正味85分強の映画ですが,すべてはラスト10分間のためにある映画です。その10分間は強烈で衝撃的で,しかも美しくて鮮烈です。特に最後の5分間が言葉を失うほど素晴らしいです。多くの映画を見てきましたが,この「ラスト10分間」の映像の衝撃性は群を抜いています。
もちろん,「なんで,私は何が何でも娘を守る」,という言葉で終わらなかったのか,あのラストはあれで本当にいいのか,という言葉が口から出かかっていますが,そういう疑問符付きでも十分に感動しました。
ただ,そこに至る75分間が拷問のようにつまらないです。主人公の独善的,自己弁護的な独白ばかり続くし,救いようのないほどの粗暴で無計画な主人公の行動は見ていて辛いし,その合間に何度も挟まれる銃声のような効果音は耳が痛くなるほどの音量で,鳴るたびに神経がいらついてきます。要するに,これでもか,これでもかと不愉快な要素が詰め込まれているのです。おまけに,ストーリーの行き先が全然読めません。どこに向かおうとしている映画なのか,最後の5分にならないとわからないというのは,見ている方にも辛い物があります。
そしてご丁寧に,ラスト15分くらいのところで,「映画館から立ち去るなら今が最後のチャンスだ。あと30秒以内に映画館を出た方がいい」という文字が映し出されて,「30・・・29・・・28・・・27・・・」とカウントダウンが始まり,ラスト5秒ではなんと,「Danger, Danger, Danger」と真っ赤な警告と非常用警告音が鳴り響くのです。正直,ここで見るのを止めようかと思いました。
でも,我慢して見続けてよかったです。
主人公は,第二次大戦で両親を失った50歳の男。彼は食肉を扱う仕事に就き,馬肉を専門にしています。やがて店を持ち,一人の女性と出会って結婚して娘が生まれますが,妻は程なく家を飛び出してしまいます。何とか娘を育て上げますが,娘が乱暴されたと勘違いしてアラブ人の顔を刃物で刺し,刑務所に入れられ,娘は施設に送られます。
馬肉屋は出所しますが馬肉屋の仕事は見つからず,生きていくためにカフェの女主人と肉体関係を持ち,彼女の生まれ故郷の田舎町に移ります。しかしそこでも仕事はなく,仕事をしないことを女性にもなじられ,ついに妊娠中の彼女腹部を殴って流産させ,パリに逃げ帰る羽目になります。
しかし,彼の手元にあるのは300フランと拳銃が一丁だけ。仕事を探そうとして昔の仲間のつてを頼りますが,かつて羽振りがよかった仲間も今は全財産を失い,年金暮らしです。もちろん,食肉関係の仕事を探しますが仕事は見つかりません。彼は次第に追いつめられ,自分がこの世に生きてきた唯一の証である娘(口がきけないらしい)を施設から連れ出すことを決意します。
とにかく,主人公の50歳親父の目が尋常ではありません。危ないです。世の中の仕組みを呪い,自分の仕事を奪ったアラブ系移民を呪い,自分のクソみたいな人生を呪い,愛人であるカフェの女主人を呪い,彼女の母親を呪い・・・と,ありとあらゆる人間に対する禍々しいばかりの呪詛の言葉が延々と流れ出ます。アラブ人に対する人種差別の意識も強烈だし,ホモセクシャルの男に対する軽蔑感も隠そうとしません。それがまた,周囲との軋轢を激烈なものにしていきます。おまけに,自分の子供を蹴り殺したというのに,罪の意識は微塵もありません。彼の口から出るのは,狂気のような他人への呪詛であり,自分を正当化する言葉だけです。
そして,それに輪をかけるように,背景となるパリの街並みが殺伐,寒々としていて,彼の心の暗闇をさらに深くします。糞壷のようなパリで,糞よりドロドロした主人公の恨みつらみの負の情念が吹き出します。悪いのは世の中であって自分でない,と自分を正当化する主人公の独白が繰り返されるたびに,観客はどんどん不愉快になっていきます。
そして,主人公の置かれる境遇はどんどん逃げ場がなくなり,収入を得る手段も全く見つかりません。せめて自分が生きた証として,残った拳銃の弾3発のうち2発で気にくわない奴を殺し,最後の1発で自殺するくらいしか道は残っていません。そうすることでしか,自分の存在を証明できない主人公の的外れの憤慨が,不愉快さをより増大します。
そして,ラスト10分間に到達します。最初の5分間は目を覆わんばかりの凄惨なシーンが続きます。さまざまな言葉が順不同で主人公の脳裏に浮かんできます。悔悟と自己弁護と自己憐憫と自己正当化の言葉が交錯します。まさに狂気のようなシーンが続きます。10分前の「映画館を出るなら今!」という警告がジョークでなかったとを思い知らされます。こんなひどいシーンを見せられるなら,映画館を出ればよかった,と誰しも思うはずです。それほど酷い5分間です。
そしてラストの5分間に奇跡が起こります。
(2007/06/29)