《めぐりあう時間たち The Hours》 (2002年,アメリカ)


 この映画に対する評価は真っ二つに分かれるはずだ。一つは映画史に残る大感動作にして大傑作というもの,そしてもう一つは,何がなんだかよくわからない暗くてつまらない映画,という評価の二つだ。両者を分けるものは唯一つ,ヴァージニア・ウルフを知っているかどうかだ。彼女と彼女の作品を知っている人にとっては感動的な作品だと思うが,ウルフの名前は知っているが作品までは読んだことがないという私のような人間にとっては,まったく理解もできなければ感情移入もできなかった。登場人物たちが一体何を悩んでいるのか,その解決法はそれしかないのか,その悩みはわざわざ映画や小説にするほどのものなのか,それすら映画からは何も伝わってこないのである。

 私は事前に「この映画は3人の大女優が出演し,作家のヴァージニア・ウルフを主人公にしたものらしい」程度の知識で見始めたが,途中まで見ても映画の設定がまったく理解できなくて途方にくれてしまった。それでいて,3人の女優達の演技がうまくて台詞もなにげに意味深げに聞こえるため,見るのを止めるのもなんだか惜しいし,ちょっぴり悔しい気持ちもあって最後まで見たが,「結局この映画って何だったの?」という疑問符つきの感想しか残らなかった。

 ま,こういう映画というのは他にもあるわけで別に珍しいというわけでもないが,まったく前提知識がない人にもある程度はわかるくらいのサービスはすべきだと思う。しかもこの映画は3つの時代の出来事が一つの小説を軸に同時進行するのだから,最低限,「1923年○月○日午前10時」なんていう風に日時を画面に出すべきだと思う(・・・出てましたっけ?)。それがなければ,観客は「3つの時代の出来事だよ」という根本設定すら気がつかないと思う。「ヴァージニア・ウルフを知らない客なんて相手にはしてないのさ」,というのは作り手の勝手といえば勝手だが,それが許されるのは,非公開の仲間内だけの映画の場合じゃないだろうか。少なくとも,公開を目指す映画であれば,その映画で全て完結させるべきだ。「この映画がわからない人は,ヴァージニア・ウルフの小説を読んでからもう一度見ようね」というのは反則技である。


 で,今後この映画を見る人もいるだろうから,その人たちのための基礎知識をまとめる。

 まず,ヴァージニア・ウルフ(1882〜1941)はイギリスの女流作家,代表作として『ダロウェイ夫人』,『灯台へ』,『波』といった作品があるらしい。意識の流れを書いていくことで,真理を深く掘り下げるという作風だそう。

 この映画はこの中の『ダロウェイ夫人』を基にしている。この小説は,1925年に発表された長編小説で,第一次大戦中のロンドンを舞台にクラリッサ・ダロウェイという女性の一日の出来事を描いた作品である。そして,この小説を軸に3人の女性の各々の一日を描いたのがマイケル・カニンガムのベストセラー小説(1997発表)で,それを映画化したのがこの《めぐりあう時間たち The Hours》なのである。


 主要な登場人物は1923年のこの小説を執筆中のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン),1951年にロサンゼルスでこの小説を愛読する主婦のローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア),そして2001年,ニューヨーク在住の編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ),彼女はダロウェイ夫人と同じ名前である。それぞれの1日が交互に描かれる形で映画は進行している。

 で,この映画には3人3様の悩みが描かれているようだ。ヴァージニアは作品中の登場人物のどれを殺すかで悩んでいるようだし,ローラは完璧な妻を演じることに疲れ,うまくケーキが焼けないことに悩んでいるし,クラリッサは友人でありエイズ患者であるリチャードが文学賞を受賞したのはいいが,パーディーに出席してくれそうにないことを悩んでいるようだ。みんな悩みながら生きているんだなぁ,という感じの映画である。


 この映画はヴァージニアが入水自殺をするシーンから始まるし,実際,ヴァージニア・ウルフは1941年に入水自殺したらしいが,この映画を見る限り,彼女が死を選ぶ必然性は非常に希薄なのである。執筆中の小説の進行で悩むのはわかるが,それで死ぬか? 要するに説明不足なのである。

ま,人生は悩みの連続だし,悩みのない人間なんていないし,悩みの種はそこらに転がっている。そういう目で見ていくと,3人の悩みは各々わかるんだけど,どれもとっても小粒なんだよね。ケーキが焼けないことくらいいいじゃん,それよりもっと大きなことがあるだろ,って言いたくなるのである。ううむ,この程度でベストセラーになっちゃうのかなぁ?

 説明不足といえば,ローラと彼女の息子の関係もよくわからないのである。最初,この息子が全然喋らないため,そういう設定なのかと思ったが,そうでもないし,ローラと息子の関係が微妙というか,本当の母子でないようにも見えてくるし,途中で息子が泣いて追いかけるシーンも意味不明。要するに,世界観がまったく伝わってこないというか,世界観を伝えようとする作り手側の努力が皆無なのだ。

 原作のカニンガムの小説に忠実ということだし,それを知っている人にはわかりやすい映画かもしれないが,それがわからない人間にとっては,ローラとクラリッサのエピソードがちょっと邪魔な感じだ。ヴァージニア・ウルフ一人の生涯や創作活動だけに的を絞ってくれた方がわかりやすかった気がする。


 それと,最悪なのがフィリップ・グラスの音楽だ。グラスは現代アメリカの作曲家で,スティーブ・ライヒとともにミニマル・ミュージックの大家であったが,その後,次第に複雑な作風へと変化した人であり,多くの映画音楽も作曲している。この映画でもピアノを主体とした美しい曲が画面に添えられているが,ここぞというシーンでうるさ過ぎるのである。画面を盛り上げるというより,音楽のほうが勝手に盛り上がっている感じなのだ。以前,何かの料理漫画で,ソムリエが料理を無視して自分が薦める最高のワインを客に紹介する,というシーンがあったが,それに近い感じである。


 というわけで,この映画はヴァージニア・ウルフのファンでマイケル・カニンガムの小説を読んだことがある人向けであって,最低限,『ダロウェイ夫人』は読んでおかないと,何がなんだか判らないと思う。

 ま,3人の女優さんたちの演技が感動的に素晴らしいので,それだけで満足できる映画ファンにはいいのかもしれないけれど・・・・。少なくとも私にとっては,楽しめる映画ではなかった。

(2007/08/13)

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