《dot the i》★★★(2003年,イギリス/フランス)


 観客騙し系,ともいうべき綿密に組み立てられた異色のラブロマンス+サスペンス映画。かなり面白いと言っておこう。まだ見ていない人にはちょっとオススメしちゃいます。

 とは言っても,紹介するのが非常に難しい映画だ。ストーリーを紹介しようにも明かすことができるのは最初のほうだけで,それ以後の展開を紹介しようとすると,どうしてもあの最後の「大どんでん返し」に触れざるを得なくなるし,それを書いてしまうと映画の面白さが半減以下になってしまう。要するにこの映画は最初の1回目の出会いが全てなのだ。繰り返して見たとしてもせいぜい2回だろう。この系統の映画の難しいところだと思う。

 ちなみにこのタイトルは,慣用句の“dot the i's and cross the t's”からきているらしい。「it は似ているから,i にはちゃんとドットを打ち,t はきちんと横棒を引こうね」という意味の慣用句で,「最後まで気を抜くな,画龍点睛を欠いてはいけない」という意味のようだ。なるほど,勉強になるなぁ。


 というわけで,ネタばらしにならない程度にストーリー紹介。

 ロンドンに暮らす若くて美しいスペイン女性のカルメンには,ストーカーと化した恋人から暴力を振るわれてスペインを逃げ出したという過去がある。しかし彼女はロンドンで優しい男性,バーナビーと出会い,ついに彼から結婚を申し込まれる。しかも彼は大金持ちで郊外の邸宅に暮らしていて,まさに玉の輿だった。

 そんな彼女を祝福するため,女友達達が "Hen Night Party" をレストランで開いてくれる。女性だけの独身最後のパーティーだ。そしてウェーターから「フランスには,独身最後のパーティーで夫になる男以外にキスをすると幸せになれるという言い伝えがあります。ここに居合わせた男性の中から一人選んでください」と告げられる。ワインの酔いもあり,カルメンは一人の男性に情熱的な目を留め,彼とキスをする。単に遊びのキスのはずが,その男はカルメンを愛してしまい,彼女に付きまとい始める。男を拒否しようとするカルメンも,彼が夫となるバーナビーにない魅力を持っていることに,次第に惹かれていく。だがそれは,物語の始まりでしかなかった・・・。

 ううむ,ここまでしか書けないぞ。


 これだけ読むと,単なる三角関係映画でしょ,ということになるが,物語はそこから思いも寄らない方向に進んでいく。彼女の身辺に,彼女を見張っているかのような不気味な気配が漂い始め,人間関係はどんどん緊迫していく。しかも,ハンディカメラで撮影されたビデオ画像が随所に挿入され(実はこれが全体の謎解きの手がかりとなる),それが何を意味しているのかがわからない。

 そして物語はどんどん暴走していき,悲劇の頂点で真実が明かされる。しかしそれすらも,幕開きに過ぎないのだ。最後の3分間で全てが明かされるが,恐らくそれを最初の1回の鑑賞で見通すことは不可能だろう。その意味で,実に見事な脚本だと思う。


 金持ちのバーナビー(ジェームズ・ダーシー)とブラジル系イギリス人のキット(ガエル・ガルシア・ベルナル)の対比がすごい。身長が頭一つ以上違うのだ。もちろん,身長が高いのは金持ちのほうだ。キットとは所詮育ちが違う,という感じだ。そのためか,バーナビーは優男だが人間的魅力に乏しく,誰が見てもキットの方が魅力的だ。カルメン(ナタリア・ベルベケ)がバーナビーに物足りないものを感じ,それを埋め合わせるようにキットに惹かれていくのはとても自然だ。だが,この性格設定すらも伏線なのだ(・・・うわあ,ばらしちゃったよ)。その意味で,バーナビーを演じるダーシーの演技は見事だ。

 それに対するキットを演じるガエルも魅力的だ。以前紹介した《アモーレス・ペレス》の第一話を見事に演じた俳優さんだ。初々しいセクシーさというか,ちょっと野生児みたいな魅力があって,バーナビーのどこか植物的な印象と好対照である。

 そして何より,カルメン役のベルベケがいい。彼女も《アモ ーレス・ペレス》第二部でスーパーモデル役を演じた人だったと思 うが,絶世の美女じゃないんだけど,表情の一つ一つが魅力的で, 内側から吹き上がってくる生命力が画面全体から伝わってくるのだ。 しかも,感情の起伏が激しく,考えるより先に男にパンチを浴びせ る様子は,カルメンという名にぴったりという感じだ。彼女が画面 に姿を現すだけで,ぱっと花が咲いたような華やかさがある。


ベルベケとガエル


 というわけで,まだ見ていなかったら見て損はないと断言する。1時間半,たっぷりと楽しめるはずだし,最後の結末は爽快でカタルシスが得られるはずだ。細部を見ていくとご都合主義の展開は多いが,気になるほどではないと思う。

 だが,深い感動があるというタイプの映画ではないし,全体像がわかったからといって深みが増す映画でもないため,一度見て気がつかなかった細部の仕掛けや伏線を確認するために繰り返して見るということはあっても,三度目はないだろう。このタイプの仕掛けがメインの映画,謎解きがメインの映画の限界である。

(2008/08/26)

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