《ノーカントリー NO COUNTRY FOR OLD MEN》 ★★★★(2007年,アメリカ)


 2007年のアカデミー賞受賞(作品賞,監督賞,脚色賞)作品で,殺し屋を演じたハビエル・バルデムが助演男優賞を受賞した作品だ。しかも,監督は映画マニアの間で絶対的人気のある巨匠コーエン兄弟(これまで紹介した映画だと《オー・ブラザー!》《レディ・キラーズ》がある)である。

 そして,もちろんすごい映画である。しかし,観客を選ぶ映画でもある。映画マニア,コアな映画ファンなら絶対に見るべき映画であり見逃してはいけない作品である。
 しかし,「カウチポテトで映画を見るのが好き。楽しい映画は好きだけど小難しい映画はちょっと・・・」という普通の映画好きには絶対に向いていない。評論家向き,評論家向けの映画なのである。

 ストーリーは非常に単純なのに,それ以外の部分が多すぎ,しかもわき道にそれた部分に多くのことを語らせているからだ。おまけに,最後の方になればなるほど「そしてどうなったのか」が描かれずに暗示されるだけなのだ。だから,観客側はそれまで映画の中で示されたさまざまな手がかりから「そしてどうなったのか」を推理していくしかない。
 つまり,これこそが本当の映画の楽しみだ,すべてが明らかにされる映画なんて程度が低い,と考えるコアな映画ファンにとっては大傑作ということになるのだが,それ以外の観客にとっては消化不良というか,糞詰まりのモヤモヤ状態のまま放置されることになる。

 そんな面倒な映画なら無理してみるほどじゃないよね,というのが普通の感覚なのだが,この映画は深読みしようとすればいくらでも深読みできる要素を幾つも内包しているのだ。だから,無視するわけにもいかない。本当に困った映画である。


 舞台は1980年頃のテキサス。主人公のモス・ルウェリン(ジョシュ・ブローリン)はベトナム戦争に行ったこともある男で,アメリカ南部で狩りをして生活をしているらしい。そしてある日,数台の車とその周りに死体の山に出くわす。どうやらお互いに銃を撃ち合って相撃ちになったらしい。そして一台の車には麻薬の包みがぎっしりと詰まれ,離れたところで行き絶えている男の脇には200万ドルの札束がぎっしりと入ったケース。どうやら麻薬密輸の犯人たちがいさかいを起こして内輪もめをしたらしい。やばい金であることはわかっていたが,南部の貧しい白人であるルウェリンにとっては喉から手が出るほどの大金だ。そして彼は若い妻の待つ自宅にその大金を持ち帰る。しかし,その札束の中には発信機が組み込まれていた。

 金を持ち逃げされた側は一人の凄腕の殺し屋,シガー(ハビエル・バルデム)を雇い,金を取り戻せと命じる。シガーは少しでも邪魔に入った人間は無感情に躊躇せずに殺し,彼の通った後には死体が次々と転がっていく。

 一方,街の保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は連続殺人事件が麻薬取引がらみのものであることを知り,現場にモスの車が乗り捨てられていることから彼も事件に巻き込まれていることを察知する。大金を手に逃げる男,その男を執拗に付けねらう殺し屋,そして二人を追う老保安官の軌跡が奇妙に絡み合い,思わぬ方向に展開していく。


 圧倒的な存在感を見せるのが殺し屋を演じたハビエル・バルデムだ。殺し屋が登場する映画は数多いが,その中でも一二を争う不気味さだと思う。彼の持つ凶器はなんと高圧ガスを発射するボンベ。どうやら実際に屠殺に使われている道具らしい(牛の額にガス噴出孔を当てて高圧のガスを噴出し,脳みそを穴を開けて殺すのに使う)。そいつを鍵穴に当ててガスで鍵穴そのものを吹き飛ばしては家に押し入り,有無を言わさず銃で殺すのが彼のスタイルだ。

 しかもこのシガーは快楽殺人でもなければ無差別殺人者でもない。恨みで殺すのでも金のために殺すのでもない。彼独特の哲学というか美学があり,それに忠実なだけなのだ。しかもその哲学・美学は殺される側には全く通じない一方的なものだ。自分がこれから殺そうとしている相手への憐憫も相手の事情への理解は一切なく,ただただ一方的に圧倒的な暴力を振りまいていく。

 ちなみにマッシュルームカットのような彼の独特の髪型は,1980年代には普通の髪形だったと思う。恐らくこの髪形を当時の人間が見たら,アメリカの都市に暮らす普通の若者と思うはずだ。


 彼に追われるモスを演じるジョシュ・ブローリンも素晴らしいと思う。ベトナム帰りで銃の扱いに習熟し,死体の山を見ても特に驚くでもなく金目のものはないかと探す狡猾さと大胆さを兼ね備えた男だ。そして,金の隠し場所を工夫するなど頭も切れる。彼は常にカウボーイ・ハット姿で南部の貧しい白人の典型なのだろう。恐らく,逃げるモスと追うシガーというのはアメリカの南北の格差,都市文明に飲み込まれようとする田舎の象徴なのだろう。

 そして,保安官のベルを演じるトミー・リー・ジョーンズもいい。「昔の保安官には銃を携帯しない保安官もいた」という彼のモノローグからこの映画は始まるが,街の住人たちとの何気ない会話にしても年老いた車椅子の男との会話にしても妻との会話にしても,実に渋くて深いのである。映画の原題は "NO COUNTRY FOR OLD MEN",つまり「年寄りには居場所がない」という意味だと思うが,以前の常識が通じない犯罪者の出現に苛立ち,この国は一体どっちに向かっているんだ,この国は変わってしまったという嘆きを表しているかのようだ。

 その意味で,この原題に対し《ノーカントリー》という邦題は意味不明である。《ノーカントリー・フォー・オールドマン》でよかったのではないだろうか。


 ちなみに,トミー・リー・ジョーンズといえば,日本では「缶コーヒーのボス」のあの宇宙人おじいちゃんである。この映画を見ていても,彼が登場すると屋台のラーメンを引っ張るシーンを思い出してしまい,ちょっと困ってしまった。多分,この映画を見た日本人のほとんどが同じように困ってしまうと思う。


 では,この映画はどこに問題があるかといえば, "NO COUNTRY FOR OLD MEN" というタイトルがいまいちピンとこないというか,老保安官ベルの「時代は変わった,古きよき時代ではなくなった。しかしその変化は受け入れるしかないようだ」という感慨というか悲嘆にも近い感情は十分に理解できるのだが,それがこの映画の事件を通じての嘆きとするのは無理があるように感じられる点だ。要するにこの映画はモスとシガーの緊張感溢れる逃走・追跡劇と,それをやや外側から眺める年老いた保安官,という構図だと思うのだが,前者と後者は平行線を描くばかりで交わっていないような気がするのだ。

 確かにシガーのようなタイプの殺人者は普通の人間にとっては理解不能な存在だし,彼独自の論理も観客には理解できるものではない。シガーがたまたま訪れた店の店員との会話は同じ言語での会話なのに,完全にかみ合っていないし,お互いの意思の疎通もできていないという不気味さを感じさせるものだ。こんな奴にたまたま出会い,コインを投げて「裏か表か?」といきなり問われ,その結果によって有無を言わさずに殺されたら,死んでも死に切れるものではないと思う。

 しかし,それはあくまでもシガーという特異な個人に限っての話であり,この映画を見ている限り,社会は正常に機能しているし,シガー以外の人間は普通の人間だ。だからこそ,ベルがこの事件を通じて「もうこの国には年寄りがいられる場所はなくなったのか」と考えるようになるというのは,かなり飛躍していると思うのだ。つまり,映画を見ていても,老保安官の漏らすモノローグと殺人鬼の異常な行動との間に強い関連性があるように感じられないのだ。

 もちろん, "NO COUNTRY FOR OLD MEN" には他の意味があり,老保安官の悲嘆はこの事件と直接関係がないという可能性もあるが,そうなるとこの映画は私の理解の範疇を超えている。


 というような事情を頭に入れて,ご鑑賞下さい。

(2009/03/17)

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