《4分間のピアニスト》 ★★★★★(2006年,ドイツ)


 唯一の趣味がピアノということで,これまで数々のピアノ関係の映画を見てきたが,この映画ラストの演奏ほど衝撃的なものはなかった。この部分だけ何度も見直してしまった。どれほどすごいものかはYouTubeで見られるのでご興味をお持ちの方はまず見て欲しい。超弩級の迫力である。


 ステージに上がった主人公はピアノの椅子の高さを調節し,椅子に座り,シューマンのイ短調コンチェルトの第1楽章(ソロ用編曲で演奏時間が4分間ということなので,恐らく,グレインジャーの編曲だろう)を弾き始める。感情のこもったいい演奏だ。第1主題から経過句に入ろうとしたその瞬間,ピアニストは不意に立ち上がり,いきなり弦を右手でかき鳴らす(専門的には内部奏法という)。突然の凄まじい不協和音に会場全体が凍りつく。

 何事もなかったのように右手の美しいアルペジオを伴った経過句に入るが,突然,弦を手で叩き,両手でハープでも弾くように弦を弾く。そして右手,左手,そして右手の手掌で低音鍵盤を強打。凄まじい不協和音。そしてその余韻も醒めぬうちに,両手で激しいリズムを刻む。高音にメロディーの断片が聞こえたかと思うと内部奏法が加わり,それが続いた後,不意に足踏みが始まり,手で譜面台を打楽器のように叩いてリズムを取り,そのリズムのまま左手のこぶしで弦を叩き出す。

 そしてまた鍵盤に戻り,右手の猛烈な超高速パッセージが鍵盤を荒れ狂う。そして閃光のようなグリッサンドがあり,アルペジオの奔流と続く。ピアノが全身で歓喜する。そしてまたも低音弦の強打で中断。低音側からピアノの左側面に移動したピアニストは,今度は共鳴版を両手でたたきリズムを取る。ピアノから出るありとあらゆる音が試され,楽器としてのピアノのあらゆる能力が引きずり出される。そのリズムのまま鍵盤に戻り,最低音鍵盤のこぶしの強打で演奏は終結する。押さえつけていたマグマが一気に噴出すような,奔流のような演奏がついに終わる。異様に濃密な「4分間」が終わる。

 聴衆は凍りついている。何が起こったのか,それが何なのか,それは音楽なのか,音楽ではないのか・・・。聴衆たちはお互いに顔を見合わせるばかりだ。

 その静寂を一人の観客が拍手が破る。やがてそれは会場全体に広がり,スタンディングオベーションが舞台のピアニストを包む。

 ピアニストは2階席の一人の老女に向かい丁寧に優雅にお辞儀する。老女の目に涙が浮かび,口元は微笑んでいる。だがその時,警官が駆け寄りピアニストの手に手錠をかける・・・。


 クリューガーは1917年生まれの老女。若き日の彼女は卓越したピアニストとして有名で,フルトヴェングラーの薫陶を受けたこともあるが,なぜか刑務所で囚人相手にピアノを教えていた。そこで一人の少女が熱心に机でピアノを弾く真似をしていることに気付く。その指の動きは自分の弾くモーツァルトの「イ長調ソナタ」を完璧に追っていた。只者ではないと見抜いたクリューガーはその少女ジェニーにレッスンをつけようとする。
 だが,ジェニーはバラバラ殺人の犯人であり,歯止めを知らない暴力を常に周囲に振るっていた。同室の少女が首吊り自殺をしたというのに,そのポケットからタバコを盗むようなクズだった。狂った野獣のような心を持つ少女だが,彼女の指は至純のシューベルトを生み出す。ピアノに向かった野獣は完璧なテクニックで抑制の効いた見事な演奏をする。

 クリューガーは頑固一徹のピアノ教師だった。モーツァルトやベートーヴェンといった古典派の音楽しか音楽として認めず,それ以外の音楽は彼女にとって取るに足らない低俗なものだった。古典派ピアノ曲を典雅に演奏できるジェニーだったが,彼女の心はもっと荒々しいリズムを求めていた。当然二人は衝突する。


 そして,ジェニーとクリューガーの凄絶な過去がやがて明らかになっていく。天才ピアノ少女として数々のコンクールに入賞していたジェニーだが,モーツァルト少女として売り出そうとする養父との間に軋轢が生まれ,ある事件が起き,付き合っている男が殺人を犯し,彼をかばうために殺人犯として名乗り出てしまったのだ。
 一方のクリューガーは同性愛者で一人の女性を愛するようになったが,彼女は共産主義舎だった。生き延びるためにクリューガーは恋人を裏切り,彼女はナチスの収容所で処刑されてしまう。それ以来,彼女の心は冷たく凍りつき,音楽以外のあらゆるものから心を閉ざし,新しい音楽にも関心を持てなくなる。彼女の心は戦争後も収容所に縛り付けられている。そして収容所後に立てられた刑務所で一生を終えようと心に決めたのだった。

 強圧的態度で自分の信じる音楽の型にはめようとレッスンをするクリューガー,それに反発し反抗しつつも美しい音楽を奏でるジェニー,レッスンシーンは息を飲むほどの緊迫感だ。全く通じるもののない二人だが,その心はわずかずつ時間をかけて歩み寄っていく。お互いの過去を知ることで相手を理解しようとしていく。


 コンテストに出場したジェニーは圧倒的な成績を収めるが,ちょっとしたことで感情を爆発させ,暴力を爆発させる性向はそのままで,看守に重傷を負わせてしまう。彼は当然,ジェニーに恨みを抱いている。しかしジェニーには謝罪の気持ちはない。

 最終コンテストが近づくが,看守の仕組んだ罠から同房の囚人たちとの乱闘を起こし,またも怪我人を出してしまう。これで彼女が刑務所から一時的に外に出てコンクールに出場することは不可能になり,彼女をかばったクリューガーも辞職させられてしまう。八方ふさがりのその状況で,クリューガーはジェニーに演奏させるため彼女を脱獄させることを決意する。

 何とか舞台に上がったジェニー,逮捕しようと配備につく警官たち。そしてクリューガーは4分間待ってくれと乞う。その時,シューマンのコンチェルト冒頭の悲劇的和音がホールに響いた。


 ジェニー役を演じるのは1200人ものオーディションでただ一人選ばれた無名の新人,ハンナー・ヘルツシュプルング。彼女は6ヶ月間のピアノの特訓を受け,さらに殴るシーンをよりリアルにするために,ボクシングの練習も重ねたという。映画中での演奏は後述のように別人だが,「最後の4分間」の演奏を見ても,彼女自身が演奏しているかのような見事な指の動きを見せていて,ほとんど違和感はない。実に見事なものだ。そして,凄まじい過去の経験から誰も信じようとせず,暴力のみで外の世界と繋がろうとする狂犬にして,類まれなピアニストという難しい役を完璧にこなしている。「圧倒的な存在感」という手垢にまみれた表現しか思いつかないのが実に悔しい。
 対するクリューガーを演じるのは,ドイツの国民的大女優,モニカ・ブライブトロイ。これまた見事な演技で実年齢の20歳以上の老女の頑迷さとその裏にある辛さを表現しきっている。

 最後の4分間の演奏が終わり,舞台のジェニーはクリューガー先生に向かって優雅にお辞儀する。自分が絶対に認めてこなかった音楽を演奏してしまったジェニーだが,そんな彼女を先生は認める。「これが自分だ,こう演奏するのが自分だ,自分はこう演奏したいのだ」というジェニーの魂の咆哮と迸る生命力溢れる演奏に,音楽の持つ原初的美しさがあることを理解したのだろう。そして同時に,クリューガー自身も数十年にわたる心の牢獄,記憶のくびきから初めて開放される。それが最後のシーンでの彼女の涙と微笑みなのだと思う。


 ちなみに,あの驚愕の4分間の演奏をしているのは日本人ピアニストの白木加絵さんである。どうやら,「レ・フレール(超人気ピアノデュオ)の師匠の息子さんの奥様」という方らしい。残念ながらYouTubeでは演奏は掲載されていないが,実演を見てみたいと心底思う。同様に,映画の中で演奏される曲のうちで,何度も演奏されて中心的な役割を果たしているのがシューベルトの『即興曲 作品142の2 変イ長調』だが,これを演奏しているのも日本人で木吉佐和美さんという方だという。ゆっくり目のテンポで丁寧に歌い上げ,長く心に残る演奏だと思う。

(2008/07/03)

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 そのシューベルトの『即興曲 変イ長調』についてちょっと。この曲は私も大好きな曲であり,今でもよく弾いている。そしてこれは私にとって「告別の曲」だ。往年の名ピアニスト,ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus,1884〜1969)が死の1週間前の演奏会の最後に演奏した曲だからだ。中学になりたての私はたまたまFMでこの演奏を聴き,とりこになった。それ以来,この曲は特別な曲になった。

 バックハウスはベートーヴェン⇒ツェルニー⇒リスト⇒オイゲン・ダルベールと続くドイツピアニズムの正統の後継者だった。若い頃は超絶技巧をブイブイ言わせた演奏もしていたが,その後はベートーヴェンを中心に,一点一画もおろそかにしない謹厳実直な演奏をし,後年はそれに人間的な深みが加わり,まさに不世出のピアニストだった。室内楽に加わることはあったが,その演奏の主な場は協奏曲とピアノソロに限られ,若い頃には幾つかのアレンジも作曲したが(ちなみに私はそのほとんどの楽譜を所有している),それはごく初期に限られていた。また,弟子を取ることもなく,死ぬまでピアニストに徹していたと思う。

 そして,1969年6月末,85歳のバックハウスはある修道院教会の再建記念コンサートに参加する。コンサートはベートーヴェンの『ワルトシュタイン・ソナタ』で幕を開け,シューベルトの『楽興の時』,モーツァルトの『イ長調ソナタ・トルコ行進曲つき』と進み,ベートーヴェンの『ピアノソナタ第18番 変ホ長調』と続く予定だった。しかし,このソナタの第3楽章で彼の体に異変が生じる。以前からの持病の心臓発作だ。「少し休ませてください」と弱々しい声で聴衆に告げ(この悲痛な声はCDでも聞き取れる),彼は一旦控え室に戻る。主治医が駆けつけるが,これ以上演奏を続けたら命が危ないと宣告する。まして,『ソナタ第18番』のフィナーレは体力を必要とする無窮動タランテラである。「鍵盤の獅子王」と呼ばれていた豪腕ピアニストもさすがにこのソナタを最後まで弾き通す事はできなかった。

 しかしバックハウスは自分の演奏を聞きに来てくれた聴衆に珠玉の1曲をプレゼントする。シューマンの『夕べに』である。静かな夜のしじまを描いた静謐な名曲である。曲を終え,大きな拍手の中で彼はもう一曲弾く。体調が極めて悪いことはおそらく彼自身が一番よくわかっていたはずだ。もうステージに上がる事はないかもしれない。もう鍵盤に触れることはできないかもしれない。これが最後の演奏かもしれない。

 その最後の一曲に彼はシューベルトの『即興曲 変イ長調』を選ぶ。穏やかなメヌエット調のリズムに乗せて,息の長いメロディーが朗々と流れる。流麗な3連符が連続する中間部を経た後に主部に回帰し,数小節の短いコーダで終わるが,バックハウスはこの数小節に万感の思いを込める。音楽の神,ピアノの神に最後の感謝をし,聴衆に最後の別れを告げ,この曲の最後の和音とともに舞台から姿を消す。そしてそのまま病院に収容され,7日後,帰らぬ人となる。享年85,彼は死ぬ直前までピアニストであり続けた。

 なお,この演奏会の一部始終はポリドールから『バックハウス: 最後の演奏会(Wilhelm Backhaus: Sein Letztes Konzert) 』としてCD化され発売されていた。