なんで今までこの映画を見なかったんだろうと後悔した傑作,いや,大傑作映画。分類としてはウイルス蔓延人類絶滅系というかゾンビ系の映画だが,人間とは何か,人類の文明とは何だったのか,という重いテーマを真正面から追求した映画であり,生き延びるために何が必要なのか,何のために生き延びるのか,生き延びるためには何をしても許されるのか・・・という問いを見る者に投げかけてくる真摯な作品でもある。
とはいっても,あまりにストレートな暴力表現のため,お子様向けの映画ではないが(何しろ,主人公が目覚めるシーンでペニスがはっきりと映っているし),これは絶対見るべき作品だと思う。
舞台はイギリスで,ケンブリッジ大学の動物実験室に「動物実験絶対反対」を主張する過激な動物愛護協会の活動家が侵入するシーンから始まる。彼らは実験に使われているサルを逃がそうとするが,そのサルは恐るべきウイルスに感染していた。血液や唾液を通じて霊長類にだけに感染し,症状は「凶暴化」。しかも噛まれたり血液が傷口に入ると,10秒で感染してしまうのだ。それを知らない狂信的活動家たちは,その凶暴ウイルスを実験室の外に放ってしまった。
それから28日後,一人の青年ジムが集中治療室で目覚める。病院なのに周りには誰もいない。呼んでも誰も来ない。病院は無人だった。青年は外に出る。そこはロンドンの中心部なのに,全くの無人だ。不気味なまでに街は沈黙し,物音一つしない。拾った新聞には「イギリス国民,国外に脱出」の文字があった。
ジムは教会に入るが,そこで見たものはおぞましい大量の死体! 混乱したジムは「誰かいないのか?」と声をかける。すると,死体の山の中から神父が起き上がる。「ああ,助かった,神父様」と思ったその時,神父が恐ろしい形相で襲ってきた。訳もわからずジムは逃げ出すが,さっきまで無人だった街のあちこちから悪霊のような姿をした化け物が追ってくる。
その時,ガスマスク姿の二人がジムを救ってくれる。そして,自動車事故にあったジムが昏睡状態だった28日間に何が起きたかが明らかにされる。例のウイルスが恐るべきスピードで蔓延し,感染した人間は凶暴化して人間を襲いだしたため,人々はイギリスから脱出し,ごくわずかな「非感染者」がかろうじて生き延びているだけだったのだ。
やがて彼らは,非感染者の親子(フランクとハンナ)がいることを知り,彼らからイギリス北部の軍の施設が安全で感染対策を発見したようだと言う情報を得,一路,その軍事施設を目指す。ジムたちはその軍事施設に到着するが、しかし・・・という映画だ。
この手の人類絶滅系映画としては,ちょっと前に紹介した《アイ・アム・レジェンド》があるが,ストーリー的にはこちらの方がよく練られていると思う。
この手の映画では,「人類が滅びたのに,なぜ水道や電気が来ているんだよ」というツッコミが入るのが通例だ。人類絶滅から1年後という舞台設定でライフラインがそのまま機能していると言う方が無理だからだ。その点,この作品は「28日後」であり,その点での不自然さは感じさせない。「血液や唾液の接触後,10秒で感染が成立」という激烈な感染力を持つウイルスを前提にしたことが成功している。28日後だったら,まだ食料は何とか確保できそうだし,まだ食えそうな食料は商店の陳列棚に残っている。
しかし,水道はいずれ止まるし,電気も止まる。フランク親子が立て籠もっているビルの屋上に置いたバケツも雨が降らないためにからからだ。当然,トイレも水も流れないから,「バケツにして,朝になったら窓から捨てている」とフランクは説明するが、類絶滅系映画で日常の排泄の問題をここまでリアルに描いた映画は多分なかったと思う。
そして,わずか10秒で感染してしまうと言う恐怖。感染者の血液が口や目に入ったら,その時点で感染してしまうのだ。だから,非感染者が生き延びるためには,感染した人間はその場で感染者を殺すしかない。自分の親だろうと配偶者だろうと子供だろうと例外なしだ。生き延びるために,かつての仲間を棍棒で殴り倒すしかない。そのおぞましさに背筋が凍る。それは,感染者が生き延びるために非感染者を襲って食料にする様より恐ろしい。
主人公たちがようやくたどり着いた軍施設を支配する少佐は言う。「あの出来事の28日前も,28日後も,人類はお互いに殺しあっていた。28日で世界は変わったと言うが,実は何も変わっていないのだ」。それを象徴するように,映画冒頭では人が人を弾圧し、殺し合う様子を伝えるニュース画像が流されていた。ウイルスに感染しようとしまいと,人間のしていることは同じだ,とこの映画は告発する。
その意味で,ヒロインのセリーナがそれまで行動を共にしていた仲間が感染したとわかり、殴り殺すシーンは凄絶で過激で衝撃的だった。またフランクが不用意な行動から感染し,自分が感染したと判って娘を押しのけるシーンも痛々しかった。感染してもまだ人間としての意識は残っているのだ。しかし,非感染者は生き延びるために,その「人間の意識がある」感染者を殺さなければいけないのだ。
感染成立までの時間が短く,感染してもしばらく人間としての意識を保っているという恐怖は想像を絶するものだと思う。その意味で,凡百のホラー映画,スプラッター映画の怖さとは次元が違うのだ。
暴力が支配するこの映画で,唯一暴力から自由なのは,鳥や野生の馬たちだ。ウイルスが感染しない彼らは,変わらずに生きている。フランクたちが恐怖に囚われて生きているのに,馬は変わらずに自在に走り回っている。その対比が,絶望的に美しい。人類が死滅しても,この世は変わらず続いているのだろう。
基地を守る兵士たちが,性の欲望を満たしてやろうと言う指揮官の言葉で組織を維持していたというのも極めてリアルだ。男ばかりの集団で生き延びたとしてもそこには未来はない。未来は女性がいて初めて生まれる。そして、生死の狭間に直面したとき,性を求めようとする人間の本性もある。しかしそれは女性に対する一方的な暴力の発露にほかならないのだ。この軍隊が守ろうとしたものは果たして何だったのかと、この映画の作り手は鋭く問いかけてくる。
最後の救援の飛行機に向かってジムたちが布を広げるシーンで、それに書かれていた文字が "HELP" でなく "HELLO" だったのも感動的だった。ここにも映画監督の強いメッセージが感じられる。
もちろん、穴がないわけではない。ジムが基地内でセリーナとハンナを救うために次々に兵士たちを倒していくシーンは素晴らしい迫力だったが、ジムは数日前までは階段を駆け上がる途中で息を切らすほどのヘタレだったはずだ。このいきなりの大変身はかなりストーリー上は必要だったとはいえ、かなり不自然だである。また、感染者を殺すシーンではかなりの血しぶきが飛んでいるが、あれで目に地の一滴も入らないというのはどう考えても変(外来で外傷の治療をしていても、結構メガネに血液が付いているものだ)。だが、それらは些細な傷だ。
絶望的状況の中でも生き抜いていく際に何が本当に必要なのか、未来とは何か、希望は何から生まれるのか・・・を観る者に鋭く問いかけてくるこの映画は素晴らしいと思う。
ちなみに,最後の場面でフォーレの「レクイエム」の「天国にて」が印象的に使われていた。
(2009/04/01)