《ナチョ・リブレ 覆面の神様》 (2006年,アメリカ)


 封切られた当時,ちょっぴり話題になっていた映画だし,さまざまな映画批評サイトでも褒めている人がかなり多い映画なんでDVDになるのを待って見ることにした。もちろん,プロレスも格闘技もそこそこ好きだし,プロレスやボクシングの映画も好きだからだ。スポーツは全然しないけれど,スポーツ映画は好き,ってとこさ。

 でも,この映画は全くダメだった。面白いには面白いんだけど,感情移入ができないし,感動もできないのだ。この映画を見てホロリとした,感動した,と評価した人って,どこに感動したんだろうか? 最初から最後までかったるいだけの映画じゃん。というか,監督の名前を見たときから,なんかいやな予想がしてたんだよね。だって監督のジャレッド・ヘスってのは,ユルユル映画,《バス男》の監督なんだもの。
 その意味で,ヘス監督らしい,といえばいえなくもないな。

 多分,こういうゆる〜い,まったりとした展開の人情劇が好きな人には面白い映画なんでしょうね。ちょっぴり笑えたらそれで満足,という低燃費ギャグ映画が好きな人にもお勧め映画かもしれない。でも,プロレス・格闘技映画が好きな人,努力と根性のスポーツ映画が好きな人は見てはいけない映画だろう。
 あと,DVDのジャケットを見て,コメディー映画だと思った人も,見てはいけないよ。ギャグ映画ですらないからね。


 ちなみに,この映画のベースになっているのは実在のレスラー,フライ・トルメンタである。孤児として修道院に育てられて神父になったトルメンタが,貧乏な修道院で暮らしている孤児たちのために,ルチャ・リブレ(「自由への闘争」という意味で,プロレスのことを指す)に中年新人レスラーとして登場するが,当然,連戦連敗街道まっしぐら! しかし,やがて「孤児たちのために戦う素人中年レスラー」のことが知られるようになり,事情を知った相手レスラーたちも彼を盛り上げるような試合をするようになり,国民的英雄となったトルメンタはファイトマネーの全てをつぎ込んで立派な孤児院を立てることができたのだ。どこかで聞いたことがある話だな,と思ったら,これはまさに,梶原一騎の『タイガーマスク』の設定そのものだ。どうやら,タイガーマスクもトルメンタの話を下敷きにしたらしい(・・・と聞いたことがある・・・ような気がする

 これはこれで立派な話だし,感動的である。まだ国全体が貧しかった頃のメキシコで,子供たちのために体を張って戦う中年男なんて,それだけで涙を誘う。なら,下手な脚色なんかせずに,トルメンタの実話そのままの映画にしてほしかったと思うのだ。違うかなぁ?


 主人公のナチョは幼くして良心をなくして修道院で孤児として育てられ,現在はその修道院で料理番をしている。ちなみにナチョは青年後期でメタボ体系だ。しかし,資金難にあえぐ修道院では子供たちに満足な食事すら出せないでいて,それをナチョは悩んでいた。そんな折,ナチョは町で,「新人レスラー求む」という張り紙を見て,レスラーになって金を稼ぎ,子供たちに食べさせてあげられたらいいな,と考え始める。

 そんな修道院に若くて美しい修道女が派遣され,ナチョは一目惚れ。しかし,彼女も他の修道士たちも,「プロレスなんて汚らわしい! レスリングは欲に目のくらんだいかがわしい連中がすることであって,神に仕える者がしてはいけません」と考えている。
 レスラーへの夢を捨てきれないナチョは,町で偶然に出会った痩せて異様に身軽な男とタッグを組み,正体がばれないように覆面をかぶってリングに上がることにした。しかし,レスリングの基礎もなければ,トレーニングもしていないナチョが勝てるわけがない。連戦連敗である。しかし,なぜか次第に人気が上がり,ひょんなことからチャンピオンに挑戦することになった・・・ってな,お話だ。


 こういうストーリーで映画を作るとしたら,あなたはどうするだろうか。正統派を狙うなら血のにじむような特訓を重ねて強くなる映画にするだろうし,神様が好きな人,困ったときに神様が必ず助けてくれると思っている人なら,お祈りしていたら必殺技がひらめいたとか,相手にやられそうになって思わず祈ったらリングの照明が落ちてきて相手がノックアウトされたとか,そういう方向に進むだろう。あるいは,ナチョの心意気に感動した強いレスラーが「謎の覆面レスラー」としてタッグを組んでくれて・・・なんてストーリーでもいいと思う。いくらでもストーリーは考え付くはずだ。
 ところがこの映画でナチョは何もしないのである。確かにトレーニングみたいなことをしているが,どう見ても意味不明のトレーニングもどきという感じで,これで強くなりましたといわれても見ているほうが困ってしまう。

 ナチョは単に「強くなりたい,プロになって金を稼いで子供たちに食べさせてあげたい」とは言っているが,それに対して具体的な行動は起こしていないのである。それならそうでいいのだが,そうであれば,素人レスラーが「プロのプロレスラー」相手に戦うことになってしまい,どう考えても試合にすらないはずだ。もしもどうしてもナチョに練習をさせないなら,相手のレスラーに本気で戦わない何らかの理由付けが必要になるはずだ。そうでなければ,試合が成立しないのだ。


 要するに,この映画を作った人たちはプロレスをなめきっているんじゃないだろうか。プロレスを素材にしておきながら,プロレスは好きでもないし興味もないのだろうと思う。感動的な実話を下敷きに,適当にお笑い映画を作ればいいんじゃないの,という性根が透けて見えるところが嫌なのだ。それなら,プロレスを取り上げるなよ,といいたくなる。

 例えば,ピアノを素材にした映画があって,楽譜も読めない,ピアノに触ったこともない人間を主人公にして,そいつが必死に練習するでもなく,特訓するでもなくコンクールの日を迎え,弾いたことがないピアノをいきなり弾き始め,それが曲になっていたらどう思うだろうか。多分,ふざけるんじゃない,ピアノはそんなに甘くねえぞ,と怒るはずだ。これはピアノに限らず,スポーツでも何でも同じだ。基礎と練習なしにできるものとできないものがあり,少なくともプロレスは後者である。

 ゆるゆるモード,まったりモードの映画を作りたいならそれに合った素材を選んで欲しかった。だが,プロレスは絶対に選んで欲しくなかった。

(2008/01/25)

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