《パンズ・ラビリンス Pan's Labyrinth》★★★★★ (2006年,スペイン/メキシコ)


 私は毎週末の移動の際にさまざまな映画を手当たり次第に見ているが,絶対に手を出さないジャンルがある。ファンタジーと恋愛映画だ。まぁ,50過ぎのオッサンでファンタジー映画が大好き,なんてのがいたらキモイの一言で人間性まで否定されそうだし,何より,幻の国や魔法使いの国で王子様やら妖精さんが活躍する映画を見ても面白さを感じる歳でもないのである。

 そしてこの映画は一応ファンタジーに分類されている映画だ。妖精は何度も登場するし,牧神(パン)も登場する。地下世界の王国もあるし,地下王国の王様と女王様も登場する。その意味では堂々たるファンタジーだ。


 しかし,これは普通の意味のファンタジーではないのである。「ダーク・ファンタジー」と銘打たれてはいるが,戦争と内戦の恐ろしさ,人間性の暗黒部分をこれでもか,これでもかと抉り出すのである。残虐シーンの描写もすごく,さんざんホラー映画を見慣れた私でも「ちょっとこれはひどいな」と感じたシーンが幾つもあった。要するに,「ファンタジー映画のコーナーにあったからお子様向けのファンタジーなんだろうな」なんて気軽に借りてみると,とんでもないことになるのである。10歳くらいの女の子が主人公なんだけど,18歳以下の子供にはちょっと見せたくないショッキングな映画なのである。

 そして内容が深く,感動的なのだ。特に後半は,どういう風に結末をつけるつもりなのかが気になって,目が離せない展開になるのだ。そして,あの謎のような冒頭のシーンの意味が明らかになる。果たしてハッピーエンドなのかそうでないのか,それすら定かではないが,映画制作者自身がどうしようもなくなって観客に丸投げしたエンディングではないのだ。十分に考え抜かれて作られたエンディングなのである。

 ちなみに,2006年のカンヌ映画祭では上映後に数十分に及ぶスタンディングオベーションが続いたことは有名だし,スペインの映画賞,英国の映画賞を総なめにし,アメリカのアカデミー賞でも撮影賞,美術賞などを受賞している。

 なお,映画タイトルの「パンズラビリンス」は "Pan's",つまり,「牧神パンの迷宮」という意味である。


 舞台は1944年のスペイン。当時のスペインではフランコ将軍派と共産主義ゲリラの戦闘が続いていた。

 主人公は10歳くらいの少女,オフェリア。夫を戦争でなくした母親はフランコ派の軍司令官ビダルと結婚し,お腹には既に子供がいて,オフェリアをつれて母親はビダルが司令部として使っている山荘に向かっていた。だが,オフェリアは自分に新しい父親ができるということを受け入れられない。フランコに心酔するビダルは冷酷無慈悲な軍人だったのだ。

(羽のあるナナフシ)に姿を変えた妖精に導かれて山の中の石造りの迷路に入っていった。そこで牧神のパンが現れ,「あなたは地下王国から地上世界に迷い込んだ姫君だ。父上の王様はあなたの帰りを待っている。しかし,地下王国に戻るためには3つの試練を乗り越えなければいけない」と告げる。 >

 一方,現実の社会は次第に物資が不足し,配給制が始まり,ゲリラと軍の戦闘も激しさを増していく。そして,臨月を迎えた母親の具合も次第に悪くなる。その様子を見たビダルは主治医に「出産の時は子供を救え。母親は死んでも構わない」と命令する。

 第1の試練,第2の試練をクリアしたオフェリアにパンは最後の試練を明かす。それは,生まれたばかりの弟をあの石の迷路に連れてくるように,というものだった。そして,弟を連れたオフェリアにパンは,王国に戻るためには弟を殺せと言った。そしてオフェリアは・・・という映画だ。


 映画全体から伝わってくるのは戦争の恐ろしさ,人を殺すことを美化する戦争の怖さだ。それらが情け容赦なく描かれている。そういう戦争の具現者がビダルである。彼は,ゲリラのスパイと疑った村人を躊躇なく殺し,ゲリラ兵を拷問にかけて自白させることを楽しんでさえいる。要するに最高の軍人である。

 そして彼は常に,最高の男であることを自分に課している。オフェリアはそんな男を父として受け入れられないが,母親は「生きていくためには仕方がない。お前も大人になればわかるわ」と諭す。しかしビダルにとって必要なのは妻ではなく,自分の雄々しさ,勇敢さを伝える息子だけなのである。

 一方,1944年当時のスペイン内線の様子も痛々しいほどリアルに描かれていて,体の痛みとして観客に迫ってくる。たとえば,負傷して足が化膿したゲリラ兵士は無麻酔で足を切断されるし,ビダルは捕らえたゲリラ兵をペンチやはさみや金槌を使って楽しむように拷問する。ビダルに拷問を加えられそうになって反撃する女性は,ビダルの頬を調理用の刃物で切り裂く。そんな一つ一つの行為を丹念に描くことで,戦争という狂気を抉り出していくのだ。銃弾が飛び交うシーンより,このようなシーンの方がはるかに怖い。


 こんな情け容赦のない現実があったからこそ,オフェリアは妖精に誘われて夢のような世界にいかなければいけなかったのだ。そういう世界に入り込むしかない少女の心が切なくいじらしい。

 彼女が迷い込んだ世界が単なる想像なのか,本当に存在する異界なのかは明確に描かれてはいないが,最後のシーンをみると,オフェリアは本当に地下王国に戻れて幸せに暮らしたということを信じたくなる。そうでなければ,彼女が余りにも可哀想で救いようがない。

 オフェリアに課せられた試練に登場する怪物たちも意味深く象徴的だ。巨木のうろに棲む巨大なカエルは自分が原因で木が枯れたのにそこを動こうとしない。豪奢な部屋で山盛りの料理が積まれたテーブルに座る目のない怪人は眠っていて,その料理を食べるわけでない。しかし,他人が一粒のブドウを食べただけで目を覚まし,食べた者を喰おうとする。

 もちろん,カエルや怪人に戦争とか軍隊とか権力とか,さまざまなものに置き換えても,それに応じて意味合いが変わるのだ。そういう深さを持っている。


 この映画はものすごい作品である。脚本はほぼ完璧な出来だし,ストーリーの穴もない。映像的にも極めて美しく,深い精神制を持つ寓話に仕上がっている。大傑作と言っていいと思う。

 だが,観る者にある種の覚悟と気力と体力を要求する作品である。生半可なことでは観られない映画である。実際,もう一回この映画を見たいかと問われたら,ちょっと答えに躊躇してしまう。また前述のように,残虐なシーンは半端でないレベルなので,その手の映画に弱い人は正視に耐えないはずだ。
 さらに,妖精である「羽のあるナナフシ」は何度も大写しされるし,オフェリアの体の上を巨大なダンゴムシが何匹も這い回るシーンもあり,虫に弱い人にはかなり辛いと思う。その意味でも,見る人を選ぶ作品といえる。

 というわけで,気力と体力が十分な時に見て欲しい。必ず深い感動が得られるはずだ。

(2009/05/03)

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