新しい創傷治療:トランスアメリカ

《トランスアメリカ TRANSAMERICA》 ★★★★★(2005年,アメリカ)


 性同一性障害に父と子の問題を絡め,家族とは何かを追求したコメディーであり,ロード・ムービーでもある。一つの作品として見ればきわめて良質の作品である。

 このような「性転換をする前に女性との間にできた子供がいて,偶然その息子の存在を知ってしまった」という設定の映画は他にもあるが,個人的には頭では理解できるのだが,その理解は表面的なもの,建前的なものになっていて,日常的感覚から遊離したものになっていることは正直に言おう。人間として,医療関係者として,性同一性障害を扱った映画には真摯に向き合わなければいけない,感動しなければいけない,という意識がどうしても先に立ってしまうのである。これはもう,私の脳味噌というか感性の限界なのだろう。逆に,そういう「限界・制限」がない人ならもっと純粋に楽しめる映画なのだろうと思う。


 ブリーはロサンゼルス近郊で暮らす40歳くらいの女性だが,実は彼女は性同一性障害であり,1週間後に完全に女性になる性転換手術を受ける予定であり,手術の日を指折り数えて待っていた。そんな彼女の元に「スタンレーさんのお宅ですか?」という一本の電話がかかる。スタンレーはブリーがまだ男性として生活していたときの名前だった。その電話はニューヨークからのもので,スタンレーの17歳になる息子トビーが窃盗で警察に捕まり,引き取り手としてニューヨークに来るように,というものだった。おまけにトビーは男娼でもあるらしい。トビーの母親はすでに死に,一時引き取られていた母親の実家からトビーは逃げ出していて,保護者はスタンレーしかいないという。ブリーにとっては青天の霹靂である。なぜなら,その女性とは一夜限り,一度きりの関係だったからだ。

 ブリーは戸惑いながらもニューヨークに到着し,トビーに「教会会関係の厚生施設で働いている人間だ」と名乗る。トビーはよからぬ連中とつきあっていて,どうやら麻薬にも手を出しているようだった。

 当初ブリーは,トビーを彼の母親の実家に戻して一件落着と考え,レンタカーを借りてその家を目指すが,養父とトビーの間に起きた過去の忌まわしい出来事を知り,そこに置いておけないことがわかる。そして二人のカリフォルニアを目指す旅が始まり,様々な出来事が起き,やがて二人はブリーの生家に到着する。

 しかしそこは,ブリーにとっては二度と戻るつもりのない家であり,女性の姿をしたスタンレーを見て母親は卒倒しそうになる。しかし,彼女にとってトビーは唯一の血を分けた孫だった・・・という風に映画は進む。


 まず圧倒的にすごいのが,主人公ブリーを演じるフェリシティ・ハフマン。もちろん,本来は美しい女優なのだが,この映画では誰が見ても「性転換手術前の女装した男性」にしか見えないのである。顔も女性にしては面長すぎるし(これってメイク?),座るときに足を広げてしまう「男の癖」を見事に演じているのである。しかも,トビーに対して次第に父親としての感情が芽生え,父性愛に微妙に母性愛が混ざってくる様子など見事としかいいようがない。この演技でゴールデン・グローブ賞を受賞したのも当然という感じだ。

 対するトビー役のケヴィン・ゼガーズもホモセクシャル系美少年の妖しい魅力たっぷりという感じで,そっち系が好み,という人にはたまらないものがあるんじゃないでしょうか(私はそっち系の趣味がないんで断言できないけど)

 この二人はいわば,性の区別の問題と性愛の対象となる性の問題をどちらも抱えているわけだが,そのほかにもゲイとレズが集うパーティーの様子が描かれたり,男の子二人が裸で泳ぐシーンがあったりと,これは特殊な人の特殊な問題でなく,この社会に普通に転がっている普遍的問題なんだ,とこれらの問題をあくまでも軽やかに扱おうとしている。このあたりの問をが「普通に」受け入れられるかどうかが,この映画の受けとめ方を大きく左右するような気がする。


 このような性の問題の他に,アメリカの宗教の問題もさりげなく絡ませている。ブリーはトビーからプレゼントされた「私は厳粛なクリスチャン」という帽子をかぶり,不良のトビーもまた食事の前のお祈りを欠かすことはない。そして,ブリーの父親はユダヤ教徒で母親は熱心なキリスト教信者らしい。ブリーの妹(どうやらアルコール依存症らしい)はレストランでの食事の最中に「イスラム教徒にも愛を!」なんて言葉を口にする。性の扱い同様,宗教の問題もあくまで扱い方は軽いのである(軽薄という意味ではなく,軽やかという意味だ)。こういう「軽さ」が映画全体の根底を流れているのである。

 映画は,性転換手術を終えて完全な女性になったブリーの部屋をトビーが訪れる場面で終わる。ブリーがトビーの父親だという事実は変わらないし,その父親が既に女性として生きていく道を選んだという事実も変わらない。また,トビーにしてもホモセクシャル系ポルノ映画俳優になる道を選んでいる。この父と子がその後どうなるのかはわからないが,おそらく,「こういうものだ」とあるがままに受け入れるしか選択肢はないのだろうと思う。

(2008/12/11)

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