新しい創傷治療:ファーゴ FARGO

《ファーゴ FARGO》★★★★★ (1996年,アメリカ)


 1996年のアカデミー賞の主演女優賞と脚本賞を受賞したコーエン兄弟の大傑作。これまで,この兄弟監督の作品は幾つか見ているが,この《ファーゴ》が一番面白かった。無駄な部分はなく,常に事件の核心部分だけを一直線に追い詰めていくため,95分間,心地よい緊迫感が続く。救いようがないほど陰惨な事件を描いていて,見終わった後どうしようもない虚無感に襲われるのだが,それが救いのない虚無感でなく,明日への希望(もちろんかすかな希望ではあるが)を抱かせる結末なのだ。

 ちなみに,主演女優賞を受賞したのは妊娠中の警察署長を演じたフランシス・マクドーマンドだが,彼女はジョエル・コーエン監督の奥様ということだ。この賞を受賞したとき「私は12年間女優をしているが,今回初めて,監督と寝て主演の座を掴みました」とスピーチしたそうである。機知に富んだ見事なスピーチである。


 アメリカのミネアポリスに暮らすジェリーは自動車販売会社の部長を務めるのディーラーだったが,どうやら実生活は借金まみれで返済に困っていた。そこで彼はとんでもない計画を立てる。人を雇って自分の妻を誘拐してもらい,大金持ちである彼女の父から身代金を出してもらい,身代金を誘拐犯と自分で折半するという計画である。要するに偽装誘拐である。そこで彼は,会社で働く一人の社員(前歴があり仮釈放中)の紹介でカールとグリムスラッドの二人組みを紹介してもらう。ジェリーがこの二人組みと最初に顔を会わせるのがファーゴという街である。

 二人組みは首尾よくジェリーの妻を誘拐するが,ジェリーが用意した車に通常のナンバープレートが付いていないことからパトカーに停車を命じられる。そして警官の追求から逃げられなくなり,グリムスラッドは警官を射殺。さらに,その様子を目撃したアベックまで殺してしまう。

 ジェリーの元にカールたちから,予期せぬ出来事で殺人を犯してしまい,4万ドルでは割に合わない,100万ドル寄越せと連絡が入る。実の娘を誘拐された父親は100万ドルも惜しくないと金を用意するが,いつもいい加減な言動ばかりしている義理の息子ジェリーのことは全く信用しておらず,金の受け渡しの場所には自分が行くと言い張って聞かない。

 一方,3人の死体を発見した警察で陣頭指揮を執るのは,売れない画家を夫に持つ女性警察署長で,彼女は妊娠8カ月である。彼女は犯人たちが乗っている車の種類を割り出し,そこから次第にジェリーの身辺に近づいていく。しかし,カールとジェリーの義父の身代金受け渡しの場でも,またしても予期しない出来事があり,事件は坂道を転げ落ちるように破滅に向かって驀進する・・・という作品である。


 映画は,これは1987年に実際に起きた事件を元にした,という説明から始まるが,真偽のほどは定かではない。恐らく,似たような事件を元に換骨奪胎し,全く新しい物語として作り上げたのではないだろうか。とにかく,先の読めない展開といい,緻密に組み立てられたストーリーといい,どこをとってもほぼ完璧だと思う。そして,登場する人物はそこらに普通にいる感じなのに,どこか一本ねじが外れていて(特にジェリー,カール,グリムスラッド),しかも「キャラが立っている」のである。そして,さりげなく口に出る一言がすごくよかったりするのだ。

 加えて,陰惨な事件を扱っているのにどこかユーモラスなのである。ジェリーが詐欺まがいの手口で客に車を売ろうと必死になる様子もおかしいし,無口なグリムスラッドがひたすらテレビを見続けている様子もなんか妙に笑えてくる。要するに,日常生活と犯罪,殺人の垣根が非常に低いのだ。その垣根の低さが恐ろしくもあり,そして画面を通してみている側には一種の「現代の寓話」のように見えてしまうのだ。恐らく,日本とアメリカではこのあたりの受け取り方は違ってくると思うが,いずれにしても,監督のバランス感覚の見事さには舌を巻く。


 それにしても,主人公のジェリーの愚かさといったらない。4万ドル(映画公開当時のレートでは500万円弱)を手に入れるために偽装誘拐を企て,これは誰も傷つけないし,誰も逮捕されない完璧な計画だと自画自賛する。しかし,誰の目にもこの計画は杜撰そのものだ。もしも義父が警察に通報して協力を求めたらどうするのか,妻が大人しく誘拐されずに抵抗したらどうするのか,8万ドルを手にしたカールたちが大人しく身代金の半分を渡してくれるのか,目撃者がいたらどうするのか・・・など,不確定要素で一杯だ。普通ならこんな計画で金が手に入らないことはすぐに気がつく。しかし,ジェリーは気がつかない。八方塞でどこにも逃げ道がなく,4万ドルさえあれば人生がうまくいくはずと,それしか思いつかない。救いようがなく愚かで馬鹿な男である。

 そんなジェリーという人間の本質を義父は最初から見抜いている。悪い人間ではないが,どうしようもなく愚かな男だとわかっている。そして,そういう愚かな男を選んだ自分の娘の愚かさも知っている。そして,そんな愚かな娘が人並みに暮らせるようにと,能力のない夫のジェリーを会社の部長にまで取り立ててやったのだろう。ジェリーが義父から8万ドルをせしめようと企てたのも,「実はお前は能無しなんだ」という義父に対する精一杯の反抗だったのかもしれない。そういう愚かさの連鎖が,この悲劇の発端だったような気がする。

 だからこそ,警察署長の女性が殺人犯の一人を護送しながら,「人生にはもっと価値があるの。こんなに素晴らしく晴れた日なのに,犯罪を犯すなんて信じられない」と話しかけるシーンが利いてくる。そして,自宅で彼女の帰りを待つ画家の夫が「俺の絵が3セントの切手の図柄に選ばれた。3セント切手なんて誰も使いやしないのに」言うのに対し,「それは素晴らしいわ。郵便料金が値上げされたら,みんながその切手を使うのよ」と声をかけるシーンも感動的だ。


 映画冒頭,真っ白な画面で始まり,やがてそれは一面の雪であることがわかる。この場面のルネッサンス音楽風の音楽もまた素晴らしい。音楽はやがて大きく盛り上がり,これが壮大な悲劇であることを予兆させる。そして,真っ白な雪に閉ざされた街が血みどろの惨劇の舞台のなるという,白と赤の色彩の対比も強烈にして鮮烈だ。

(2009/07/16)

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