《マーキュリー・ライジング》 (1998年,アメリカ)


 ゴールデン・ラズベリー賞という映画賞をご存知でしょうか。アカデミー賞発表の前夜に発表される,その年の最低映画を表彰するという催しで,いわば「逆アカデミー賞」という感じです。これまでの受賞作はこちらのサイトでまとめてくれていますが,錚々たる作品が並んでいて,この《マーキュリー・ライジング》は栄えある(?)第19回の受賞作品です。もちろん,過去の受賞作を見ていると,「何でこんないい映画をラズベリー賞に選んじゃったの?」というものも稀に含まれますが,ほとんどは妥当かなという感じです。というわけで,この映画は受傷して当然という感じですね。
 ちなみに,最低映画といっても,超低予算で素人っぽい俳優しか出ていないという映画は対象ではなく,それなりに金をかけ,ロケを行い,有名俳優が登場している映画が対象なようです。

 さて,この映画ですが,映画の素材そのものは悪くないし,ブルース・ウィリス主演ですからアクションシーンも銃撃シーンも結構な迫力だし,感動的名作にはなれなくても「そこそこ感動的なアクション映画」くらいにはなれたはずです。ところが,基本的な部分があまりに雑すぎるために,見終わったあとに残るのは解決されない疑問ばかりになってしまい,感動がどっかにいっちゃうのです。


 内容はこんな感じ。

 ブルース・ウィルス演じるのは,FBIの凄腕囮捜査官のアート・ジェフリーズ。彼はある銀行強盗団の潜入捜査をしていて,強盗団の親玉の子供を助けようと説得工作していましたが,結局警官隊の突入になり,この子供たちは銃撃戦で死んでしまいます。その件で上司に楯突いたアートは現場からはずされ,閑職に追いやられます

 一方,9歳の自閉症の少年,サイモン・リンチがいて,彼は数字や地図やパズルにしか興味を示しません。そんなある日,彼が手にしたパズル雑誌に数字や記号が印刷されただけの奇妙なページがあり,それを眺めていたサイモンはそれが「この電話番号に電話してね」という意味の暗号であることを読み取り,そこに書かれている番号に電話をかけてしまいます。
 実はその奇妙な文字列は,NSA(国家安全保障局)が開発した最高機密暗号マーキュリーで,最終テストを兼ねてパズル雑誌に掲載し,解読するものがいるかどうかを試していたのでした。決して破られるはずがない暗号が,わずか9歳の少年に解読されてしまったのです。

 その暗号は既に,世界各国に送り込んだ合衆国の情報員との連絡に使われています。それが解読されたということは,彼ら情報員の安全も脅かされるということになります。その事態を恐れたNSAはこの少年を抹殺して暗号の秘密を守ろうと考え,少年の自宅に押し入って両親を殺しますが,さっきまでいたサイモンの姿は家のどこを捜しても見つかりません。そのサイモン探しを命令されたのがアートでした。

 アートは程なくサイモンを探し当てますが,両親の死に不自然なものを感じ,本当のターゲットがサイモンであることを知り,なぜ他人とのコミュニケーションも取れないサイモンが狙われているのか,誰が狙っているのか,彼らの目的は何なのかも不明のまま,もう2度と子供を殺されてたまるかと決意し,次々襲ってくる敵の襲撃をかわしつつ,次第に事件の本質に迫っていく・・・という映画でございます。


 この映画の唯一の見所,唯一の美点は,自閉症のサイモンを恐ろしいほどの迫真性で演じ切ったマイコ・ヒューズでしょう。私は小児精神医学の専門家ではないため,本当にこの演技で完璧かどうかは判断できませんが,一瞬でもサイモンの姿が画面から消えると,サイモン,どこかに行っちゃうんじゃないか,アートは目を離すんじゃない,と不安になるくらいでした。まさに,天才子役の面目躍如です。

 ただ,逆にあまりにその演技がすごいため,アートとサイモンが心を通じ合わせるという,この手の映画の感動場面が作れないんじゃないのか,ということは最初から危惧していました。最後にアートとサイモンが抱き合うという完動場面がありますが,自閉症の子供を実際に知っている人からは,そんなに甘いもんじゃないよ,とツッコミが入るはずです。このあたりは,コンピュータでも解読できない暗号を自閉症児(だからこそ)解読できたという初期設定の,唯一の計算違いかもしれません。

 それと,ウィリスはいつものウィリスですから,危ない場面の連続を見事に切り抜けられる訳で,そのあたりは安心して見ていられます。変なお色気シーンもないし(シャワーシーンがちょっとだけある程度),家族みんなで見られる映画でしょう。


 が,それ以外は,説明不足と意味不明のシーンがやけに目に付くばかりでした。

 まず,国家最高機密の暗号があったとして,それを解読する人間がいるかもしれないと考えるのはいいとしても,それをパズル雑誌に掲載するかという問題があります。その雑誌は普通に売られている雑誌ですから,世界の誰でも見ることができ,そこにいかにも曰くありげな数字と記号の羅列があったら誰でも「これって暗号なんじゃない?」と気付くわけで,そうなると「この暗号って何?」という情報が世界中のネットを駆け巡り(1998年といえば多くの人がインターネットを普通に使っていました・・・私がそうでしたから・・・),世界中の諜報機関が手にすることになります。そう考えると,既に稼動している暗号を雑誌に載せるメリットは全然なく,むしろ危険なだけです。このあたりはどう考えてもムチャクチャ!。

 さらに,それを解読する人間が現れたとしたら,常識的に考えれば,暗号化のアルゴリズムをより複雑化するのが当たり前の対処法でしょう。だって,一人が解読して電話をかけてきたのなら,その背後には「解読したけれど面倒で電話をかけてこない」人間が複数いると判断すべきですから(・・・ゴキブリが1匹いたら,見えないところに10匹はいる・・・のと同じです),もうその暗号は使えないと考えるのが当たり前。

 こういう事態になったらNASはどういう対処法を取るべきかというと,最善の方法は,サイモンをNAS暗号作成部に就職させて新しい暗号作りに手伝ってもらうことでしょう。それなのに,NASが取ったのは「情報員の身の安全を守るため,暗号を解読した子供を殺してしまえ」です。しかし前述のように,サイモン一人を殺してもそれで暗号が守られるという保障はありません。だから,暗号解読者を殺すという対策はもっとも愚かな選択です。


 あと,悪役としてNASを設定したのはいいとして,サイモン暗殺に動員される人間が少な過ぎますね。最初のうちは2,3人いますが,途中からは一人だけになります。よほど人手不足なんでしょうか。暗号問題よりまず人手不足問題を解決しないとまずいんじゃないでしょうか。あと,アート自身がFBIに追われているのに,アートに捜査の手が迫る様子はないし,結構お気軽にそこらを歩いたりしています。どうも,FBIも深刻な人手不足と思われます。

 あと,暗号解読者を殺そうとしている,とNASの職員が告発しようとして,旧式のタイプライターを使うシーンがあります。電話もメールも盗聴されているから,こういうときはアナログさ,というわけで,選択としては間違っていません。そして彼はタイプし終わり,カーボン用紙をゴミ箱に捨て,そこに殺し屋がやってきて・・・というシーンになります。このシーンを見た人はほぼ確実に,殺し屋はカーボン用紙も見つけちゃうんだなと予想するはずです。だって,この型のタイプライターはカーボン用紙を挟んで印字する形式ですから。ところが殺し屋君,カーボン用紙に気がつきません。観客よりアホです。

 さらに,後半登場する女性の役割がちょっと微妙。サイモンを連れてファーストフード店に入ったアートが,「あなたは親切そうに見える」という理由でサイモンをちょっと見てくれと頼むのです。そしてその後,安全な隠れ家として彼女のアパートに泊めてくれと頼むことになるのですが,全くの赤の他人に,どこにすっ飛んでいくかわからない自閉症の子供の面倒を見るように頼むのは,状況が状況とはいえ不自然すぎます。しかもこの女性はそのあともそれほど重要な働きをしていないし,最後のアートとサイモンの再会シーンにも登場しません。「ほら,アクション映画なんだからいい女が一人くらい出てないと格好つかないよ」ということで,後半,急遽,追加された登場人物じゃないかという気がします。


 あと,映画はめでたし,めでたしで終わった感じなんだけど,問題の大半は解決していないことに気がつきます。国家なりNASがこの問題を公表したのか,全く無関係の市民であるサイモンの両親を射殺した罪は誰が負ったのか,孤児となったサイモンの運命はどうなったのか,NASは解読された暗号をどうしたのか,世界各地に散らばっている諜報員たちの安全はどうなったのか,全ての真相を知ったアートの地位や仕事はどうなったのか,サイモンの安全はどうやって保たれるようになったのか,後半登場する女性はアパート代を払えたのか,彼女の仕事はどうなったのか・・・など,疑問はいくらでも出てきます。というか,問題のほとんどは未解決のまま映画が終わっているのです。


 見切り発車的に作られた映画のような気がしますが,とりあえず,ブルース・ウィリスが活躍するシーンさえあればあとはどうでもいいのさ,という映画ファンなら楽しめると思いますよ。

(2008/01/15)

映画一覧へ

Top Page