かなり面白い映画であり,かなりいい映画だ。見て損はないと思う。公開当時,ヒロイン役のナタリー・ポートマンが坊主頭シーンが強調されたと思うし,実際,丸刈りにされるシーンはかなり衝撃的だが,この映画の真価はそういうところにはなく,政治とか自由とか,そういう問題を深く掘り下げている作品となっている。ちなみに,vendettaとはイタリア語で「復讐・敵討ち」の意味らしい。
舞台は近未来のイギリス。20世紀の超大国アメリカは既に没落してイギリスの植民地となり,そのイギリスもガチガチの監視国家,ファシズム国家となっていた。そんなイギリスを牛耳っているのはアダム・サトラー議長で,彼は秘密警察と盗聴とマスコミを使って国民をがんじがらめの洗脳状態においていた。
テレビ局に勤めている女性,イヴィーは外出が禁止されている時間に外を歩いていたため秘密警察に捕まりそうになる。もう駄目かというその時,仮面にマントの男が突然現れて秘密警察全員を倒して助けてくれる。彼はVと名乗り,サトラーの政治体制にたった一人で戦いを挑み,国家転覆を計画していることを明かす。彼は,1605年に国王の圧政に反発し国家転覆を図って失敗し,絞首刑にされたガイ・フォークスの「11月5日」をなぞっての行動だった。
仮面の男Vは国の重要施設を派手に破壊し,重要人物を次々殺していくが,もちろんサトラーはすべての力を動員してVの正体を明かそうとする。「次の11月5日」での一斉蜂起をVが呼びかけ,それにイヴィーが巻き込まれていく,という映画だ。
原作は1980年代のコミックとの事だが,「コミック原作のハリウッド映画」のような派手なアクション映画にはなっていない。むしろ,アクションシーンはこの手の映画としては少ないほうだろう。そして,シェイクスピアやマザー・グースからの引用がふんだんに登場するし,登場人物間の会話も一筋縄ではない。象徴的に登場するバラの品種にしても,チャイコフスキーの音楽にしても,それらを選んだセンスはかなり高いと思う。全体に流れる衒学的な雰囲気も,娯楽ハリウッド映画にはちょっとないものだと思う。また,近未来を舞台にしながら,実は『岩窟王』,『怪傑ゾロ』をベースとしているため,昔のアクション映画の見せ場を最新のCGで蘇らせたような感じになっているのも面白い。
まず褒めておくべきはなんと言っても,チャイコフスキーの『大序曲1812年』の使い方だ。これはもともと,ナポレオンのロシア侵攻をロシア軍(と冬将軍)が打ち破った様子を描いた音楽で,曲のクライマックスでは本物の大砲(もちろん空胞だが)がドカンドカン,教会の鐘がガランガランと派手に鳴り響くことで知られているが,この映画の最後のクライマックスである議事堂爆破シーンではこの極が実に見事に使われていて,「1812年」の祝典的雰囲気と見事にマッチしている。良くぞこの曲を選んだな,と感心した。
ちなみに,この映画と全然関係ないネタであるが,1950年代後半にイギリスでホフナング音楽祭というのが開かれたことあったが,そこで,チャイコフスキーの名曲のメドレー,『くるみ割り金平糖』という曲が演奏されたことがある。バロックの古楽器だけを使った演奏でそれだけで大笑いであるが,後半に「1812年」のクライマックスが登場する場面では,大砲の代わりにおもちゃの鉄砲をパンパン撃っていた。イギリス人ってのは変なことを真面目に考えて実行する連中なんだなと,変に納得したことを思い出す。
同時に,このシーンの前に群集がVの仮面を被って広場に集まるのだが,議事堂が破壊される様子を見て,次々に仮面を取って素顔を見せるシーンも素敵だ。仮面を被った(被らされた)群集が,仮面を脱いで感情を持った一人の人間にに戻り,それが強権的抑圧体制をを打破する原動力になることを予言している象徴的なシーンだ。いろいろな感じ方ががあるだろうが,私はこの「群衆が仮面を取っていくシーン」がこの映画の白眉だと思う。
また,ナタリーの坊主頭は事前に知っていても衝撃的だったが,美人は坊主頭にされても美人なんだなと妙に納得。彼女の演技も熱演で見事だった。
と,ここまでは手放しで褒めたい部分だが,ツッコミを入れようと思うといくらでも入られれるところが,この映画の困った点だ。真面目に作られている分,論理的に整合性がない部分がなんだかより目立ってしまうのだ。もしかしたら原作のコミックでは十分に説明されているのかもしれないが,2時間の独立した映画作品としてみている側にそれを感じさせるのはやはりミスだと思う。
まず,ガイ・フォークスが処刑された「11月5日」はイギリス人なら誰でも知っている有名事件らしいが,他国では全然知られていない点がちょっと辛い。ま,日本人にとっての「義経の八艘跳び」とか「赤穂浪士」みたいなものだろうが・・・。
それと,Vの資金源がどうなっているのかも不明。何十年も閉鎖されたままの地下鉄に線路を引き直して車両も走れるようにするなんて,個人の財力ではまず無理だろうし,工事が始まった時点で警察が察知するか,誰かが通報するはずだ。また,秘密警察と盗聴だらけの社会でなぜあれほどの屋敷を構えられているのかとか,そのあたりはすごく不自然である。泥棒でもして活動資金を稼いでいたのだろうか。
そういえば,イヴィーが坊主頭にさせられたのはいいとしても,一年後にVに再会した時にも坊主頭のままというのは絶対におかしい。毎月,刈り上げていたんだろうか。もちろん,最後の地下鉄のシーンは,イヴィーは坊主頭であったほうが説得力があるのは事実だが,日付にこだわっている映画なだけに,彼女の髪型が全く変わっていないのは画面の中で浮いていたし,異様だったと思う。
あと,イヴィーが警察に捕まって独房に入れられ拷問を受けるシーンも,初めのうちは「可哀想だな」と思ってみていたが,次第に「これって変だよね」と感じてくるのも計算違いかな。だって,若い女性を捕まえて「Vの居所を教えろ,さもないと・・・」と脅しているのに,最後まで服を着ているんだもの。もちろん,ナタリーが「坊主になるのはいいけど,オッパイ出すのは絶対にいや」とごねたのかもしれないけど,これを見ている人のほとんどは,「服を着せたままの拷問ってないよなぁ。もしかして,この警察は本当は警察じゃないんじゃないの?」と考えるはずだ。この不自然さはちょっと惜しかったな。別にナタリーのオッパイが見たかったわけじゃないけど・・・。
また,ボスキャラであるサトラー議長の最後は,ちょっとあっけなさ過ぎ。ボスキャラなんだから,もうちょっとがんばってくれないと・・・。さらに,その後の「銃で一斉射撃」された後,Vが立ち上がるシーンはこの映画の一つの見所だと思うが,なぜ銃で撃たれても大丈夫だったのか,という理由の説明があまりにもしょぼ過ぎ。こんなんで銃弾を防げちゃうの? なぜ手足を打たなかったの,と誰しも思うはずだ。
そうそう,Vの最後の姿をイヴィーが「例のバラ」で覆うシーンも,あれだけ大量のバラをどこから持ってきたの,という感じだった。画像的にはバラは必要なんだけど,映画の画面で見るとなんだか不自然なんだよね。この後のシーンが感動的なんで突っ込まないほうがいいかもしれないけど・・・。
とまあ,詰まらないところに突っ込んでしまいましたが,映像的にも素晴らしいものがあるし,内容は深いし,多くの人に見て欲しい作品である。
それにしても,以前の未来を舞台にした映画は「科学が発達した明るい未来」的なものが多かったが,最近のはこの映画や《トゥモロー・ワールド》にしても「人類の先行き真っ暗」映画が多いのである。南極の氷がどんどん溶けている様子を見ていれば,ハッピーな未来なんて御伽噺以上に御伽噺的だもんなぁ。
(2007/09/2)