《チキンラン》 (2000年,アメリカ)


 クレイアニメってご存知ですよね。粘土で作った人形を少しずつ動かしては一コマ撮影し・・・ってのを延々と繰り返して作った映画だ。いわゆるパラパラ漫画である。たいていは短いアニメだ。だって,手間が半端じゃないもの。人形一体で3分のアニメを作る様子を想像しただけで,気が遠くなってしまう。まして,2体,3体となったらとんでもないことになるはずだ。でも,CGにはない温かみというか,素朴さというか,そういう魅力がある。そういうアニメだ。

 そんなクレイアニメで85分の映画を作っちゃったのである。それだけでも偉業である。まさにスプーンで山を崩すような膨大な作業だったと思う。おまけに,登場するニワトリの数が半端でなく多いのだ。ニワトリたちが大勢で踊るシーンはあるし,みんなで議論するシーンもある。個々の人形を少しずつ形を変えたり位置を変えたりして一コマ,一コマ撮影して,それで85分映画にしちゃうのである。これだけで,ありえねぇ~,と思ってしまう。これに匹敵する手間暇といえば,万里の長城とかクフ王のピラミッドとか,そのくらいのレベルのなっちゃうんじゃないだろうか。

 おまけに,各々の登場人物(?)の表情が豊かで,動きは滑らかですごく自然なのである。しゃべるときの口の動きなんて見事なものである。とてもクレイアニメと思えないくらい出来上がりで,指摘されなければ普通のアニメと思ってしまうヒトもいるんじゃないだろうか。まさに驚嘆すべき技術の高みである。


 だが,そのクレイアニメの部分に全エネルギーを使い果たしてしまったのか,肝腎のアニメ映画としていまいち面白くないのだ。ストーリーが単調なため,もうちょっと捻らないと大人の鑑賞には耐えないと思う。だが子供向けのアニメかというと,《大脱走》のパロディーはふんだんに出てくるわけで,これはどう見ても大人の目を意識して作ったとしか思えないのである。

 それと,クレイアニメ独特の味わいがあるが,なぜこの映画はクレイアニメにしなければいけなかったのか,という必然性が感じ取れないのだ。要するに,クレイアニメの面白さがアニメ映画としての面白さに直結していないのだ。


 この映画は有名映画,《大脱走》を下敷きに,ニワトリたちが養鶏場を脱走しようと奮闘する様子を描いたものだ。穴を掘って逃げようとしては失敗し,人間に化けて逃げようとしては犬に見破られ,そのたびに,養鶏場の地図を広げては新しい脱走計画を立てる様子から始まる。ワクワクするような始まり方である。

 ニワトリたちを率いるのはジンジャーというメスだ(ニワトリの卵を商売にしているのだから,その養鶏場にはメスしかいないのは当たり前)。彼女は,卵を埋めなくなった仲間が首をはねられて食べられてしまうことを知り,柵の向こうに脱走し,自由に暮らそうと考えたわけだ。しかし,その計画はことごとく失敗する。もう空を飛ぶくらいしか思いつかないが,自分たちニワトリは飛べないのだ。

 そんな時,空を飛んでいる一羽の雄ニワトリのロッキーが養鶏場に墜落するという事件が起こる。ニワトリだって空を飛べるということを知り,ジンジャーはロッキーに飛び方を教えてもらい,皆で脱走する計画を立てる。一方,養鶏場の経営者は卵を細々と売っていては大もうけできないことから,ニワトリを一瞬にしてチキンパイにする機械を買い入れ,ニワトリたちをパイにして売ることを考えていた。果たしてジンジャーたちはパイにされる前に脱走できるだろうか・・・というのが大体のあらすじ。


 《大脱走》を基にしているだけあって,《大脱走》の有名なシーンが次々と使われているらしいが,私はこの映画,大昔に見た記憶しかないため,どこがパロディーになっているかは残念ながらわからない。そのため,《大脱走》を抜きにして《チキンラン》のみについて感想を書くことにする。

 この映画の評価は「クレイアニメとは思えない」とか「クレイアニメでここまで描けるのか」とか,クレイアニメであることを前提にしての評価は高いのだが,映画としてはあまり面白くないことは前に述べたとおりである。ストーリーが平板で,真ん中のあたりでダレてしまうし,説明不足というかあまりに非現実的な部分があるからだ。


 まず,「飛んで逃げる」という脱出方法はいいとしても,それが無理なことは映画の中で何度も説明されているのはすごく気になった。「私たちニワトリは飛べるような体ではない」と眼鏡ニワトリちゃんが何度も説明しているし,「飛ぶためには推進力が不足している」こともこの眼鏡ちゃんが早くから指摘している。原理的に不可能ならば,ここで飛ぶ以外の脱出方法を考えるはずなのに,なぜかジンジャーは飛んで逃げることに固執するのだ。ロッキーに飛ぶ訓練を受けても全然効果がなく,理論的にも飛べないとわかっているのに,なぜか,ロッキーが飛ぶ姿を見せてもらえば飛べるようになるはずと,かたくなに信じているのだ。このあたり,論理の破綻がはっきりしているので,単に依怙地になっているだけに見えてしまう。

 それと,最後の脱出方法も無理がありすぎ。《大脱走》を下敷きにしているのなら,地下道掘削方式を最後までやり通したほうがすっきりしたのではないかと思う。木造の人力(鶏力?)飛行機で,しかも人間が一人ぶら下がって飛ぶかよ,ギャグにしてもちょっとなぁ,という気がする。

 それと,養鶏場の経営者(この映画の悪役)も商売のセンスが全くないよね。ニワトリをすべてチキンパイにしてその後どうするつもりだったんだろうか? パイが売れてしまったらもうそれでお終いじゃん。しかも,あれだけ大掛かりなパイ製造プラントを買ったり,ニワトリたちに倍の餌を食べさせたりして,元が取れるわけがないよ。こんなバカな経営者はいないって。

 それと,主人公のニワトリたちが,ちっともニワトリに見えないんだよ。確かに,お菓子の「ひよこ」に似ているといえなくもないけど,あまりに下半身肥大体型なんで,飛ぶどころか走るのも難しそうだ。これじゃ初めから飛べそうにないもんなぁ。


 ちなみに,《チキンラン》というタイトルはいいと思うが,吹き替え版でニワトリたちが自分たちのことを「チキン」と呼ぶのはおかしいと思う。 chicken は鶏肉であって生きているニワトリではないからだ。食肉になる前のニワトリ(の雌鳥) chicken でなく hen である。これは豚肉は pork,飼っている豚は pig,牛肉は beef,飼っている牛は ox であるのと同じで,食肉はフランス語が語源,飼っている家畜の方は英語と使い分けているからだ。

 これは,1066年のノルマンの征服の時代にさかのぼる。この時期,もともといたイギリス人と,新しくやって来た(征服した)英国王・貴族であるフランス人に分離してしまい,(豚や牛を飼っている)労働者はイギリス人で英語を使い,(牛肉料理を食べる)支配階級のフランス人で料理をフランス語で呼んでいたことが原因らしい。

 ちなみに,ノルマンの征服以前の英語は「ほとんどドイツ語」で,動詞は複雑に格変化し,名詞にも女性名詞・男性名詞・中性名詞があったが,ノルマンの征服以後,動詞の変化は単純化し,名詞も「s をつけたら複数形」と単純化したらしい。その原因は,労働者が自分たち同士で言っていることがわかればいいよね,英語を単純にしたためといわれている。ちなみに,have, had, had, give, gave, given のような不規則動詞はノルマンの征服以前の古い英語時代から使われている動詞で,基本動詞に不規則変化するものが多いのは古くから使われてきた動詞であるためらしい(以上,『講談 英語の歴史』(PHP新書)より)

(2007/08/1)

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