新しい創傷治療:マイティ・ハート 愛と絆

《マイティ・ハート 愛と絆》★★★★★ (2007年,アメリカ)


 《愛と絆》なんてタイトルの映画,私は絶対に見ないことにしている。タイトルを見ただけで恥ずかしいじゃないか。ましてやこれは事実上の夫婦生活を送っているアンジェリーナ・ジョリー(アンジー)とブラッド・ピット(ブラピ)の夫婦共作映画である。そして映画には「夫婦が出演したとか,旦那が撮影して奥さんが主演,なんて映画に傑作なし」というジンクス(?)がある。絶対に腑抜けた映画に間違いないはずなのだ。

 しかしこの映画,やけに評判がいいのである。借りて見る分にはいいかな,たまにはアンジーの色っぽい顔でも楽しむか,くらいの感じで見始めたら,ものすごい作品だった。衝撃的な傑作だった。何で今まで見なかったんだろうと後悔したくらいだ。先入観を持っちゃだめだなと,改めて教えてもらった映画だ。

 これは実話に基づいている作品だが,臨場感溢れるカメラワークと見事な構成のため,あたかもその事件の当事者たちと一緒に行動しているかのような切迫感に包まれ,一瞬でも気の抜けないのだ。そして同時に,戦場ジャーナリストという危険な仕事を選んだ夫婦の矜持と勇気,相手の身を案じながらもそれが通じないもどかしさと切なさが切々と伝わってくる。

 ちなみに映画の監督,ウィンターボトムはボスニア内戦の悲劇を描いた《ウェルカム・トゥ・サラエボ》や,イラク戦争捕虜をアメリカが残虐に扱った様子をえぐりだした《グアンタナモ,僕達が見た真実》などの作品を発表している人らしい。


 舞台になっているのは2002年頃のパキスタン。ここで取材活動を行っていたWall Street Jornal紙の記者,ダニエル・バールがイスラム過激派と思われる勢力に誘拐されるという事件が起こる。彼の妻が,やはりジャーナリストであるマリアンヌ(アンジェリーナ・ジョリー)だ。

 当時のパキスタンはインドとの対立とアメリカとの協調路線をとるムシャラフが政権をとっていたが,タリバンなどのイスラム過激派が潜入するなど,一触即発の状態だった。バールはそろそろ取材活動そのものが危険になり,さらに妻が妊娠5ヶ月の身重であることから帰国の予定だったが,その直前にある大物宗教指導者との会見ができるという情報を得てその場に向かったが,そこで行方を絶ってしまったのだ。

 アメリカとの協調をなにより重要視するムシャラフ政権はすぐに捜査に乗り出すが,どの勢力が誘拐したのか,なかなか割り出せない。そのうち,「バールはCIAの手先だった」,「裏でインド政府(=パキスタンと対立している)が糸を引いている」などの情報が飛び交い始める始末だった。しかし,パキスタン捜査当局は犯行声明に使われた電子メールのサーバ情報から通信記録を丹念に当たり,犯人たちを追いつめていく。だが,捜査当局にビデオカメラが送りつけられてきて,そこには・・・という映画である。


 この映画の元になっている事件は2002年初等に起きたが,もちろんその引き金となったのは2001年の「9.11」であり,その根底にはこの国と隣国との複雑な歴史と政治が横たわっている。

 まず,隣国の大国インドとの関係だが,カシミール地方の帰属をめぐってパキスタンの独立(1948年)以来,両国は敵対関係をとっていて,現在までに3度の全面戦争を経験している。そして,1971年の第3次インド−パキスタン戦争でパキスタンは大敗し,インドの東に位置する東パキスタンを失い,ここはバングラデシュとして独立した。その後,ムシャラフ政権下では緊張緩和の方向に一時向かったが,2008年11月のムンバイ多発テロでインドとパキスタンの関係は一挙に悪化している。

 ちなみに,パキスタンのイスラム化は,ヒンドゥー化するインドに対するためという意味もあったようだ。イスラム圏に原理主義国家が誕生するのに対抗するように,インドは1980年代から「ヒンドゥー至上主義」が勃興し,次第にインド国内に反イスラムの動きが顕わになってきたからだ。要するに,領土争いに端を発するインドとパキスタンの対立に,宗教戦争の様相も加わったわけである。

 アメリカとパキスタンの関係はおおむね良好で,アメリカの軍事支援を受けている。これはアメリカにとって「敵対するソビエト連邦と友好的なインドを牽制して,結果としてソビエトも牽制する」という目的らしい。また,アメリカにとってのパキスタン支援は,1970年代のイスラム革命で原理主義化してアメリカと敵対するようになったイランに対抗するためという意味もあった。

 中国とパキスタンの関係もインドがらみの友好関係である。インドと中国はチベット問題などで常に対立しているが,中国はインドと対立するパキスタンに軍事援助をしているわけだ。敵の敵は味方,ということだろう。

 これだけでも面倒なのに,さらに周辺国とパキスタン国内のイスラム原理主義運動が絡んでくるのだ。当初,パキスタン政府は原理主義運動を抑圧したが,ソビエトのアフガニスタン侵攻(1979年。《怒りのランボー》の舞台だ)ではアフガニスタンのムジャヒディン(反政府ゲリラ)を援助し,その後の同国でのタリバン(もちろん,原理主義組織)による政権樹立までは熱心に活動を支えた。状況が変わったのは2001年の「9.11」である。この事件を起こしたのはアルカイダだが,そのアルカイダの活動を支援していたのがタリバンだったからだ。そのアルカイダ掃討のために同年,アメリカのブッシュ政権はパキスタンに侵攻したが,ムシャラフ政権はこれを歓迎し,アメリカから多額の軍事援助を引き出したといわれている。
 また,インドへの対抗上,アメリカとの関係悪化を絶対に避けなければいけない,という政治判断もあったようだ。

 しかしこれは,パキスタン国内の原理主義活動家にとっては,同じイスラム教徒への攻撃であり,反ムシャラフ,反米の機運が高まってきた。このような状況下で,この映画の誘拐事件が起こったのだ。


 とにかく,このような複雑な状況下で誘拐事件が起きたわけである。そして,このような冷徹な政治状況下でなすすべなく,ただ夫の身を案じるしかない妻の視点から,パキスタン政府のテロ対策組織のリーダーやアメリカ領事館の安全保障担当官,アメリカ政府の動向が重層的に描かれている。

 そして,誘拐犯に繋がる人間の逮捕の場面などではハンディカメラの映像が多用され,その荒い画像はあたかも同時進行している事件を撮影しているような緊迫感があり,有無をいわさぬ迫力だ。そして,そのハンディカメラで描かれるパキスタンの首都,カラチで暮らす人々の貧富の差が強烈だ。テロリズムを生むのは何か,宗教的狂信を生み出すのは何かと,ハンディカメラの画像は鋭く見る者に問いかけてくる。その容赦ない鋭さは,見る者に「逃げ」を許さない。

 しかもここには,どんなに絶体絶命でも助けてくれるハリウッド映画のスーパーマンも超人的なヒーローもいない。残されたごくわずかな手がかりを元に地道な捜査を積み重ねる職務に忠実な男たちと女たちが登場するだけだ。捜査が行き詰まることもあるし,手がかりが途絶えそうになることもある。そして時間ばかりが空しく過ぎていき,バールの誘拐した犯人側との交渉も膠着状態に陥りそうになる。徹頭徹尾,作りごとを廃したストーリー展開が重く胸に迫ってくる。

 そして,アンジーの演技も素晴らしいと思う。誘拐が発覚してからの彼女はほとんど素顔でメイクをほとんどしていないように見え,それからもこの映画をきれいごとで終わらせたくないという彼女の強い意志が伝わってきた。実際,夫の死を告げられ,泣き崩れ,号泣するシーンは見ているのも辛いほど痛ましく,そして圧巻だった。


 この事件の背景には宗教問題があるのだが,特定の宗教(それが狂信的なものであっても)を非難する姿勢が全く感じられないのもよかったと思う。そして,パキスタン国内でもさまざまな宗教があり,それを信じる人たちが自然な形で祈る姿が描かれているシーンがあり,それが深く心に残る。

(2009/02/12)

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