なんでも,1955年に作られた映画《マダムと泥棒》ってのがあって,それをコーエン兄弟の監督,トム・ハンクス主演でリメイクした映画らしい。トム・ハンクス主演映画なら面白いんじゃないか,って思いますよね。ところが,ムチャクチャつまらないの。コーエン兄弟の映画も,トム・ハンクスの映画もそれなりに見ているけど,最悪の作品じゃないでしょうか。途中で,見続けているのが苦痛になってきて,もう止めようかと何度思ったことか。最後の結末だけ知りたくて,我慢して見たけど,予想通りの結末で意外性は皆無でした。これだったらC級ホラー映画でも見るんだったよ。あ〜あ,時間をドブに捨てちゃったよ。
舞台はニューオリンズだったかな。そこに暮らす黒人のおばあちゃんのマンソンは敬虔なクリスチャン。曲がったことが嫌いだった亡き夫を今でも尊敬し,悪しき行いをするものには神の罰が下され,天国に行けないと信じています。その彼女の家に一人の紳士が「貸し部屋とあるが,しばらく部屋を貸してもらえないか」と申し出ます。彼は大学の古典文学の教授にして中世音楽の研究家と名乗り,仲間たちとアンサンブルの練習をするために地下室も貸して欲しいと言います。マンソンおばあちゃんはホメロスもルネサンス音楽の知識もありませんが,教授の言葉を信じて彼に二階の部屋と地下室を貸すことになります。
ところが,教授は実は銀行強盗で,大金が保管されているカジノの地下倉庫に最も近いマンソン宅に目をつけ,彼女の家の地下室からカジノにトンネルを掘って盗む,という計画を立てていたのです。教授は新聞広告で仲間を募り,トンネル掘りが始まり,計画がばれないように言葉巧みにマンソン婦人を騙し,計画は進みます。そして,紆余曲折の末,ついに大金を手に入れますが,その金をマンソン婦人に見つけられてしまいます。
今度ばかりはいくら人のいいマンソンばあちゃんでも騙せません。そこで強盗たちは彼女を殺して地下トンネルに死体を埋め,穴を塞ぐという計画を立てますが・・・という映画。
要するにこの映画は,敬虔な信仰心を持つおばあちゃんに(調子が狂った?)間抜けな強盗たちが勝手に自滅していく,というのがメインテーマのようです。何しろ教授の立てた計画は素人が見ても杜撰そのものです。仲間は教授が出した新聞広告を見て集まっただけの寄せ集めだし,穴掘り担当と爆破関係の二人はそこそこプロっぽいけれど,カジノにスパイとして送り込んだ青年はうるさくおしゃべりするだけだし,そして力仕事担当の青年はあまりのオツムの足りなさのためにアメフトのチームをクビになったばかりで,見るからに脳味噌が足りなそう。彼らの顔を見ただけで,絶対にうまくいかないことが最初から予想されます。
おまけに,トム・ハンクス演じる教授をはじめ,犯人側がうるさいのなんのって(例外はオツムの足りなそうなアメフトお兄ちゃんだけ),途中でこいつらの意味のない会話を聞かされるだけで,見るのを止めたくなります。しかも,こいつらの話が下品で下品で,それだけで嫌になります。
教授は古典の教養があるらしんだけど,どう見ても「天才的犯罪者」には見えません。神様と聖書しか知らないマンソンおばあちゃんすら騙せないのですから,そもそも犯罪者になること自体,無理があるような気がしてなりません。。
一方のマンソンおばあちゃんにしても,警官が忙しいといっているのに家に入ってくれだの,会わせたい人がいるだの,人の都合を一言も聞いていません。人がいい話し好きのおばあちゃんという言い方もできるけど,実際にこういうばあさんがいたら,「少しでいいから黙れ!」って怒鳴りつけちゃうでしょうね。
あと,爆弾を誤爆させちゃって指が吹っ飛ぶ,というエピソードがあって,それが最後の猫のシーンにつながるんだけど,画面に登場するのは「吹っ飛んだ指」ではなく「刃物で切断した指」です。爆発でもげた指じゃございません。おまけに,「吹き飛ばされた指がピクピク動いている」なんてことは絶対にありません。切れたトカゲの尻尾じゃないんだから・・・。
この映画は宗教色が非常に強いです。「敬虔なる神の信徒は神様が守ってくださる」とか「神を信じないものは神に罰を下される」とか,そういう日曜学校的な抹香臭さというか,押し付けがましさが鼻につきます。マンソンおばあちゃんの死んだご主人の肖像画が常にマンソンばあちゃんを見下ろし,何かあるとマンソンばあちゃんは肖像画を見上げ,それで行動を決めたりします。
つまり,肖像画のマンソンじいちゃんが神様,ばあちゃんは信者という構図が成立します。じいちゃんの言葉(=神様の教え)を常に守っているからマンソンばあちゃんは常に正しい判断をするし,神様が守っているから悪人どもも手が出せず,勝手に自滅していく・・・と。要するにこの映画は,キリスト教プロパガンダ映画なんですね。
そういえば,最後の猫のシーンの前に教授のコートが橋の欄干に引っかかり,教授が落下した後,彼のコートがヒラヒラと飛んでいくシーンがあります。まさに鳥が飛ぶようです。これで私,ピンと来ました。アメリカ映画では,羽や羽のように飛ぶものは天使の象徴,という不文律があります。だから,このシーンでコーエン兄弟は「これは天使の映画だったんだよ。気がついたかな?」と観客に問いかけているわけです。
天使は誰か。もちろん,マンソンばあちゃんです。マンソンじいちゃんが神様で,ばあちゃんが天使。それが判ってからもう一度映画を見直すと,全てに納得がいきます。つまり,トム・ハンクスの映画で言えば,《フォレスト・ガンプ》(冒頭,羽が舞い降りてくる)や《キャスト・アウェイ》(冒頭,Fedexが荷物を取りに行く工場は天使の羽を作っている)と同じ系列の映画です。
このあたりの宗教ネタを素直に信じられる信心深い人にとってはいい映画かもしれませんが,そうでない私のようなひねくれた人間にとっては,面白くもなんともない宗教臭く抹香臭いだけの映画でございました。
(2008/04/24)