あまりの衝撃に言葉を失ってしまった。戦争,内線というものに対する心の底からの怒りと,その内戦を利用して肥え太る連中に対する怒りで,もう言葉が出ないのである。衝撃的な映画はいくつも経験したが,これほどのものは見たことがない。見ているのが辛くなる映画だが,これは絶対に見るべき作品だ。ちなみにこの作品は実話に基づいているという。
舞台は政府軍とゲリラ軍の内戦が続くエルサルバドル。両勢力の狭間に取り残された村に暮らす11歳の少年が主人公だ。その村を挟んで毎晩,二つの勢力の間で銃撃戦が繰り返されていて,銃弾はもちろん,お構いなしに家に飛び込んでくる。そのたびに子供たちはベッドの下に隠れるが,運が悪ければ流れ弾に当たることになる。子供たちには平和な夜というものを知らないのだ。
主人公の少年の父親は,内戦が始まって早期にアメリカに単身渡っていて,その後,音沙汰なし。母親を助け,幼い弟たちを守るのは長男である主人公の役目だ。少年はバスの車掌の仕事を見つけて懸命に家計を助けようとする。屈託のない声でバスの行き先を叫ぶ彼の笑顔が健気だ。
だが,本来子供たちにとって安全な場であるはずの学校が,内戦下のエルサルバドルではそうでなかった。政府軍の兵士が学校にやってきては,12歳になった子供の名前を読み上げ徴兵していくのだ。11歳の子供にとって,子供でいられる時間はあとわずかに1年。それが過ぎれば,兵士として銃を握らされ,人殺しの方法を教えられ,ゲリラ兵との撃ち合いの最前線に送られるのだ。
名前を呼ばれた子供たちは震え,小便を漏らすしかない。逃げ出したらその場で射殺されてしまう。
少年の暮らす村にも戦火が近づき,川向こうの安全な地域に一家で移ることになり,そこでわずかな間,平穏な日々が訪れたのもつかの間,その村にも政府軍の徴兵の手が迫る。それを察知したゲリラの一人が少年たちに逃げるように伝え,少年たちは家の屋根に上がって身動きせずに一晩を過ごす。
そして,少年たちは政府軍に徴兵されるくらいならゲリラに参加することを決意し,山中を歩き,ゲリラの隠れ家に到着する。
ゲリラキャンプで疲労で眠り込んだ少年たちは,またもや銃声でたたき起こされる。ゲリラ基地が政府軍に襲われたのだ。少年たちは捕虜となり,川岸に連れて行かれる。そこは処刑場であり,死体が幾つも転がっていた。子供たちは座らされ,一人一人,後ろから頭を撃ちぬかれていく。エルサルバドルでは11歳になったばかりの子供の頭を政府軍兵士が撃ちぬくのだ。
そして,いよいよ主人公の順番というところで銃声が響く。ゲリラ側の反撃だった。少年は銃弾の中を必死に逃げまわる。そして,木陰の向こうに政府軍の兵士が機関銃を撃っているところに出くわす。幸い,相手は自分に気がついていない。少年は転がっている死体の手から機関銃をもぎ取り,慣れない手で機関銃を握り,政府軍兵士に照準を合わせる。そのとき,政府軍兵士が銃撃を止め,ヘルメットを取る。なんと彼は,自分とさして違わない幼い少年兵だったのだ。
少年は何とか村に戻るが,そこは政府軍の焼き討ちにあい,焦土と化していた。その廃墟の中で,少年は母親と再会する。
そこで母親は,主人公の少年をアメリカに亡命させることを決意し,その家族の生活を支える唯一の財産であるミシンを売り払い,少年を一人で旅立たせる。ここに置いたら1年後には徴兵されるかゲリラになるか,二つに一つ。そして,選択の道は異なっても,死体となって転がる運命からは逃れられない。だから母親は彼を一人で旅立たせる決断をする。
トラックの荷台に乗り込む兄を見て,5歳くらいの弟が言う。「今度は僕が頼りにされる番だね。みんなを守る番だね」と。幼稚園児にこんな言葉を言わせるもの,それが内戦であり戦争なのだ。兄は弟が12歳の誕生日を迎える前に絶対に迎えに来ると決意して旅立つ。
屈託なく遊びまわる子供たち,それに容赦なく降り注ぐ銃弾,その銃を握る少年兵,その対比が恐ろしいばかりだ。学校での徴兵で小便を漏らした少年が,一年後にはいっぱしの兵士となり,自分の戦果を誇らしげに語る姿が,戦争という狂気を雄弁に語っている。
このエルサルバドルの内戦は12年続いたというが,12歳で徴兵され,銃しか握ったことがない青年しかいないということになる。そういう状況で,どうやって国を再建できるのか,どうやったら平和な社会を作れるのか,私には想像もつかない。12歳の少年から未来を奪い,兵士として銃を握らせ,人殺しの方法を教え込む大人しかいない社会に訪れる未来とは何なんだろうか。
そして,少年の母親がすごい。戦火の村の貧しい暮らしの中でも凛として背筋を伸ばし,子供たちに惜しみない愛情を注ぐ姿には圧倒される。強く,逞しく,毅然としていて,そして神々しいばかりに美しい。
おそらくこの映画は,エルサルバドルという国がどこにあるかも知らない人にも全てが伝わる作品だろう。政治的な背景を一切描かず,徹底的に子供の視点から内戦というものを描いているからだ。そして,余計なシーンを一切入れず,真正面から問題を抉り出そうとしている。真っ向勝負の凄みと,それにかけた気迫が画面全体から伝わってくる。
映画の最後で,世界の40カ国で30万人の子供たちが徴用されていることが知らされる。それがわれわれが暮らす世界の姿だと訴えかけている。
主人公はアメリカに渡り,7年後,エルサルバドルに戻って母親や弟と再会したという。
この映画を見て,ゴヤの恐怖の傑作,『我が子を食らうサトゥルヌス』を思い出した。わが子に権力を奪われることを恐れたサトゥルヌスが子供を食い殺すという凄絶な絵である。首から上はすでに食いちぎられてなく,子供の胴体を鷲掴みにしている両手は子供の体を引きちぎらんばかりに酷烈であり,その大きく開いた口は今まさにわが子の左腕を食いちぎろうとしている。頭髪は逆立ち,両目は恐怖で飛び出し,悪鬼の形相とはこのことを言うのだろう。しかも,塗りつぶされている股間にはもともと,屹立したペニスが描かれていたという。つくづく,ゴヤは凄まじい絵を描いたものだと思う。
戦争とは畢竟,このサトゥルヌスだ。わが子を食い殺しながらペニスを勃起させ,そこまでして権力を守ろうとする姿は,12歳の子供を徴兵して兵士に仕立て上げている姿とどこが違っているのだろうか。
(2007/10/03)