久しぶりに映画を見て泣いてしまった。しかも,何度も泣いた。おそらく,音楽好きなら皆そうだと思う。そして,子供をもつ親も皆,泣いてしまう映画だと思う。
そして何より,主人公の11歳の少年エヴァンがギター演奏するシーンの素晴らしさに言葉を失う。私はギターについての知識はないが,おそらくこの演奏は《4分間のピアニスト》のラストの演奏にも匹敵する。それほどの感動と驚きだった。一台のギター,一人の演奏者の指がこれほど多彩な響きを生み出しているという事実に圧倒された。
天才がその持てる才能を解き放つ様を見るのは楽しい。嫉妬心や対抗心を抱くことがバカバカしく思えてくるほどの才能に出会い,神の領域で軽々と遊ぶ様子を見ていると,細かいことなんてどうでもよくなってくる。自分は神に選ばれず,なぜこいつだけが選ばれたのか,という思いも,天才の無邪気さの前では下らないことに思えてくる。主人公が生まれて初めてギターを手にして音を出すシーン,楽譜の読み方を教えてもらっただけで頭に浮かぶ音を楽譜に移していくシーンなどがそうだ。
これは音楽好きのための良質で感動的なファンタジーである。
エヴァン・テイラー(フレディ・ハイモア)はニューヨーク州の養護施設で暮らす11歳の少年だ。生まれてすぐにここに預けられ,両親については一切知らない。そして彼には不思議な才能があった。身の回りの様々な物音が音楽に聞こえ,世界が音とリズムに満ちていることを感じ取れるのだ。そして少年はいつしか,自分に音楽を授けてくれた父と母がこの世の中のどこかで生きていて,音楽を通じて両親と自分が結ばれていると信じるようになっていた。そして,そんなエヴァンを児童福祉局のリチャード(テレンス・ハワード)は温かく見守っていた。
そして,エヴァンの直感通り,父と母は生きていた。しかし,エヴァンが生きていることを父母は知らなかった。
11年前,新進気鋭のチェリストとして将来を嘱望されていたライラ(ケリー・ラッセル)と,ロックグループのヴォーカリスト,ルイス(ジョナサン・リース=マイヤーズ)は運命的な出会いをし,お互いに恋に落ちてしまう。だが,二人は連絡先を伝える間もなく引き裂かれてしまった。そしてそのとき,ライラは妊娠していた。ライラは子供を産む決断をしたが,臨月のある日,交通事故に遭い,意識が戻ったとき,「子供は死産だった」と父親に告げられる。娘の将来に子供が邪魔になると考えたのだった。
それ以来,ライラは音楽への情熱を失ってしまい,演奏活動から身を退けてしまう。一方のルイスも彼女を失った悲しみからバンド活動を止め,今はビジネスマンとして暮らしていた。
そんなある夜,エヴァンは電線から不思議な音が聞こえてくることに気づく。それに導かれるように施設を抜け出し,親切なトラック運転手に拾われてマンハッタンにたどり着く。そこで,道端でギターを弾く少年アーサーと知り合いになり,ストリート・パフォーマンスをする少年少女たちが暮らす廃墟となった劇場に行く。彼らに演奏する場を与え,稼いだ金をピンハネしていたのはウィザードと呼ばれる男(ロビン・ウイリアムス)だった。そしてその夜,生まれて初めてギターを手にしたエヴァンは,内なる声のままに音を紡ぎ出していく。その見事な演奏にウィザードはこの少年が本物の天才であることを知り,彼に "August Lush(8月の熱狂)" という芸名を与えて演奏させる。その演奏はまさに聞くものを熱狂させるものだった。
だが程なく,養護施設から飛び出した子供が働かされているという情報を得た福祉局が,エヴァンたちが暮らす廃墟を急襲する。エヴァンは辛くも逃げ出したが,またも夜のマンハッタンをさまようことになった。
そして,ゴスペルの歌声がエヴァンを教会に導く。そこで聖歌隊の少女ホープが彼に簡単な楽譜の読み方を教える。天才にはそれで十分だった。彼は次々と浮かび上がるメロディーを楽譜に書き留める手段を得たエヴァンは,一時も休まず,五線を音符で埋めていく。学校から帰ってきたホープは部屋が5線譜で埋め尽くされている様子を見て驚き,牧師に「この前教えてもらったモーツァルトのような人がいる!」と伝える。その圧倒的な作曲の才能はジュリアード音楽院に伝えられ,彼はジュリアードに迎えられ,本格的に作曲を学んでいく。
一方,ライラは死の床にある父親から,実は子供が生きていることを知らされる。11年間,押さえていた感情が一挙に吹き出す。彼女は行方のしれないわが子を追ってわずかな手がかりを元にニューヨークにたどり着き,まだ見ぬわが子の名がエヴァンであることを知る。そして,自分の音楽がエヴァンに届くはずだと考え,演奏活動に復帰することを決める。11年間隠遁していた若き天才チェリストの復活に,ジュリアード音楽院主催の屋外コンサート出演のオファーがくる。
一方のルイスも,11年前の一夜の思い出を捨てきれない自分に決着をつけるために,かつてのバンド仲間に連絡を取り,ニューヨークのライブハウスで11年間の想いのたけを込めた歌を歌おうと決意する。
エヴァンはオーケストラのための「8月の狂詩曲」を完成させ,その完成度の高さに驚愕したジュリアードの教授陣はニューヨークの屋外コンサートの最後の曲としてエヴァンの指揮で演奏することを決める。
しかし,最後の練習をするエヴァンの前にウィザードが現れ,「俺はこの子の父親だ」と名乗り,エヴァンは連れ戻されてしまう。両親に再会できる唯一のチャンスが潰されたに思われたその時・・・という映画だ。
はっきり言えば,これはファンタジーだ。それも大甘のファンタジーだ。そんなに都合のいい出来事が続くわけはないだろう,そんなに世の中は善人ばかりではないだろう,ドレミの基本的な読み方を教わっただけで頭に浮かぶメロディーを五線に書き写せるわけがないだろう,という批判は当然あると思うし,私もそう思う。だが,この映画ではそのすべてを許し,見逃そうと思う。音楽の持つ力を信じたいからだ。音楽には力があると信じているからだ。この「音楽の力」を信じなくて,何を信じるのだと思うのだ。
何より,音楽の使い方が抜群にいい。エヴァンのギター演奏シーンの素晴らしさについては既に触れたが,それ以外のシーンでもほぼ完璧だと思う。使われている音楽はこの映画のために新たに作られたものばかりということで,映画が完成する前に音楽の方が一足早く完成したらしい。だから,映像は音楽の良さを最大限に引き出すように工夫されている。音楽を大事にしている映像だから,それが見ている方にも伝わってくる。
特に,屋外コンサートでライラが弾くチェロのソロがルイスの歌の前奏になり,異なった場所で演奏する二人の音楽が見事に重なりあっていく場面は感動的であり,比類なき完成度だ。
コンサート会場を出ようとするライラの耳に届くのは,「8月の狂詩曲」冒頭のチェロのソロだ。バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の前奏曲の巧みなアレンジが彼女の足をとどめ,ライラは会場に戻っていく。そして,ライブハウスから出たルイスたちの乗っているタクシーは渋滞に巻き込まれる。そのルイスに耳に「狂詩曲」のギターの荒々しいリズムが届き,ルイスはタクシーを出て道をひた走り,会場に向かう。音楽の神が,11年間離ればなれの恋人たちと家族を引き寄せる。そして,ゴスペルの歌声が重なり,「狂詩曲」は静かで圧倒的な集結部に向かう。
ウィザードに連れ戻され,公園でギターを弾こうとするエヴァンに,その男の子が我が子であることを知らないルイスが声をかけ,二人でジャムセッションをするシーンもいい。お互いに相手のフレーズを少しずつ真似しながら発展させていくところはまさに感動的。誰にも知られることがなかった不幸な傑作ピアノ小説『マンハッタン物語』の終結部を彷彿とさせる名シーンだと思う。
今回ばかりは,ストーリーについても俳優について触れるつもりはないし,それでいいと思う。ただ,音楽が好きな人だけ見てくれればそれでいい。この映画の主役は色々な音とリズムなのだから。
(2009/07/14)