新しい創傷治療:レストストップ デッドアヘッド

《レストストップ デッドアヘッド》 ★★(2007年,アメリカ)


 スプラッターホラー映画というか,より正確に言えば拷問系スプラッターホラー映画です。これまで紹介した映画で言えば《ビヨンド・ザ・リミット》とか《ホステル》とかそういう連中の仲間です。痛そうなシーンが満載なんでそっちに弱い人は絶対に見ちゃ駄目よ,という範疇に入ります。逆に,この映画が面白くて何度も見たよ,という人がいたら,とりあえず近寄らないほうがいいです。それだけでかなり異常ですから。

 ただ,ホラー映画はホラー映画なんですが,どちらかというとオカルト系というかそっちに近いです。私はホラー映画は嫌いじゃないんですが,オカルトの要素が強いホラー映画は好きになれません。さんざん不条理で超自然的な現象で恐怖をあおっておいて,事件の全体像の解明の部分でオカルトに逃げてしまうからです。確かにオカルトなら何でもありにできるけど,説明のつかない現象(そういうのはたいてい映像的にも美味しい部分だ)の全てを亡霊とか悪魔とか悪霊の仕業にするのは反則すれすれじゃないかと思うのです。

 この映画もそっちの系統で,途中でホラー映画の王道を行くような展開で楽しませておきながら,次第に不自然・不可解な現象が置きてくるのです。オイオイ,もしかしてすべては○○だった,なんて結末じゃないよな,と思っていたらまさしくそれでした。これでいいのなら,何でもありだよ。全部,○○の仕業にしとけばいいんだもの。このあたりを容認できるか否かで,この映画をどう評価するかが決まってしまいそうです。


 とりあえず,内容を紹介すると次のようになっています。

 女優を目指しているらしい若い女性のニコールは家出をしてボーイフレンドのジェスの車でハリウッドを目指しています。そしてトイレに行きたくなったニコールは休憩所(Rest Stop)を見つけてそこのトイレに入ります。しかし,トイレから出るとジェスも彼の車が見当たりません。休憩所にあった電話は壊れているし,携帯電話も圏外らしく使えません。あとは壊れかけたバスが一台放置されているだけ。

 途方に暮れたニコールの前に一台の小型トラックが向かってきてジェスの携帯電話を投げ捨てて向こうに走り去ります。そこで彼女はジェスがそのトラックに拉致されたことを知ります。そして発端となったトイレに戻った彼女は,その壁に「トラックの男に殺される」という落書きが多数あることを見つけ,その落書きの日付が数十年にわたっていることを発見します。そのトラックの運転手は殺人を楽しむサイコ野郎だったのです。ニコールは果たして・・・というストーリーです。


 というわけで,この手のホラー映画は沢山あります。いわゆる「(お馬鹿な)若者が偶然,シリアルキラーが待ち構える罠に落ちて次々殺される,という映画ですね。その意味では珍しさはありません。

 また,この手の映画では「始まって5分くらいでエッチをするカップルはすぐに殺される」という法則がありますが,この映画ではニコールとジェスがすぐにエッチします。ですが,二人が殺されては映画にならないため,ジェスが姿を消すということになります。
 同様にこの手の映画では「主人公や登場人物がわけのわからない行動をして,そのためかえって状況を悪くする」という鉄則もありますが,ここでもニコールちゃんは「オイオイ,何でとっとと逃げないんだよ」という行動ばかり取ります。具体的に言うと,休憩所の事務室とトイレを何度も行ったり来たりするんですよ。そのトイレに入っちゃ駄目だろ,と誰しも思うのですが,なぜかニコールちゃんは何かあるとトイレに入ります。

 しかもそのトイレが汚いのなんのって,普通だったら絶対に入らないよというか,トイレの便器を見た瞬間に女の子なら逃げ出しそうなくらい汚いのです。そのトイレに最初はお尻を浮かした格好でオシッコをするニコールちゃんですが,2回目以降はもう気にしないらしく,直に座っているようです。ニコールちゃん,すっかりそのトイレに馴染んでいます。

 それにしても,何でトイレに固執するのか,ちょっと理由がわかりません。いくら「隣の休憩所まで96キロ」とは言っても,3日もかければ歩ける距離だし,いくら相手がトラックで追いかけてくるといっても,道から外れたところを歩けば見つけられないだろうし,トラックの音がしたら身を隠せばいいだけだし,さっさと逃げろよといいたくなります。ま,逃げたら映画にならないんだけどね。


 途中で登場する警官がこれまた役立たず。あっけなくやられます。そこでニコールちゃんは,両足をトラックに轢かれた警官を引きずってトイレに立てこもり,またトラック野郎が襲ってきます。普通なら「警官なら銃を持っているはずだから,それを使うはずだよね」と思うところですが,なぜか警官もニコールも銃を持っていることに気がつきません。アメリカ人なら銃だろう,とツッコミが入るところです。そしてなぜか,延々と警官の家族の話とか軍隊の頃の話とかがのんびりと続きます。ここは見ていてもあまりの不自然さにイライラしてきます。そしてようやく警官が「俺の持っている銃を使え」というのですが,弾が少ないのに無駄遣いさせます。

 なんだよ,この警官,おかしくないかと思い始めた頃,警官の正体がわかります。そうか,こいつ○○だったのか。


 途中で登場するバスで暮らす一家,これが半端でなくおかして怖いです。しかも映画の本編ではその正体が明かされず,カメラのシャッターを切り続ける末の息子(顔が無残に変形している)が何をしているのかもよくわからないまま終わります。この一家については,DVDの特典映像を見ないと訳がわかりません(見ても訳がわからなかったりするけど・・・)。このあたりを見ると,最初の思いつきだけで映画を撮り始めたのはいいけれど,次第に収拾がつかなくなり,しょうがないんで「別のエンディングを特典映像に入れといたから,どっちか好きな方を結末にしてね」と観客に丸投げしてしまったのでしょう。

 結局,ニコールちゃんは何度もサイコ野郎に襲われるけど,襲う方は寸止めというかちょっと脅かしてすぐにいなくなります。襲われる方からすると,真綿で首を絞められるような恐怖なんですが,考えてみるとこれしか方法がなかったことがわかります。
 要するにこれは「ニコールちゃん vs 殺人鬼」の図式のため,ニコールちゃんが走れなくなるような怪我をさせるとか,両手とも使えないようにしてしまっては,その時点で勝ち負けが決まってしまいますから,ニコールが傷つけられるのは最後の最後まで取っておかなければ映画にならないわけですね。だから,殺人鬼のほうは常に寸止めモードでしなければいけなかったのでしょう。

 となると,痛めつけられるのはジェス君しかいません。最後のジェス君の可哀想な運命は,こういう事情から決まったんでしょうね。


 というわけで,発想そのものは悪くないんだけど,どこかでボタンを掛け違った感が否めないホラー映画でした。

(2008/10/31)

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