《モンタナの風に抱かれて》★★★ (1998年,アメリカ)


 3時間近い大作映画だ。そんでもって,永遠の2枚目,ロバート・レッドフォードの監督主演作品だ。でもって,レッドフォードが大好きなモンタナの美しい大自然が十分楽しめる映画だ。で,傷ついた心を持つ少女と傷ついた馬が「馬の心がわかる男」に癒されていく感動作だ。

 と,誉めといてなんだが,超恥ずかしい映画なのである。それもこれも,撮影当時61歳のすっかり初老のレッドフォード(1936年生まれである)が無理矢理「美形さわやか青年」の役を演じ,しかもそれに陶酔しまくっているからだ。すっかりオッサンなのに「若者」を演じようと暑苦しさを振りまく森田健作氏を思い出しちゃったよ。

 しかも,「大人同士の不倫の愛」なんて余計な要素を詰め込んだもんだから,映画として空中分解寸前なのである。少女と馬とカウボーイの物語にして90分くらいにまとめたら,すごくいい映画になっただろうに・・・。過ぎたるは猶及ばざるが如し,という言葉をレッドフォードに贈りたい・・・といっても,日本語わからないだろうけど。


 まず舞台はニューヨーク。弁護士の父(サム・ニール),辣腕雑誌編集長を母アニー(クリスティン・スコット・トーマス)に持つ快活な症状,それがグレース(スカーレット・ヨハンソン)だ。彼女は休みの日には愛馬ピルグリムに乗るのを楽しみにしていた。しかし,友達と二人で乗馬を楽しんでいた彼女を悲劇が襲い,事故で友人が死に,彼女は右足を切断し,そしてピルグリムは瀕死の重症を追う。調教師はアニーに,ピルグリムを安楽死させる許可を求めるが,アニーは決断できない。そしてピルグリムは生き残るが,大きな傷跡が残り,誰も近づけない暴れ馬になってしまった。一方,グレースも心を閉ざし,学校にも行かなくなり,暗い毎日を送るようになっていった。そして,アニーと夫も互いにすれ違いの生活を送っていた。

 このままではグレースは駄目になる,もとの明るい子供に戻って欲しいとアニーは願い,必死の思いで傷ついた馬の治療に関する記事や文献を探し,"Horse Whisperer(馬に囁く者)" という馬を癒す力を持ったカウボーイがいることを知る。そして,トレーラーにピルグリムを乗せ,グレースとともにニューヨークからモンタナまで向かい,カウボーイのトム(ロバート・レッドフォード)に会う。

 もちろん,ピルグリムはトムを近づけようともしないし,グレースもトムに心を開こうとしない。しかし,モンタナの大自然の中でゆったりと流れる時間で暮らすうちに,ついに・・・という映画である。


 獣医さんの知り合いに聞いたことがあるのだが,若い馬はほとんど猛獣と同じで,全く近づけないこともあるそうだ。下手に近づいて,蹴られて大怪我,なんてこともあるらしい。この映画でも,暴れるピルグリムはまさに猛獣である。絶対に近づきたくない連中である。

 そして,別の獣医さんによると,馬は頭があまりよくない動物らしい。さすがは「馬鹿」という言葉に選ばれているだけのことはあるんだとか(・・・あくまでも伝聞情報だよ)。だから,「馬の心を理解して」なんていうのは言葉の上だけのことで,いかに「調教」して大人しく言うことを聞かせるかが大事なんだとか。その点では,この映画でトムがピルグリムを次第に大人しくさせていく過程はかなりリアルなんじゃないかと思う(よく知らないけど)。最後のグレースをピルグリムが乗せて走る感動シーン(ここは文句なしに素晴らしい)にしても,その前のかなり力ずくの「調教」があってこそなのだろう。


 そして,演技陣でもっとも見事なのは,撮影当時恐らく13歳くらいのスカーレット・ヨハンソンだ。もちろん,現在の「巨乳・ナイスバディ・超美人お姉さん」を予感させるものは全くないが(・・・そりゃ当たり前だって),最初の事故のシーンの表情,義足で歩く表情,母親に食って掛かる表情,そして最後のピルグリムに乗って喜びを爆発させる表情など,圧倒的な演技と存在感だ。

 馬は頭が悪い,と書いたが,このピルグリム役の馬はもしかしたらすごく頭がいいんじゃないか,思ってしまった。暴れて何者も寄せ付けない目の狂ったような表情といい,モンタナで次第に大人しくなっていく様子を象徴する目の表情の変化といい,すごく上手いのだ。まさに「目で演じている」のである。

 もちろん,モンタナの大自然の美しさには文句の付けようがない。圧倒的である。ここを馬で走るシーンなんて,ため息が出るほど美しい。この映画のよさの6割はヨハンソンの名演技,3割がピルグリムの表情,そして残り1割がモンタナの美しい風景と言う感じだ。


 では,この映画のどこが駄目なのか。もちろん,いつまでも若くて格好いいレッドフォードを演じるレッドフォードであり,そんなレッドフォードに恋しちゃうグレースの母の不倫愛の部分である。

 レッドフォードについては前述の通りだが,見ていてかなり気恥ずかしいし,実年齢を知っているだけに,62歳でこの役はないだろ,と思うのである。この映画の原作(アメリカではベストセラーになった小説らしい)を読んで,これを映画化したい,舞台はモンタナで,とレッドフォードが考えたのはいいとして,それを自分が監督して作品として仕上げたいと思ったのもよしとしよう。だが,自分が主演のカウボーイを演じるのはいかがなものか。だって,トムの年齢設定はどうみても30代後半なのである。それなら,そういう役者を選んでカウボーイ役をやらせるべきだったと思う。
 観客側に,「レッドフォードは60過ぎのじいちゃんだけど,この映画の中では38歳くらいの役だぞ」と脳内修正してもらうのは,かなり無理があるのであるし,この映画を見ている観客が「気恥ずかしく」感じるのは,「今俺って,脳内修正しながら見ているよな」と自覚してしまう瞬間なのである。

 そしてこの映画,最大の失敗ともいえるアニーとトムの恋物語。これは完全に余計である。さすがにベッドシーンを入れるような愚行に走らなかったのが唯一の救いだが,トムとアニーの関係を察知した夫の言葉も意味不明なら,その後の夫とグレースの行動も意味不明。普通,こういうことはしないでしょう。

 大体,アニーが母親として娘のグレースに接する態度が首尾一貫していないというか,場当たり的なのもすごく不自然だ。娘のこと,子育てのことを第一に考えていないようにしか見えないし,ニューヨークからモンタナまでトレーラーを運転するに至る経緯も画面を見ているだけでは判りにくい。そして,牧場に来てイケメン・カウボーイに会ってメロメロになるのも安直過ぎるのだ。彼女のグレースに対する態度を見ていて,私は最初,グレースが夫の連れ子で,それで冷たくしているのかと思っていた。それほど彼女の態度は不自然というか親らしく見えないのだ。この母親の行動を見ていると,「一体お前はどうしたいんだ,何をどうしたくてこんな行動をするの?」と言いたくなり,彼女に対し感情移入ができないのである。


 と言うわけで,ストーリー的にはいい映画なのに,見ていると途中から腹が立ってくる作品である。単なるレッドフォードの自己満足の映画でしかないからだ。ラストシーンなんて,「俺っていつまでも格好いいだろ」という声が聞こえてきそうである。この自己陶酔ぶりは《ポストマン》のケヴィン・コスナーといい勝負である。

舞台の設定は完璧だし,ストーリーも(余計な恋愛譚さえなければ)完璧だ。馬好きにはたまらない映画だろうし,モンタナの大自然を絵葉書的に見たいと言う人にもうってつけの映画だ。だが,それらを堪能するためには,62歳のロバート・レッドフォードが30代に見える能力が絶対的に必要となる。そういう意味で,見る人を選ぶ映画ともいえる。

(2009/07/23)

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