんだけど,たかが証券マン一人になんでそこまで物々しい警備をつけるんだろうか。悪魔崇拝グループには,復活した悪魔がこの証券マンに取り付くことがあらかじめわかっていて,彼らが警備をつけた,という解釈も成り立つけど,常識的に考えたら,彼を安全なところに匿っておいて12月31日を待つほうが良くない?

 この悪魔様,凄いんだか凄くないんだか,微妙な感じ。何でも燃やせたり,空を飛べたりするのに,なぜかクリスティンの居所だけはわからないらしく,ジェリコに「彼女はどこにいるんだ?」って質問をする。全能の悪魔なんだから,瞬時にして居場所を特定するくらいの技を見せろよ。

 ジェリコがクリスティンの名前を割り出すところも笑っちゃうよ。病室でアキナスが殺され,その背中に「キリスト・イン・ニューヨーク」って文字が刻まれているんだけど,それを見たジェリコはなぜか,「これはキリスト(クリスト)でなく,クリスティーン・ヨークだ」って推理しちゃうんだぜ。っていうか,アキナスを殺したのは悪魔なんだけど,何でわざわざ,手がかりを残しちゃうの? ずいぶん親切な悪魔だな。

 おまけに,クリスティンの自宅を突き止めたジェリコは,馬鹿でかい本棚の中からなぜか一冊の本を取り出し,なぜかそこで,犯人の手がかりとなる首飾りの意味を知るんだよ。この映画にはこのような「たまたま手に取ったら運良く・・・」っていう部分が多いのだ。


 それと,悪魔に銃で立ち向かうのってはどうよ。こういう場合,相手の弱点があらかじめわかっていないと勝負にならないはずだ。狼男には銀の銃弾,ドラキュラにはニンニクと十字架というように「勝負のルール」があって初めて成立するはずだ。悪魔の場合にはそういうのはないわけで,いくらシュワちゃんがタフでも勝負のしようがないのでは・・・。それじゃシュワちゃんに勝ち目はないんで,1999年12月31日までにクリスティンとエッチできなければまた地獄(?)に逆戻り,という設定にしたんだろうけど,それであの結末? ここも無理やり感が強いな。

 ジェリコが悪魔に操られた浮浪者たちに襲われてつかまり,十字架に貼り付けになるシーンがあるんだけど,普通なら逃げ出せないように見張りをつけとけばいいのに,そういう配慮は一切なし。だからジェリコに逃げられちゃうんだよ。次の2999年の復活のときはちゃんと見張りをつけとこうね。


 それと,クリスティンをジェリコが助けて奮闘する意味が全く描かれていない。命をかけて彼女を守る理由くらいは明らかにしてくれないと,見ているほうが困るんだけど。少なくとも,この映画を見る限り,ジェリコが命がけでクリスティンを守る理由はないと思う。

 それと,妻と幼い娘を暴漢に殺されたという過去のトラウマがあり,それで信仰を失い,酒びたりになった,と説明されているんだけど,なぜかシュワちゃん,映画の中で酒を飲むシーンはほとんどなく,いたって健康な感じにしか見えない。おまけに,最後の教会シーンでの悪魔の対決前に信仰を取り戻すんだけど,そこに至る内面的な変化がまるっきり表情に表せないというのも失敗だったな。シュワちゃんに,内面の苦悩を抱えながら苦闘する役をやらせたことに根本的な無理があったと思う。シュワちゃんにそんな難しい役をさせるなよ。


 そのほかにもいくらでも突っ込めるんだけど,ま,ここらで許してやるとしよう。

(2008/02/16)

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