新しい創傷治療:ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド

《ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド》 (2005年,イギリス)


 ロックを素材にした素晴らしい傑作映画にして感動作。特に1970年代のロックが好きな人には必見と言っておこう。私好きなジャンルの映画なんだけど,映画の基本設定の部分が医学的におかしいため,それが最後まで気になってしまった。理由は最後にまとめて書くけど,そういう専門的ツッコミが嫌いな人は読まないで欲しい。

 映画は結合体双生児,つまり,体の一部がくっついて生まれた双子(私らの世代ではベト君,ドク君ですね)がロックスターの座に駆け上り,栄光の頂点で破滅を迎えるまでの経過をドキュメンタリー・タッチで描いた異色作でもある。1970年代半ばのロックを知っている人なら,聴衆に挑みかかるような歌の迫力と歌われる曲の素晴らしさに酔いしれるはずだ。

 そして,結合体双生児を演じるのは,ルークとハリーのトレッダウェイ兄弟だが,実際にバンド活動をしているとのことで,しっかりとしたロックになっていて,何より,この二人の妖しいまでの美しさ! ドラッグに溺れながらも歌い続ける凄絶な表情が圧倒的で,狂気すれすれの演奏を恐ろしいまでの迫真性で演じている。


 1975年のロンドンに彗星のように出現し,一気にスターダムを上ったロックバンドがあった。ボーカルのバリーとリードギターのトムが率いているバンドだが,この二人は結合体双生児であり,胸で結合していた。肝臓を共有しているために切離術は困難を極めるために,二人はその状態のまま成長したのだった。人里離れた家で育てられた二人だったが,見世物にしようともくろんだプロモーターに引き取られる。しかし,一本のギターが与えられたところから二人に音楽の才能があることが見出され,異形の二人を中心としたロックバンドが結成された。ライブハウスに登場した二人の異様な姿に罵声が浴びせられるが,バリーの圧倒的な迫力の歌声が流れた時,ライブハウスはその歌声に圧倒され,熱狂に包まれる。「美しき結合双生児」が率いるバンドは更なる熱狂を生み出し,彼らは次々と新しい曲を発表していく。彼らがブリティッシュ・ロックの頂点に君臨するまで数ヶ月もかからなかった。

 しかし,一人の女性ジャーナリストが彼らに近づいた頃から二人の間に不協和音が生じてくる。双子の一人が彼女と親しくなり関係を持ってしまうが,もう一人はそれに反発する。やがてそれが感情的な対立になるが,それでも二人はひと時も離れることはできない。そしてついに,悲劇が訪れる・・・という映画である。


 この映画は,結合体双生児が生まれてから亡くなるまでの生涯を,ドキュメンタリー映画としてたどり,そして,彼らの生涯とその時々で関わった人間たちの証言を重ね合わせるという独特の構成をしている。だから,見るものはあたかも,このようなロックグループが実在したかのような錯覚にとらわれるはずだ。その手法はまさにドキュメンタリーそのものであり,双子の兄弟とそれを取り巻く人たちの存在感は,見るものに圧倒的な迫力で伝わってくる。

 しかし,そのような実在感を自ら否定するように,実はこれは実在した人物のドキュメンタリー映画ではないよ,作り物なんだよ,と種明かしする部分がこれまた何箇所もあるのだ。まさにそれは,実と虚の狭間を漂うような軽やかさである。随所に差し挟まれる意味不明だが美しいイメージともともに,地に足が着いているのに軽やかな浮遊感があるという不思議な感覚が,この映画の一つの魅力だろう。


 そして,結合体双生児を見事に演じきったトレッダウェイ兄弟の素晴らしい演奏と妖しいまでの美しさには誰しも圧倒されるはずだ。特に,最後の兄弟の顔の半分ずつが重なり合ってあたかも一つの顔のように見えるシーンの美しさは息を呑むほど美しく,妖艶ですらある。演奏も迫力満点で,特にボーカルが素晴らしく,まさに魂の叫びであり,命そのものが迸るような力を持っている。

 1975年頃のロック・ミュージックシーンといえば,グラムロックからパンクロックへの転換期だったと思う。デビュー当時の彼らの演奏スタイルと,最後の方のスタイルは明らかに異なっていて,後半ほど歌詞は難解になり,より破壊的なものとなっているのはそのためだろう。

 ちなみに,タイトルは《ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド》という奇妙なものだが,その「ブラザー」とは誰なのかは見てのお楽しみ。


 さて,ここで止めておけば普通の映画評論であるが,私は不幸にして体表先天異常を専門にしていた時期がある医者である。となれば,この映画についてもその観点から論じるのは性(さが)というか業のようなものだ。

 というわけで,感動を台無しにするような文章を読みたくなければ以下は読まないで欲しい。

 もう一度警告するけど,感動台無しにされたくなかったら絶対に読まないでね。


 さて,この映画の魅力は「結合体双生児」と「超美形ロック・スター」というありえない設定の登場人物を生み出し,しかもそれがあたかも実在していたかのようなドキュメンタリー仕立ての画像という圧倒的な実在感で描き,しかも,実際の演奏もそれを上回る素晴らしさである点にある。そのためには絶対に,「二人の体はくっついているが,別々に演奏できる」ことが必要となる。そのため,この双生児は右側腹部と左側腹部で結合させる以外にないことになる。具体的にいえば,二人の人間が肩を組んでいるような形になる。だからこそ,一方がギター,もう一方がボーカルという設定が可能になる。

 しかも,二人は絶対に切り離せないとしなければ映画にならないから(何しろ,二人の切り離しができたら普通のロック・グループになってしまう),「肝臓を共有しているために切り離す手術はできない」という理由付けが必要になるわけだ。

 だが,ここに根本的な誤り,計算違いがある。もしも本当に肝臓共有型の結合体双生児なら,から両者はともに右側胸部〜側腹部が後半に結合しているはずだし,恐らく,胸郭同士が強固に結合しているはずだ。だから,二人の体の位置関係はこの映画のような「肩を組むような」形になることは絶対にないのだ。もちろん,片方が内臓逆位で,というなら話は別だが,それこそ,「もっとありえね〜」話になってしまう。

 しかも,映画の画面に見る限り,二人の体の結合は皮膚性のもので,せいぜい直径10センチ程度の筒状の皮膚でつながっているのみであり,内臓の結合はないと診断できる。これだったら局所麻酔でも切離可能である。恐らく私なら,局麻で切り離すだろう。要するに医学的にはこの双生児は,肝臓を共有しているわけでもなく,切離術ができないわけでもないのだ。


 しかも,この二人の様子を見ていると,赤ん坊の時はいいだろうが,それ以降は大変だろうな,と思うはずだ。トイレに入るのも二人で一緒,しかも別々のトイレに入ることもできないし,普通のトイレも使えない(・・・2個並んだトイレに二人で並んで入るんだろうか?)。自宅なら特注のトイレでいいかもしれないが,外の社会ではトイレにも入れないのだ。食と排泄は生命維持の根幹部分である。だからこそ,「ところでこの二人,片方が便意をもよおしたらどうするんだろう?」というあたりがやけに気になってしまうのだ。

 同様にセックスも大変だろう。何しろ,「今日は僕はその気じゃないし」と一人が思っても,もう一人がその気になったら嫌でもお付き合いするしかないのだ。さらに,二人が好きなタイプが同じなら問題ないが,好みのタイプが別ならこれまた悲劇である。愛と性の問題はこの映画の重要な部分を占めているからこそ,こういう瑣末な部分での穴が目立ってしまうのだ。

 そうそう,「この二人に褥瘡ができないかな?」というのも気になったな。何しろ二人とも寝返りがうてないのだ。多分,早晩,仙骨部と背部に褥瘡ができてしまうはずだ。


 と,色々な問題があるが,先天異常の専門家としては,この二人が単なる「いつも肩を組んで歩いているだけの美青年二人組み」であって,絶対に「結合体双生児」には見えなかった点にもっとも違和感を感じた。

(2008/07/01)

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