新しい創傷治療:サン・ジャックへの道

《サン・ジャックへの道》★★★★★ (2005年,フランス)


 久しぶりに「えっ,もう終わっちゃうの? ここで旅が終わっちゃうの? もっと観たいのに」と思ったロード・ムービーであり,とても面白かった。そしていい映画だ。特に派手な事件が起こるわけでもなく,ただただ,フランスからスペインまで歩くだけの映画なのに,それが実にいいのだ。登場人物9人の人間像がきちんと描かれ,性格付けがしっかりしているため,登場人物へ素直に感情移入ができる。


 事の発端は,不仲の中年3人兄弟(長女,長男,次男)に1ヶ月前に死んだ母親の遺言の内容が明らかにされたことに始まる。そこには遺産を相続するためには,フランスのル・ピュイからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(フランス語でサン・ジャック)までの1500キロ,2ヶ月間に及ぶ巡礼を,3人揃ってしかも徒歩で歩きとおすこと,とあったのだ。長女のクララは高校の国語の先生で,夫と二人の幼い子供がいる。長男は会社の社長で仕事はうまくいっている。次男は16歳で家を出てからろくな定職にもつかず,アルコール依存症だ。だが,それぞれの事情があって遺産は欲しい。だから,嫌々ながら巡礼に参加することになった。

 巡礼のメンバーはこの3人のほかに物静かなでいつもスカーフをかぶっている中年女性,2人の若いアラブ人青年(この二人はイスラム教徒だ),そして二人のフランス人の女子学生。彼らのガイドはこれまたアラブ系のギイという中年男性。


 そして旅が始まり,彼らの各々の家庭の事情,仕事の事情が次第に明らかになっていき,なぜ彼らがこの苦しい巡礼に参加したかがわかってくる。
 3兄弟は絶えずいがみ合っているし,アラブ人青年の一人の目的は参加している一人の女の子(二人はどうやら学校の同級生らしい)に愛を告白することであることがわかってくる。この青年と同行するもう一人のアラブ人青年ラムジーは失読症(アルファベットがどれも同じに見えて文字として区別できない)で,それを心配した母親が「メッカへの巡礼をすると文字が読めるようになるかもしれない」と二人分の参加費用を出してくれたのだ。そのためラムジーはこれがメッカに行く巡礼だと信じ込んでいる(もちろんこの巡礼はメッカには行かない)。物静かな中年女性は常にスカーフをかぶっているが,実は髪の毛が全て抜け落ちていて,抗がん剤治療を受けたらしい。そして,中の悪い3兄弟で一番出世している長男だが,実は妻はアルコール依存で自殺願望を抱いていて家庭の中はグチャグチャらしいこともわかってくる。

 こんな9人が1500キロを一緒に歩き通すのだから,何も起きないわけはない。3兄弟の仲の悪さは「仲が悪い」なんてもんじゃなく,路上でつかみ合い・殴り合いの喧嘩はするし,一緒に並んで歩くことすらしない。長女の太っちょおばさんは常に高圧的だし,長男も疲れると車を呼んで荷物を運ばせてズルしようとするし糖尿病の薬が手放せない。アルコール依存症の次男にいたっては荷物の準備もせずに無一文での参加なのである。それなのにこいつは,バーを見つけるとすぐに入り,探しに来たギイに金を払ってもらう始末。しょうもないやつである。それなのに,女性に取り入るのはうまく,なぜかスカーフの女性とラブラブになったりする。


 こんなバラバラ兄弟だが,次第に3人の心が通ってくる。特に,バーで飲んだくれている次男を姉と兄が二人で両方から支えて歩かせるシーンなんて,ちょっといいのである。あるいは,「大いびき3人組」が隣の部屋に宿泊すると知って,長男が姉の部屋に入れてもらうシーンの面白いこと。

 この長男と大金持ちのお嬢様らしい一人の少女は,半端でない量の荷物を背負っているんだけど,途中で「邪魔だ!」とばかりに余計なものを投げ捨てちゃうんだ。自分の足で歩くんだから,背負えるだけのもの,両手に持てるだけの物しか運べないんだ。当たり前なんだけどね。

 そしてこの長男,うっかりと糖尿病の薬も捨てちゃうんだけど,歩いているうちに次第に健康になっていき,薬なしでも調子がよくなる。まさに生活習慣病である。例の「スカーフ女性」が彼に「薬をやめてみるのも必要な時もあるのよ、人生には」と話すシーンがなんだか印象的。

 3人兄弟の長女,高校教師のクララが実にいい味出している。彼女が高校の国語の先生だと知ったラムジーの友人から,「ラムジーに字を教えて欲しい」といわれ,最初は躊躇するんだけど,結局は彼に辛抱強く字を教えていく。そして旅の終わりでついに,ラムジーは字が読めるようになる。墓碑銘や店に貼ってあるポスターの字が読めるようになったラムジーの顔が輝いている。


 そして,聖地への巡礼という極めて宗教的なテーマなのに,ちっとも宗教的でないのだ。サン・ジャックの大聖堂での儀式はさすがに荘厳だが,カソリックの儀式というよりは,観光客向けのアトラクションみたいに見えるし,聖地に到着したラムジーが塔に上ってアラーの神に感謝の言葉を口にするが,宗教というよりは日常的な口癖という感じに聞こえる。宗教が絡んでいる物語なのに,宗教的なメッセージが希薄で,宗教臭が一切伝わってこないのだ。
 それがもっとも強烈に現れているのが,スペインに入って修道院に泊めてもらおうとしたとき,神父が「肌の色が違う3人を泊めることはできない」という場面だ。それに対し,例の3人兄弟の長男は「われわれは兄弟なんだ。兄弟は同じところに泊まらなければいけない。こんなクソのような修道院に泊まるのはごめんだ。俺がみんなのホテル代を出す」って痰火を切る場面は格好よかったぞ。

 彼らは久しぶりに寝心地のいいベッドに寝て,各々夢を見るんだけど。その内容がかなりシュールで,しかも寓意に富んでいる。ちょっとわかりにくい夢もあるんだけど,多分,すべてをすっきり説明つけられないような気がするし,それでいいのではないかと思った。


 そしてエンドロールで,彼らのその後の生活が描かれている。長男はどうやらアルコール依存症の妻を連れてもう一度巡礼の道を歩いているようだし,次男は別れて暮らしている娘に金を渡すことができたようだ。ま,彼の場合はアルコール依存症はそのままなんで,いずれ遺産はすべて飲み尽くしちゃうんだろうが,それも彼の人生なんだろう。

 もしもこの映画をハリウッドが作ったら,おそらく次男は巡礼の過程でアルコール依存症から脱却し,娘と幸せに暮らしました,というハッピーエンドにしたんじゃないだろうか。そして恐らく,ラムジーの身に起こる悲劇のエピソードもなかったと思う。そして多分,あの「夢」のシーンもなかったと思う。同様に,ギイとスカーフ女性のロマンスも美しいが,実生活に戻るとそれでは済まないわけだし,その意味では,この巡礼は問題の幾つかを解決したが,解決できない問題もまた多いのである。多分そのあたりがアメリカ映画とフランス映画の違いじゃないかと思う。矛盾が矛盾のままなのが人生なのだから。


 ちなみに1500キロというと,新山口駅から岩手県の新花巻駅までの新幹線の経路が大体このくらいである。人間、歩けるものなんだなぁ、でも自分にはちょっと無理だな、とため息をついてしまった。

(2008/12/05)

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