《ナイロビの蜂》 (2005年,イギリス)


 冒険スパイ小説の巨匠,ジョン・ル・カレの同名小説を元にして作られたサスペンス映画。綿密に丁寧に作られているし,次第に謎が明らかになる過程もわかりやすい方だし,後半の緊迫したサスペンス・シーンの連続はとてもよくできている。そして,製薬会社がケニアのナイロビで行っている新薬の人体実験という悪を抉り出している力作だということもわかる。

 だが,全体が作り物っぽ過ぎるというか,本当なのかなぁという感じが強すぎ,「これは真実なのだ」と画面が力説すればするほどなんとなく嘘っぽさを感じてしまう。ジョン・ル・カレの作品は昔いくつか読んだだけで,この映画の原作は読んでいないが,これは多分,「米ソ冷戦のない時代のスパイ小説をどうするか」という問題と無縁ではないような気がする。


 20世紀の最後,ソビエトという国家,そして社会主義が崩壊したが,それで一番困ったのはスパイ小説の作家だという笑い話があった。何しろこの業界では,ソビエトとKGBの陰謀をメインテーマにしてあとは設定を変えるだけで幾つでも小説が書けていたのである。善玉と悪玉がはっきりと分かれていたから書く方も読む方も悩みが少なかった時代だったと思う。それがいきなり,敵役というか悪玉が一方的に消えてしまったのだ。スパイ小説作家が一挙に失業の危機に直面してしまった。何しろこの業種は,国家レベルの陰謀とか,国家を超えた謀略組織とか,そういうのがあることが前提になっているからこそ成立していたわけで,敵役が強大だったからこそ,「そんなのありえなぇ〜!」という設定も許されたのだ。同時に,「巨大組織の陰謀」が相手だからこそ,それに抵抗する一個人がいかにスーパーマン的に活動しても,なんとなく許されたのである。そういう「安全パイ」がいきなり消滅してしまったのだ。

 かといって,「巨大組織の陰謀に立ち向かう一個人の抵抗」という慣れ親しんだスタイルを放棄するのも大変である。そこでこの映画の元になった小説の場合,「大規模な国家的陰謀がないのは困ったなぁ。なければ自分で作るしかないよなぁ。取りあえず,巨大企業の陰謀とかにするか」と書いた小説だったんじゃないだろうか。それに従来作品同様のアクションと謎解きを加味すればあとは小説として仕上げるだけだ。実際はどうか知らないが,少なくともこの映画の画像からはそういう裏側が透けて見えてくる気がする。


 舞台はケニアのナイロビ,主人公はナイロビに赴任した英国外務省一等書記官のジャスティン。物事に深く首を突っ込むことをせず,他人と争うことを避けて事なかれ主義で生きていて,ガーデニングにしか関心がない。一方,彼の若い妻テッサはアフリカでの救援活動に熱心で,国境なき医師団の黒人医師,アーノルドと一緒にスラム地域にも危険地域にも積極的に入り込んで活動していた。彼女がどんな活動をしているのかについてジャスティンは無関心だった。

 しかしある日,彼女の乗ったジープが横転しているのが見つかり,彼女の無残な死体が発見される。当初,ナイロビ警察の発表では,テッサをアーノルドが襲おうとして抵抗されて殺したと発表されたが,数日後,アーノルドの死体が発見される。激しい拷問の末に殺されていた。そして,警察がジャスティンの自宅を捜索し,テッサの使っていたパソコンとフロッピー,CDなどが全て持ち出されてしまう。

 テッサの死に不審を抱いたジャスティンはようやく行動を起こす。わずかに残された手がかりから彼は,ある製薬会社が結核治療薬の新薬を開発し,ナイロビのスラムで住民たち相手に人体事件をしていることを突き止める。テッサはその実態を詳細なレポートにまとめ,世界に公開しようとしていたのだった。

 ジャスティンは無期限長期休暇を命じられて本国に戻るが,英国の入国管理所で偽造旅券の疑いでパスポートを取り上げられてしまう。彼は何とかしてテッサと一緒に活動をしていた人たちに連絡を取るが,「おとなしくしなければ,奥さんの次は君の番だ」という脅迫文が届き,彼の身にも危険が迫っていることを知る。しかし彼は事件の真相を探るために,偽名による偽造パスポートを手に入れナイロビに戻り,そこで驚愕の事実を知る。しかし,すべてを知った彼の元には刺客が差し向けられていた・・・というあらすじの映画である。


 まず納得できないのが,悪役である製薬会社の方針だ。国際赤十字から配給されたエイズ治療薬を住民に渡さずに横流しし,新薬の結核治療薬を会社で作った診療所でエイズ治療用と騙して飲ませ,副作用発症状況を調べる,というのはありかなと思うし,多数の死者(映画では63名)が出てもナイロビのスラムならうやむやにもできるだろうし,人体事件の場としてはありうる話だ。だが,そのデータを握りつぶして新薬を発売するとなったら話は別だ。

 いくら「重篤な副作用は認められていない」と発売したところで,実際の患者に使えば死者は出るだろうし,それが先進国での死者ならすぐに医学会やマスコミで問題になり,この薬は危なくて使えないと判断されるはずだ。となれば,売り出したとしてもすぐに販売中止となるだろう。
 映画の中でこの製薬会社は「販売開始を遅くすれば損失になるだけだ。開発をやり直すより,副作用データを握りつぶして販売開始すべきだ」と言っているが,こういう判断はいくら悪徳製薬会社でもしないはずだ。先進国で死者が続出すれば,開発費を回収できないうちに販売中止になるからだ。まずこの時点でこの映画は失格だ。

 次に,真相に気づいたジャスティンの行動が監視カメラなどで執拗に監視される部分。これをやろうと思ったら,おそらく英国警察そのものとか,あるいはそれ以上の規模の組織が必要になる。テッサの従兄弟(テッサの行動を助けている組織の一員)がジャスティンに「飛行機に乗るな。クレジットカードも使ってはいけない」とアドバイスするシーンがあるが,相手はいかに大きいといっても一製薬会社である。「ジャスティン名義のクレジットカードがこの店で使われた。この店に直行して連行しろ」とできるわけがないと思う。ましてや,駅や空港などの監視カメラで逐次監視するとなったら,どれほど巨大な組織が必要だろうか。いくら画期的新薬といっても,その組織的監視システムを維持できる製薬会社などありえない。


 そして一番の疑問点は,なぜテッサがジャスティンと結婚したかだ。テッサとジャスティンが仲良くなる過程はいいとしても,彼と結婚する必然性に乏しい。小説ではどう描かれているか不明だが,この映画だけを見ると,テッサはジャスティンに会う前から社会活動をしているようだし,その時点で製薬会社のナイロビでの不正な人体実験を探っていたとしたら,彼との結婚は単に,ナイロビに侵入して外交官の妻として行動しやすい地位を得るための手段・偽装結婚だったということになる。もちろん,途中でテッサは妊娠して出産(死産に終わるが)したのだから,活動するのに不利な妊娠をするのは不自然であることは認めるが,それでもジャスティンとの結婚はなんだか腑に落ちないのである。

 ラストのジャスティンの決断もちょっとなぁ,という感じだ。テッサが集めた証拠を手に入れたわけだし,後はそれを公開するだけだ。いくら巨大製薬メーカーといっても,マスコミ全てを牛耳っているわけではないし,赤十字を通じてデータを公開するという手もある。確かに自分が殺されてしまえば,一等書記官が殺されたわけでマスコミが注目するだろうから,自分の葬式の場を利用して知人に事件の真相を話してもらう,という計画だったのかもしれないが,この計画には致命的な欠点があるのだ。公的には彼は英国から出国していないからである。

 正式のパスポートは取り上げられ,持っているのは偽造パスポートだ。つまり,彼がナイロビで銃殺されたとしても,どこの誰とも知れない白人として処理可能だ。まして,最後の場面の湖は「ワニしかいない」のだ。証拠隠滅は簡単だろう。だったら何もあそこで殺されるのを待つ必然性はないと思う。その直前のテッサの回想シーンはきれいだけど,説得力は全然ない。


 このように考えてみると,取り上げているテーマ自体は悪くないのだが根本のところで杜撰な映画ではないかと思う。あまりに非現実的すぎるんですよ。

(2007/08/03)

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