《カオス》 (2005年,アメリカ)


 この映画の売り文句はカオス理論です。カオス理論について説明すると長くなるので,興味をお持ちの方はWikipediaの説明がまとまっていますので,ご参照ください。

 ま,要するに,「一見すると非常に複雑で規則性がないように見える現象でも,実は簡単な方程式で表現できることがある」ということでいいのかな。この映画の中では何度もカオスという言葉が登場するし,新米刑事がカオス理論を説明する場面もある。おまけに最後には,カオス理論という言葉が知られるようになったきっかけであるエドワード・ローレンツの著書まで登場するという念の入れようだ。

 だが,見終わってみるとどこがカオス理論の応用なのか,全くわからないのだ。この映画は最初のほうこそ,幾つかのバラバラに発生した犯罪(銀行強盗とか)が提示され,それがやがて一つの事件の修練するという構成をとっているが,カオス理論と一致するのは「バラバラのものが一つになる」という部分だけで,言ってみればそれだけである。全体像がわかると「最後の最後にわかる犯人はちょっと以外だったけど,犯罪の動機も手段もまともな映画」でしかない。

 時間つぶしに漫然と眺めている分には,ジグソーパズルのピースが次第に揃っていって全体像が最後にわかるところは面白いし,女性刑事は美人だし,ベテラン刑事とコンビを組む新米刑事が次第に成長する姿はあるし,最後の10分間で次々明かされる謎解き(・・・とは言っても,ちょっと反則気味の謎解きもあるが)はあるしと,悪くないと思う。だが,「あれ? 何でこうなるんだっけ?」と,ちょっとでも気になる部分が出てきてDVDを見返したりすると前後の整合性がない部分ばかり目に付くはずだ。要するに,発想は悪くないのだが,作りが雑なのだ。


 とりあえず,ストーリー紹介ね。

 シアトルの銀行に武装した強盗が押し入り,行員と客を人質に立て篭もり,通報を受けた警察が銀行を包囲する。一味のリーダー,ローレンツ(ウェズリー・スナイプス)は包囲する警察に電話をかけ,停職中のコナーズ刑事(ジェイソン・ステイサム)を事件担当にしろという要求を突きつける。コナーズは数ヶ月前の事件で犯人と人質を誤射で殺してしまい,現場からはずされていたのだ。コナーズはすぐに呼び戻され,新米刑事のデッカー(ライアン・フィリップ)とコンビを組んで警察とSWATを指揮する。

 電子錠で封鎖された銀行に突入するため,コナーズは銀行への電力供給を停止し,自家発電が再開するまでのわずかな時間を利用するという計画を立てる。そして銀行内が停電させたところで,異変に気がついたコナーズは計画中止と指示するが,SWATが突入したところで爆発が起き,人質達は外に逃げ出す。コナーズたちは銀行に突入するが,犯人達の姿はどこにもなく,しかも盗まれたものもなかった。

 しかし,わずかに残された手がかりからコナーズとデッカーはローレンツの一緒に銀行に立て篭もったと思われる共犯者を探し出し逮捕しようとするが,ローレンツは彼らの行動を見透かしたかのように常に先回りし,共犯者達は口封じに殺されていく。そして,過去に起きた幾つかの事件と今回の事件の共通点が明らかになっていくが,事件の捜査で訪れた家に仕掛けられていた爆弾でコナーズは爆死する。一人残されたデッカーはなおも捜査を進め,やがて驚愕の真相が明らかになる・・・という感じの映画だ。


 まず,コナーズ役のステイサムがいい味出している。この人は,超ご都合主義アクション映画,《トランスポーター》シリーズなどこの手の映画に多数出演している人だが,今回の映画では派手なアクションシーンは余りないが,いかにも暴走気味のベテラン刑事という感じがよく出ている。
 彼とコンビを組む新米刑事のデッカーも最初の方は頼りない感じだが,コナーズに影響を受けて次第に逞しく変化し,鋭い観察眼と優れた記憶力を駆使して事件の真相に迫っていく。ちょっと出来過ぎという感じもするが,若い刑事の成長物語としては悪くないと思う。
 また,ローレンツ役のスナイプスは何を考えているかわからない不気味な雰囲気で,いかにも「複雑怪奇な事件を計画する冴えた頭脳を持つ悪党」という感じがよく出ている。


 この映画は前述のように,「ジグソーパズルのパーツを次々に小出しにされるためになかなか全体像が掴めず,観客も一緒に謎解きを楽しむ」というパターンのスリラー映画である。最後の20分くらいから「実はこいつが真犯人」というのが次々と出てくるのである。そういうどんでん返しが数回続き,ラスト5分になってもまだなお真犯人が明かされず,ラストの大どんでん返しで「ええっ,こいつが真犯人!」というのが明らかにされる。何にも考えずに見ているとビックリする犯人像だが,実はその伏線は張られていて,勘がいい人だとラスト10分くらいで気がつくんじゃないだろうか。その意味で,途中から主人公が入れ替わるのは脚本のミスといっていいんじゃないだろうか。

 その他にも,変なところはいくつかある。

 例えば,銀行の防犯カメラのエピソード。これに気がついたデッカーの観察眼は素晴らしいが,なぜ犯人側は証拠となる防犯カメラを壊さなかったのだろうか。ここまで緻密な計画を立てていたらまず最初に防犯カメラを壊すんじゃないだろうか。

 あるいは,銀行に押し入った犯人の数。冒頭,車両から出てくるのは三人だけで,銀行に入るのもこの三人,つまり大柄な黒人二人と白人一人だ。一方,銀行のコンピュータにウイルスを仕込んだのはハッカー青年で,小柄な中国系のようだ。こいつがいなければあの出来事は起こせないはずだから,こいつは犯人一味として銀行に入ったはずだが,どこから銀行に入ったのだろうか? 客としてあらかじめ銀行に入っていたという可能性は残っているが,そういう画像はなかったと思う。
 その他にも,人質達から「犯人は五人から七人」という情報が得られたことになっているが,どう見ても犯人は三人なので,この人数の違いもよくわからない・・・というか,その後の説明と最初の犯人の人数,計算が合わないのである。

 しかも,爆発のさなかに人質は逃げ出し,それに紛れて犯人達も逃げたとしか考えられないが,人質達は警察に保護され,その時点で過去の犯罪歴が調べられている(そうするようにコナーズが命じている)。とすれば,このハッカー青年ともう一人の犯人は犯罪歴があったわけだから,ここで捕まえられたはずでは?

 それと,最後のほうで次々に「実はこいつも共犯者だったのさ」という謎解きが連続するが,そうなるとこの映画の犯罪計画の全体像を作ったのがあの人物だったとしても,それ以外の共犯者が彼に協力するメリットがほとんど無いことにならないだろうか。このあたりを考えていくと,あのやり取りはなんだのかとか,あの電話での応答は実は○○だったのとか,整合性がなくなるし,第一,その場合には応答自体が自然なものではなくなるだろうから,あの鋭いデッカーがそれに気がつかないはずはないよね,という気がするのだ。


 ちなみに,銀行に犯罪者集団が立て篭もり警察が突入するが,中はもぬけの空でしかも盗まれているものもなかった,というのは《インサイド・マン》にもあった設定だった。映画の出来としては《インサイド・マン》のほうがはるかによかったな。

(2008/04/29)

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