新しい創傷治療:

《迷子の警察音楽隊 The Band's visit》 ★★★★★(2007年,イスラエル/フランス)


 劇的な物語があるわけでもなく,派手な出来事が起こるわけでもなく,有名俳優や美人女優が出るわけでもない映画なのに,見た人は必ずこの映画のことを人に話したくなる,という静かな感動作。

 この映画の背後にあるイスラエルとエジプトの複雑な政治事情,中東情勢,冷徹な政治力学などに一切触れず,徹底的に個人の視点から描いているが,こういう「個人の思い」がやがて政治を動かし,世界を変えていくのではないかという希望を感じさせる作品になっている。その静かな語り口には,「世界を動かすのは政治家でも軍司令部でも国連でもない。個人と個人のつながりなのだ」という熱く,しかしごく当たり前のメッセージを秘めているようだ。


 舞台は1990年代のイスラエル。文化交流のためにエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊一行がイスラエルに降り立つところから始まるが,何らかの手違いがあったらしく,出迎えが来ていない。「大使館に連絡して何とかしてもらおう」という声も上がるが,隊長のサーベイは「われわれはこれまでも独力で何とかしてきたではないか,今回もそうしよう」と独力で目的地に行くバスに乗り込んだが,降り立った街は小さな食堂くらいしかない小さな町だった。そこは目的地のペタハ・ティクバ(希望を開く)でなく,小さな田舎町ベイト・ティクバ(希望の家)だったのだ。しかも最終のバスはもうすでに出てしまっていた。

 途方に暮れる音楽隊に,食堂の女主人ディナが声をかけ,一晩の宿を提供しようと申し出,結局,音楽隊は3つに分かれて泊まることになった。しかし,エジプトとイスラエルでは言葉も違うし,宗教も文化も違う。そして何より,少し前まで戦争をしていた相手だ。

 当初ギクシャクしていた彼らだが,ちょっとしたことをきっかけに片ことの英語で語り合うようになり,少しずつ心を通わせていく。そして,翌朝,迎えに来た大使館の車に彼らは乗り込み,街を去り,演奏会場の街に向かう・・・と,たったそれだけの映画である。


 エジプトとイスラエル,決して仲良し同士の国ではない。何しろアラブとイスラエルである。まず言語が全く違う。でも,何か話そうと思っても英語は片こと同然である。だが,ベッドに眠る赤ん坊の寝顔や,スタンダードナンバーの『サマータイム』や『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』をきっかけに,次第に話が通じ合ってくる。

 あるいは,女主人のディナが無骨で無駄な話をしたがらない隊長のサーベイに,「昔はよくエジプト映画をテレビで見てたのよ。オマー・シャリフとか」というシーンもちょっといい。1979年にエジプトとイスラエルの間で和平条約が締結されたことがあり,この時,イスラエルのテレビでエジプトの映画やテレビ番組が放映されていた,という時代背景がさりげなく示されている。かつて『おしん』がアジア各地の共通の話題だったように,テレビ番組は二つの異なった文化と言語を持つ民族ですら結びつける共通語になりうるのだ。

 女と見ればすぐに口説いてしまう音楽隊のイケメン・ヴァイオリニストもいい味を出している。ローラー・スケート場で好きな女の子にどうやって声をかけたらいいかわからない奥手のアラブ青年に,恋の手ほどきをしてあげるのだが,これが何とも微笑ましくて,上品なユーモアにあふれている。

 あるいは,長距離恋愛中(?)の青年が,恋人からの電話がかかってくる公衆電話の前で,電話が鳴るのを一晩中待っているシーンの切なさ。小学生ですら携帯電話を持っている日本では考えられないシーンだろう。
 このシーンを見て,40年位前に私の自宅に初めて固定電話(黒電話)がついた日の事を思い出してしまった。この日本でもわずか40年前,電話が日常的に使えるようになるということは大事件だったのだ。それまでは,電話のある家に電話をかけさせてもらうのが普通だったのだ。そういう時代があったことを思いださてくれた。

 ディナとサーベイの淡い感情の交流も,抑えたタッチで描かれていてよかった。だから,翌朝のディナのちょっとした仕草が生きてくるし,それが気がつかない(気がつかないフリをしている?)サーベイもまたいい。何でも声高に明瞭に主張しないと気がすまないアメリカ映画とは一味もふた味も違う映像表現が心に染みる。

 ちなみに,この音楽隊を演じているのはアラブ系イスラエル人の俳優とのことだ。彼らは立派なイスラエル人なのに,国内ではアラブ人だからと二級市民的に扱われ,アラブ諸国に行くとパスポートから「お前らは敵国イスラエルの人間だ」と呼ばれているらしい。アラブにもイスラエルにも安住の地がないこの俳優たちが,アラブとイスラエルの問題の難しさを根深さを象徴している。


 ちなみに,この映画の舞台となった1990年代はアラブとイスラエルにとって特別な時期だった。1991年に中東和平会議が開催され,1993年,イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間でオスロ合意(Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)が協定される。これにより,イスラエルはPLO暫定示指政府の自治を認め,中東は和平に向かうはずだった。その頃のイスラエルがこの映画の舞台である。

 しかし,このオスロ合意と同じ頃から,「この和平は偽りのものだ,和平を粉砕してパレスチナの真の自治と平和を」とうたうイスラム原理主義を信奉する一派,ハマスが台頭し始め,自治区の貧困層を中心に支持を広げていく。一方,イスラエルとの共存を目指すアラファトが指導するPLOは,徹底抗戦を叫ぶハマスなど原理主義勢力から激しく批判され,次第に弱体化していく。2004年,アラファト議長の病死を受け,穏健派のアッバース議長がPLO執行委員会議長が引き継ぐが,イスラエルは2006年7月にパレスチナのガザ地区とレバノンに武力侵攻する。これに対し,アラブ同盟はイスラエルによるオスロ合意の一方的破棄をみなし,アラブとイスラエルは泥沼の対立状態に入る。それ以後,ハマスは自爆テロ戦略に先鋭化し,イスラエル国内で次々とテロを敢行するようになる。

 2008年末,イスラエルはハマスの自爆テロを口実にガザ地区への連続空爆に踏み切り,2009年1月3日,イスラエルは地上戦を開始し,ガザ地区は戦場となった。

(2009/01/07)

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