《ディセント》 (2005年,イギリス)


 次のような宣伝で封切られた映画です。

それは未体験の絶対恐怖。ヨーロッパ全土を震撼させた“ディセント・ショック”、全世界に感染拡大! 2005年、イギリスで封切られた1本の映画がイギリス各地で絶叫の嵐とともに一大センセーションを巻き起こした。

 うーん,この程度で全ヨーロッパが震撼しちゃうんだろうか。絶叫するほどのものか? 確かに,いきなり大音響になったり,ヌメっとした○○人の顔がいきなりアップになったりと,それはそれなりに怖いんだけど,「ほうら,怖いだろう!」ってな感じなんで特別目新しい感じじゃなかったけど・・・。。

 もちろん,暗闇からいきなり何かが出てくるのは怖いし,せいぜいヘッドライトで照らせる範囲しか見えなくてその向こうが真っ暗というのも怖いし,他に生き物がいないはずのところで物音が聞こえたら心臓が止まりそうになりますよ。この映画の怖さはそういう生理的な恐怖をかき立てられる怖さです。もちろん,娯楽映画としては十分に楽しめることだけは保証しておきます。


 アウトドア大好き体育会系の仲良し6人組女性がいて洞窟探検をしたらとんでもない目に遭っちゃった,というのが大体の内容。一人の女性は1年前に事故で夫と娘を失っていて・・・というのが背景にあります。その洞窟には謎の壁画があったり,入り口が崩れたり,白骨が積み重なっていたり,正体不明の生物が襲ってきたりと,次々と恐怖の出来事がジェットコースターのように襲ってきます。登場人物たちもパニックを起こすやつは出てくるわ,下腿開放骨折を受傷するやつもいるわ,友情に亀裂が入るわ,一人,また一人と殺されるわ,という具合で,暗闇の中で恐怖が加速度的に広がっていく・・・ってな映画です。


 洞窟を舞台にしたパニック映画,モンスター映画は他にも幾つもあり,特に珍しいものではありませんが,この映画は暗闇が持つ本質的な恐怖を真正面から描いている点では特筆すべきでしょう。特に,一人が岩の割れ目に挟まれて前にも後ろに抜けられなくなりパニックを起こすというシーンがありますが,ここは生理的な恐怖を感じるほど怖いです。閉所恐怖症の人は見ただけでパニックを起こすかもしれません。こういう冒険はしたくないなぁ,真っ暗な洞窟なんかに入りたくないなぁ,と心底思いますね。

 ただ,丁寧に真面目に作られている分,こういうシチュエーションの映画作りの難しさを逆に感じてしまうのも事実です。いうまでもありませんが,洞窟は真っ暗で光源としては登場人物が持っているヘッドランプなどしかありません。だから周りの状況がよくわからないし,いきなり何かが飛び出してくるという恐怖シーンも作りやすいのですが,逆に言うと,画像全体が暗くなり,何が起きているのかが観客側によくわからないということになります。かといって,状況がよくわかるような画像だと「その光はどこから入っているの? なぜ暗闇なのに見えるの?」とウソっぽくなってしまいます。このあたりのジレンマは「洞窟映画」に常に付きまといます。


 さて,この映画はそもそも,仲良し6人組でガイドブックに乗っている初心者向き洞窟を探検しよう,ということから始まりますが,それでは物語になりません。そこでこの映画では,「みんなの友情を取り戻すためには冒険が必要よ」と考えたリーダー役(というか探検大好き娘)が,みんなに黙って勝手に人跡未踏の洞窟に入っちゃうという設定になっています。こういう映画に欠かせない登場人物ですが,オイオイ,という感じです。友情を取り戻すために生死を賭けるか? というか,調べもせずに人跡未踏の洞窟に入るか? これじゃ単なる冒険好き馬鹿娘だよ。

 要するに,最初からどこに出口があるのかわからない,そもそも出口そのものがあるかどうかもわからない洞窟に,初心者が入ってしまったわけです。こういうアホな選択をした一人のために,とんでもないことになってしまったわけですね。もちろん,人跡未踏の洞窟を探検したいという気持ちはわからないでもないけれど,それなら事前に相談しろよ,もっと十分な装備をしてから入れよ,警察などに連絡を取ってから入れよ,といいたくなります。こういうおせっかいなアホとは一緒に行動したくないものです。


 で,映画の後半には謎の生物が登場します。ま,正体を明かすと「地底人」ってやつです。暗闇に適応したホモサピエンスという設定らしく,音だけで獲物を探し,目は退化し,鼻もよく効かないらしく外鼻は小さくなっていて,四つんばいで動き回っています。また,唸り声は犬に近い感じです。アップで顔が写るシーンはちょっとキモイです。映画の中では,「夜になると洞窟から外に出て動物を捕まえては食べているんじゃないか」と説明されています。

 ま,娯楽映画なんだからこういう設定もありかなと思いますが,生物学的にはこういう地底人はありえないでしょうね。舞台は確かアパラチア山脈ですから,さまざまな肉食獣がいて,洞窟から外に出た地底人はこういう肉食獣と獲物を獲る競争に勝たなければ食料が得られません。でもそれは無理でしょう。地底人は目が見えず,聴覚だけで獲物を探しているからです。以前,『目の誕生』という本を紹介しましたが,聴覚しかない捕食生物と視覚を獲得した捕食生物では得られる情報の量と正確さに桁違いの差があり,全く勝負にならないからです。目で見れば相手との距離,相手の動く早さ,その他の状況がきわめて正確に瞬時にわかりますが,目を閉じて音だけ聞いただけでは,相手との距離も相手の動き方も大雑把にしかわかりません。

 これは物理学的に考えてみてもわかります。光は距離による減衰がほとんどありませんが,音は距離の二乗に反比例して減衰します。つまり距離が離れれば離れるほど情報量が減るのが音,距離が離れても得られる情報量が減らないのが光です。だから,この「地底人」は生存競争に絶対に勝てず,すぐに絶滅するはずです。


 実際,洞窟を生活の場とする生物はいますが,そのほとんどは節足動物であり,脊椎動物としてはわずかに魚類が少しいるだけで,大型生物が発見されたことは皆無です。つまり洞窟とは,大型生物を維持するだけの生態系が成立していない世界なのです。仮にこの映画に登場するような「暗闇に適応した地底人」がいたとしても洞窟内では食料が乏しいし(だから,節足動物くらいしか生きられない),洞窟の外に出て食料を得ようとしても目が見える外の動物と競合して食料を得るのも不可能ですし,洞窟の外の世界では,他の捕食動物のエサになるのが関の山でしょう。たとえ真夜中の真っ暗闇といっても,洞窟の中と違って必ず光があるし,そのわずかな光でも,聴覚による情報とは比較にならないほど大量の情報を与えてくれるからです。

 つまり,この種の「地底人」がいたとしても,生きていけるのは洞窟の中だけですが,その洞窟の中には生存を支えるだけの生態系は存在しないし,洞窟の外に出ればえさとなる生物はいますが外の世界の捕食動物との競争には勝てない,ということになります。

(2007/09/18)

映画一覧へ

Top Page