新しい創傷治療:ボルベール<帰郷>

《ボルベール<帰郷>》 ★★★★★(2006年,スペイン)


 2006年のカンヌ映画祭で,主演女優賞にこの映画の主要な女優6人がすべて選ばれたという傑作映画。監督は以前紹介した《オール・アバウト・マイ・マザー》のペドロ・アルモドバル。こっちの作品は映画ファンの間では評価が非常に高いのだが,どうも私とは波長が合わない感じだった。
 しかし今回の《ボルベール<帰郷>》は長く心に残る感動作だ。《オール・アバウト・マイ・マザー》に感じられた作り物めいたあざとさが全くないのだ。これぞ,すべての女性とすべての母親にアルモドバルが捧げた大いなる賛歌である。誇り高く逞しいラ・マンチャの女性たちが何より素晴らしい。

 まず何と言っても脚本が抜群にいい。先が全く読めない展開で,真ん中くらいまではどちらの方向に進もうとしている物語なのか,全くわからないのである。二人の姉妹と,彼女たちの失踪した母親の物語らしいということはわかるが,殺人事件があったり,幽霊話があったり,思いがけない出来事が次々に起こるのだ。そして,次第に謎めいた展開になり,一つの事実がわかるたびにさらに謎が深まっていく。このような映画は他に幾つもあるが,たいていの場合,風呂敷を広げすぎて最後にエピソードを回収できなくなり,幾つかの謎が解決されずに尻切れトンボのままに終わることが多いが,この作品の場合は,最後の最後ですべての謎がきれいに解きほぐされ,しかもバラバラに思われていたエピソードがきちんと継ぎ合わされるのだ。私は2度繰り返してみたが,最初は気がつかなかった会話の中に謎解きへの伏線がきちんと張られていたり,意味のないエピソードだと思われたものが実は重要な要素だったりと,色々なものが見えてくるのだ。しかも,2度見ても同じところで感動してしまうのだ。


 舞台はスペインのラ・マンチャ地方のある町。主要な登場人物は次の通り。

 映画は,ライムンダが娘と姉を伴ってパウラ叔母さんの家を訪れるところから始まる。目も悪く,足腰も弱り,しかもソーレのことを思い出せなかったりする。幼い頃から叔母に世話になっていたライムンダは自宅に引き取りたいが,それも簡単ではない。自宅に戻ったライムンダは,夫のパコが失業したと不意に知らされる。

 そして,失業して自宅にいたパコが娘のパウラに「俺はお前の本当の父親ではない」とレイプしようとする事件が起こり,パウラは包丁で父親を刺してしまい,パコは絶命する。これを知ったライムンダは娘を守るために死体を隣の空き店舗になったばかりのレストラン(以前そこで働いたことがあり,遠くに住むオーナーは彼女に鍵を預けていた)の冷凍庫に死体を入れ隠蔽を図る。

 そして同じ頃,パウラ叔母さんが死んだという連絡がソーレから入る。事情があって葬儀に参加できないと言うライムンダの説明に納得し,叔母の家(田舎にある)に向かうが,そこで彼女は死んだはずの母親の姿を見て悲鳴を上げる。どうやら,幻覚を見たらしい。そして葬儀の世話をしてくれるアグスティナから,「パウラ叔母さんが死んだときにドアをノックする音が聞こえ,ドアを開けたが誰もいなかった。しかし,叔母さんの家のドアが空いていて不思議に思って訪ねてみたら,既に叔母さんは息を引き取っていた」という不思議な話を聞く。そして村人から,死んだはずのソーレの母親の例を見た人がいたとも告げられる。

 そして,自宅に戻ったソーレの耳に母親の声が聞こえる。しかもそれは彼女の車のトランクからだった・・・という具合に話は進む。


 このように,関連性がなさそうな事件が次々起きていく。なぜパウラ叔母さんは二人の面倒を見たのか,なぜライムンダと母親の折り合いが悪かったのか,なぜ死んだはずの母親が突然姿を現したのか,なぜ母親の霊の姿を見たと村人たちが噂したのか,なぜ彼女は姿を消さなければいけなかったのか,パウラ叔母さんが死んだ時にドアをノックしたのは誰なのか,アグスティナの母親が失踪した理由は何なのか・・・などの謎が最後に全て明かされ,ジグソーパズルの全てのピースがぴたりと収まるのである。実に見事である。

 また,ライムンダは冷凍庫に入れた夫パコの死体を冷凍庫ごと川岸に埋める。どこでもいいから,とりあえず死体を埋めたとばかり思っていたら,最後のシーンでなぜその川岸を選んだのかがわかる。ここは本当に感動的だった。


 この映画では男はほとんど登場しない。セリフがあるのはせいぜい,ライムンダの夫,パコくらいだ。それ以外はセリフがあっても一言くらいで,男優陣の影は薄い。またパコにしても,失業してウダウダと酔っ払っているだけの頼りない男だ。マティズムから最も遠い,情けない男どもしか登場しないのがこの映画だ。

 それと正反対なのが,女性たちの逞しさだ。ヒロインのライムンダは失業して酒びたりの夫を頼みにもせず,さっさと新しい仕事を見つけて生活を支えるし,夫の死体を閉店したばかりのレストランの冷凍庫に隠したばかりなのに,そのレストランを訪れる客がいればとりあえずランチサービスをする。これはライムンダだけでなく,ソーレもアグスティナも夫が出奔しているが,それぞれ逞しく生活している。「男? いれば楽しいけど,いても役立たずだね」という感じだ。

 死体入りの冷凍庫を始末するためにライムンダは女友達3人を動員するが,彼女たちは事情を問いただすこともせず,重い冷凍庫をバンに乗せ,穴を掘り,冷凍庫を埋める。手伝った売春婦(?)が「どうせ私たちは共犯なんだ」というシーンがあるが,恐らく彼女たちはそれが夫の死体入りだと気付いているのだろう。彼女たちの表情からは「男なんてベッドでは役に立つけど,それ以外では役立たず。稼ぎのない男を養うなんて真っ平さ。女同士で助け合っていけば大丈夫さ。男に依存する人生なんて愚かだね!」という声が聞こえてくる。そういう連帯感がこの映画の根底にある。
 ペネロペ・クルスの見事な胸の谷間が何度も強調されるが,それにしても「これでスケベ男がひっかかるならお安いもんさ」という意味しかないのだ。徹頭徹尾,男は相手にしていないのだ。


 ちなみに,監督のペドロ・アルモドバルは自分がゲイであることをカミングアウトしている。そして彼は,女性を賛美する美しい映画をひたすら撮り続けている。だから芸術は面白い。

(2008/10/17)

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