《ドニー・ダーコ DONNIE DARKO》 (2001年,アメリカ)


 色々な映画感想サイトを見るとわかるが,この映画については意見は完全に分かれている。ものすごい大傑作にして感動作,という評価する人,何がなんだかわからないけれど,という前提つきでなんとなく褒める人,そして,匙を投げちゃう人である。

 難解で訳がわからない系の映画といえばデビッド・リンチだが,多分,彼の映画よりはそれなりにわかりやすいかな,という感じだが,悪夢とか妄想をそのまま画像で再現したような作品のため,「なんとなく意味が通りそうなんだけど,肝心なところで意味が通じない」という印象である。一応,最後の最後に全体像は明らかになるんだけど,それですら,妄想なのかタイムとラベルなのか「走馬灯の一気フラッシュバック」なのかはわからない。ラストシーンは切ないほど美しいが,知り合いでもないのに手を振っているのはなぜ,とか,そういう点は最後まですっきりしなかった。


 とりあえず,ストーリーね。

 17歳の高校生,ドニー・ダーコが山道で目を覚ますシーンから始まる。どうやら彼は夢遊病の気があるらしい。そして自宅に戻るが,家族はごく普通のアメリカ中流家庭で,息子のことを案じている優しい両親,大学受験のために浪人している姉,そしてトランポリンに夢中な妹という構成だ。そんなある日,彼に不思議な呼び声が聞こえ,外に出るとなんとそこには銀色のウサギ(の着ぐるみ)が立っていて,「世界の終末まで28日と6時間42分12秒」と告げるのだ。そこでダーコの記憶が途切れ,気がつくとゴルフ場で眠り込んでいた。急いで自宅に戻るとそこは大騒ぎで,どうやら飛行機のエンジンが空から落下してきてダーコの部屋を直撃したことが明らかになる。彼は夢遊病のおかげで助かったようだ。

 というような大事件にもかかわらず,ダーコは普通に学校に登校する。そこでは進歩的な文学の先生の講義があったり,「古きよき道徳に基づく教育」を主張する先生がいたり,人間の精神を「恐怖と愛」の対立の概念で説明するセラピストの番組が授業で取り上げられたり,デブの女の子がいじめられたり,美人の転校生がいきなりやってきたりと,さまざまな出来事の断片が前後の脈絡なく映し出される。そしてこの転校生は父親のひどいDVを避けるために母親と一緒に逃げてきたことが明かされ,ダーコは彼女と付き合い始める。

 その頃から,学校では水道管が壊された学校中が水浸しになるとか,銅像の頭が壊されるなどの不可思議な事件が続き,それとともに「世界週末へのカウントダウン」も始まる・・・というようなことになる。


 読んでいて全然訳がわからないと思う。自分でもわからないからしょうがないと思う。とにかく,映画開始から1時間くらいまでは(ちなみに,これは2時間弱の映画だ),何がどうなっているのか,一体どっちの方向に進もうとしている映画なのかを全くわからせないような仕掛けになっている。不意に登場する人物が意味不明の行動をするし,各々のエピソードの関連性が全く見えてこないからだ。銀色ウサギが登場したあたりで,これはファンタジーなのかな,という気もしたが,何しろこのウサギ,半端でない凶悪顔というか,悪夢に出てきそうな人相をしているし,おまけにどう見ても着ぐるみにしか見えないため,ファンタジーという雰囲気でもない。

 そして途中から,物理教師とのタイムトラベル談義が始まる。ホーキングの名前も登場するが,要するに「空中を飛ぶ金属でできた機械」と「時空の穴の入り口」さえあれば時間を移動できるのだ,という説明がその教師からあり,彼はダーコに一冊の本を手渡す。その本を書いたのは昔その高校にいた教師で,現在もその町に住んでいるが,それはダーコが「死神おばば」と呼んでいる白髪の老婆だった,という具合に物語が展開する。

その頃からダーコには,人間から軟体動物のように伸びる透明なチューブが見え始め,それが時空の穴に関連するであろうことが暗示され,それがあのラストシーンにつながっているようだ。これだけ見ていると,タイムトラベル物かな,という気もしてくるが,そうなると,あのジェット機に乗っていた母親と妹はどうなったの,というのが解決できなくなる。だって,ジェット機のエンジン片方がもぎ取られるような物理的ショックが機体に加わったんですぜ。片方のエンジンがストップしたくらいならジェットは大丈夫だけど,片方のエンジンが落ちてくるんだもんなぁ。さらにそうなると,ジェット機のエンジンが落ちて家を直撃した時点では,また母親と妹は飛行機に乗っていたはずだし,なぜ事故と同時刻に自宅にこの二人がいたのかという説明が不可能となる。

 もちろん,美少女転校生を助けるために,ダーコが自分を犠牲にしたんだという美しい解釈はそれなりにいいと思うが,もしそうだとすると,自分を犠牲にするためにはタイムトラベルが成立していることが前提となるんだから,こういう時間軸をいじる映画では,少なくとも,各々の事件の時間的ズレがあるのは非常にまずいと思う。要するに,ファンタジーならファンタジーでいいし,SFならSFでいいから,そういう基本的設定だけはきちんとしろよ,といいたいのだ。

 この映画はいたるところに仕掛けというか伏線が張られているらしく,さりげなく映し出される文字とか,会話に登場する単語が意味ありげなのである。また,画面が暗すぎていったい何が起きているのかがわかりにくいシーンも幾つかあった。その意味で,何度か繰り返してみるべきなのかもしれないが,一方で,前後関係を分析しながら見直すたびに,個々のエピソードの間の整合性が取れていないことが明らかになっていくことになりそうである。多分,あまり深く考えずに見て画像を楽しみ,最後の「フィルム逆回転」で,この映画の全体像はこれだったのかと大雑把に理解し,素敵な青春物語だったと感動すればいいだけなのかもしれない。


 それと,映画の本筋とは無関係だが,1988年のアメリカ大統領選挙でのデュカキスとブッシュ@パパの選挙戦の様子が何度も取り上げられている点も,今となっては興味深い。結局,この選挙では民主党のデュカキス(ギリシャ系でWASPでない)が共和党のブッシュに負け,ブッシュ@パパは1989年に第41台大統領に就任することになるわけだが,選挙戦ではデュカキスはテロ組織への軍事的経済的援助をするかしないかでブッシュと対立していた。もちろん,援助を主張したのはブッシュで反対したのはデュカキス。

 この選挙の結果,ビン・ラディン率いるアルカイダなどのテロ組織に莫大な資金が渡り(敵の敵は味方,というのがその理由だったはずだ),それが例の「9.11」の遠因になったことは歴史的事実だ。また,ブッシュ@パパは1990年8月2日に始まるイラクのクウェート侵攻から始まる第一次湾岸戦争に多国籍軍として参戦し,結局,フセインへの遺恨を残したかたちで終結する。その後,9.11への報復とフセインへの恨みと石油利権のためにブッシュ@息子が2003年にイラク戦争を起こし,それがさらにテロを世界に拡大させる原因を作り,「平和と民主主義のための戦争」が平和も安定ももたらしていないことは,もはや覆い隠せない事実である。

 歴史に「もしも」はないが,もしも1988年の大統領選挙でデュカキスが政権をとっていたら,その後の歴史はどうなっていただろうか。確実なことはいえないが,恐らく第一次湾岸戦争へのアメリカ参戦の形は違っていただろうし,アルカイダなどへのアメリカの資金援助もなかったかもしれないし,なにより「9.11」は起こらなかった確率が高い。

 この映画がサンダンス映画祭で公開されて大評判となったのが2001年だから,製作は恐らくその前年の2000年,つまり「9.11」が起こる前年である。その2000年の時点でその後の「9.11」への予兆はどれほどあったのだろうか。もしもそれを感じ取って,わざわざその原因とも言うべき1988年の大統領選挙を取り上げたのだとしたら,恐るべき慧眼と言うべきだろう。

(2007/12/13)

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