19世紀末のウィーンで活躍する「幻影師(イリュージョニスト)」を主人公にした重厚かつ美しい映画だ。細かいところまで見ていくと問題はあるのだが,水準は遙かにクリアしている作品であり,見るべき価値のあるいい映画の一つである。
アイゼンハイムは家具職人の子として生まれた。生来手先が器用で,奇術師に出会ったことからマジックの面白さに魅せられていく。そして,父が家具を納める公爵家の令嬢ソフィーとに出会う。もちろん,家具職人の子供と伯爵令嬢であり,身分はまるでつりあわなかったが,二人は仲良く遊ぶようになり,そしてやがて互いに愛し合うようになる。しかし,身分の違う二人は引き裂かれ,アイゼンハイムは村を出る。
そして15年の歳月が流れ,アイゼンハイム(エドワード・ノートン)は絶大な人気を誇る幻影師としてウィーンの劇場に立ち,興行は連日満員だった。とりわけ,オレンジの種を鉢に植え,それが瞬く間に芽を出して育ち,オレンジの実を付けるマジックは絶賛を博していた。
そんなある日,皇太子レオポルド(ルーファス・シーウェル)は婚約者の公爵令嬢を伴って劇場を訪れる。アイゼンハイムが「誰か舞台に上がって欲しい」と客席に呼びかけると,レオポルドは令嬢(ジェシカ・ビール)に舞台に上がるように命令する。それがあのソフィーであり,二人は15年ぶりに再会する。皇太子は尊大で冷酷であり,最初の婚約者を殺したという噂が立っていて,ソフィーとの結婚もハンガリーと同盟を結ぶためのものだった。その後,皇太子の宮殿に招かれたアイゼンハイムは皇太子の剣を使って「アーサー王のエクスカリバー」を再現して皆を驚かせるが,常に自分が最高でなければいけない考える皇太子の怒りを買ってしまう。
そして程なく,アイゼンハイムとソフィーは密会を重ねるようになるが,二人が秘密に会っていることはすぐに皇太子の命令で動いているウィーン警察のウール警部(ポール・ジアマッティ)に知られてしまい,彼は皇太子にそのこと告げる。そして皇太子とソフィーは口論になり,はずみでソフィーを殺してしまう。ソフィーの死を知り,アイゼンハイムは皇太子の仕業であることを確信するが,犯人として浮浪者が逮捕される。
そして,アイゼンハイムは新しい出し物を始める。なんと,死者の霊を舞台で呼び出すというマジックであり,舞台に呼び出された霊は誰の目にもはっきりと見え,観客の呼びかけに応じて話し始めるという前代未聞のものだった。そしてある日,舞台でソフィーの霊が呼び出され,「私はこの劇場内にいる人間に殺された」と話し始める・・・という映画だ。
まずなんと言っても,アイゼンハイム役のエドワード・ノートンが素晴らしい。舞台で瞬く間にオレンジを成長させ,死者を蘇らせるという到底不可能と思われる幻影を作り出すが,ノートンの底知れぬ深みを思わせる双眸を見ていると,CGによるものだとわかってもやはり驚かされる。そして何より表情がいい。特に,舞台のソフィーの亡霊と見詰め合う表情の哀切さには胸が詰まる思いだ。
そして,皇太子を演ずるシーウェルもこの嫌な男を見事に演じ切っている。何事も自分が一番でなければいけないと考えているが,それにふさわしい知性も教養も持ち合わせている。やがて国の全てを握る地位にいるのに,大人しくその日を待つようなタマでもない。そして,アイゼンハイムの仕掛けるどんな幻影もトリックに過ぎず,必ずネタがあるはずだと考えをめぐらせるほど知的な男でもある。
レオポルドがこの国の王であるように,アイゼンハイムは舞台の王なのだ。王はもう一人の王の存在を許さない。だからこそ,あの「アーサー王のエクスカリバー」のシーンで,アイゼンハイムとレオポルドの間に火花が散る。
そして,ウール警部役のジアマッティがこれまたいい。最高権力者の命で動いていて,その命令には逆らえず,アイゼンハイムの身辺を探るが,彼の才能と魅力を知り,何とか彼を助けたいとも考えている。「二人の王」の間で必死に隘路を探そうとする姿が迫真的だ。
映像も美しく,19世紀のウィーンの社会をほぼ完全に再現していると思われるほどの完成度だし,音楽も重厚壮麗な映像に完璧にマッチしていて見事だ。
だが,問題が全くないわけではない。
まず,アイゼンハイムのマジックが現実的に不可能と思われるレベルであることだ。オレンジの木もハンカチを運ぶ蝶もそうだし,霊魂呼び出しに至っては現代の科学技術を駆使しても舞台で再現することすら不可能だろう。もちろんそれらは,CGを駆使することで実現されているわけだが,かえってマジックらしく見えなくなってしまったような気がする。そして,最後までトリックは謎のままであるのも,イリュージョニストを主人公とした映画の設定としてはどうかなと思った。
映画はラスト10分くらいまでは「身分の違う悲恋,恋人を殺されたマジシャンの復讐劇」として進むが,ラスト10分間ですべての真相(マジックのネタ以外の真相ね)が明かされ,ラブロマンスはいきなりミステリーに変貌する。確かにこれなら全ての説明が付くが余りに唐突すぎる。なぜかといと,それまでのシーンで,あの「真相」への伏線らしいものは全く示されていないからだ。観ている方はラブロマンスだと思ってみているのに,いきなり「実はこれは謎解き映画だったのだ」と言われても困ってしまう。確かに「驚愕のラスト」ではあるが,限りなく反則技に近いのではないだろうか。
それと,ソフィーの年齢もちょっと疑問。子供時代のアイゼンハイムとソフィーはどう見ても同年代かソフィーが2,3歳若い程度だと思う。二人が強引に引き裂かれるシーンでのソフィーの台詞は13,4歳でなければ言えないと思う(まさか10歳であの台詞はないよね)。とすると,15年後に二人が再会した時,ソフィーは28歳か29歳でなければいけない。
しかし,19世紀後半の侯爵の令嬢がこの年齢まで独身と言うことはあるんだろうか。13歳の初恋の相手を忘れられず,舞い込む結婚話を断り続けたという可能性はあるが,皇太子の結婚相手になるくらいの家柄なら,そういう個人のわがままはまず絶対に通じないはずだ。また,いくら家柄が高く,ハンガリーとオーストリアの友好のためとは言え,皇太子が30歳近い「(当時としては)高齢な」女性を結婚相手として選ぶのか,という不自然さもある。
多分,「二人が引き裂かれたのは17歳と14歳,二人が再会したのは8年後」くらいの設定にしておけば,このような不自然さはなかったと思うがどうだろうか。
このように問題はあるが,それでも欠点より美点の方が遙かに勝っている佳作である。見て絶対に損はない映画だと断言する。
(2009/07/03)