デビット・フィンチャー監督の長編第3作目の映画らしい。この監督の作品だと,以前紹介した《ファイトクラブ》があったが,今回の《ゲーム》はちょっとやり過ぎというか,無理やり感が強くて正直あまり楽しめなかった。確かにストーリー自体は面白いし,最後まで見てしまったけれど,後味が良くないんだよね。ここまでやっちゃ,いくらゲームでも駄目だろう,というレベルなんですよ。たかがこの目的のために,ここまでやっちゃうか,という感じがします。
サンフランシスコに住む実業家のニコラス(マイケル・ダグラス)は仕事バリバリ人間。奥さんとも別れ,大邸宅に一人で暮らしているが,仕事は順風満帆で大金持ちだ。彼はもうすぐ48歳になるが,実はその年齢は実の父親が自殺した年齢だった。そして彼にはコニー(ショーン・ペン)という弟がいる。どうやらまともな仕事についていないらしく,ニコラスにとっては不肖の弟である。
そんなある日,弟から誕生祝として「CRS社主催のゲーム」がプレゼントされる。どうやら「人生が変わるような素晴らしい体験ができる」というゲームらしい。最初は乗り気でなかくゲームへの参加を渋っていたニコラスだが,既にそのゲームは始まっていたが,それは危険で過激なゲームだった。エレベータに閉じ込められたり,ギャングが襲ってきたり,タクシーに乗ればニコラスを閉じ込めたまま海に飛び込み,生命すら危なかった。そしてCRSのメンバーの口から,これは大掛かりな詐欺事件で,ニコラスのスイス銀行の全預金をいただこうとする計画であることが告げられる。
そしてニコラスはわずかな手がかりからCRS社の秘密に迫っていき,ついに・・・という映画だ。
映画の初めの方で,兄に「これはプレゼントのゲームだ」というコニーは,ニコラスが金儲けばかりでどんどん嫌な奴になっていくのが心配だった,といっている。だから,少々の出来事が起きてもこれはゲームなんだろうな,と見ている方は安心できるのだが,追いかけてくる警察犬から逃げるシーンあたりから,ゲームにしてもちょっとやり過ぎじゃないの,という感じが漂ってくる。ゲームにしては危なすぎるのだ。
もちろん,ニコラスは間一髪逃げられるんだけど,それはあくまでも結果論であって,あそこで大怪我しても不思議はなかったし,タクシーのダイビングシーンもそうだ。最後の,ビルの屋上のシーンにしても,あそこでニコラスが自分の頭を撃っていたらコニーはどうするつもりだったのだろうか。しかもこの屋上シーンで拳銃で撃つ部分にしても,無事に○○に当たったからいいけど,それはよほどの射撃の名手の話であって,○○でなくて顔を打ち抜いても手足に当たっても,あるいはその他の人に弾が当たっても不思議ない状況だったのだ。
要するにこの映画は,最初から最後まで偶然頼みなのである。いくら計算し尽くしたとしてもアクシデントは必ず起こるし,人間は計算外の行動に出ることもある。見ていてこれはすごく不自然だった。しかもこのゲームの最終目的は「アレ」である。「アレ」のために,ここまでやるか,普通? そういう「ありえねぇ」という感じが見ている者を白けさせるのだ。
最後のパーティーシーンで感動する人もいるかもしれないが,ニコラスが笑って許すのはおかしいと思う。仕掛けた方は「いつものゲーム」だろうが,仕掛けられた方は精神崩壊寸前だったはずだ。私なら,あのシーンで全員を殴り倒したと思うし,それが当たり前の反応じゃないだろうか。ニコラス,お人よしにもほどがあるぞ。
デビッド・フィンチャーは凝りに凝りまくったストーリー展開とあっと驚くような仕掛けで,色々考えさせたり感じさせる作品を撮る監督だと思うが,この作品は風呂敷を広げすぎてしまったような気がする。最初の設定として据えた「目的」に対し仕掛けが大き過ぎて,バランスを欠いてしまったような気がする。
(2009/06/03)