新しい創傷治療:88ミニッツ

《88ミニッツ》★★★ (2007年,アメリカ)


 すごく凝って作られた作品で,至るところに伏線が張られまくられている謎解き系サスペンス映画。最後まで飽きないで見たけど,面白いから絶対に見てね,というほどの作品ではないようだ。アル・パチーノの久しぶりの主演映画ということだが,最後までアル・パチーノが一人相撲というか自己陶酔しまくっていたような印象しか残らないのだ。物語の素材的には悪くないと思うのだが,どうもどこかでボタンを掛け違ってしまったようだ。

 ちなみにアル・パチーノは1940年生まれで撮影当時67歳くらいだが,映画の中ではギョロ眼をひん剥いての大仰な演技が多く,誰かに似ているなと思ったら高田純次さんにそっくりなのだ。高田純次さんがシリアスな演技をしているようにしか見えなくて,困ってしまった。もちろん,アル・パチーノが悪いんじゃないけどね。


 映画はいきなり,ダイアナ妃死亡を伝える新聞記事から始まる。1997年の出来事であることを示しているらしい。そしてニューヨークで若い東洋系姉妹が暮らす部屋に男が侵入し,妹が惨殺されるという事件が起こり,同じ手口による連続猟奇殺人犯としてフォースター(ニール・マクドノー)が逮捕され,陪審員より死刑判決が下される。その裁判で検事側の承認として重要な証言をしたのがFBI異常犯罪分析医ジャック・グラム(アル・パチーノ)だった。

 9年後,ジャックはシアトルに移って売れっ子大学教授となっていて,フォースターの死刑執行が間近に迫っていた。そんなある日,全く同じ手口による殺人事件が起こる。被害にあったのはジャックの教え子だった。同じ手口での殺人となると,フォースターに共犯者がいたか,あるいは全く別の人間が犯人でフォースターは冤罪ということになる。そしてジャックの携帯電話が鳴る。「お前は無実の人間を死刑にしようとしている。お前の命はあと88分だ」。

 そして,大学の爆破予告電話があり,ジャックが知る若い女性が次々と同じ手口で殺されていく。これは自分の身の回りにいる人間が起こしている事件で,その背後にフォースターがいる,とジャックは推理するが,時間は刻々と過ぎていく。

 一方,有名教授の証言による冤罪事件の犠牲者としてフォースターはマスコミに取り上げられ,一部の若者は彼を英雄視し,連邦裁判所も彼の死刑執行停止を決定する。

 そしてついに,「あと10分。大学の教授室に一人で来い」という電話がかかってきて・・・という映画である。


 と,この荒筋だけ読むとすごくわかりやすいサスペンス映画のように思えるが,実はすごくわかりにくいのだ。理由はただ一つ,登場する人間,特に「若い美人女性」が多すぎるのだ。しかも,その一人一人の背景がまた濃いし,それにボーイフレンドやらガールフレンド(レズビアンの女性いるからね)やらが絡んでいて,おまけにジャック先生が持てまくっていて,その多くの女性と関係を持っていたりするもんだからすごく判りにくいのである。登場人物の顔と名前を覚えるのが苦手な人(・・・俺のことだよ!)は,ジャック先生とこいつはどういう関係なんだっけ,と整理するだけで大変だと思う。何もここまで,人間関係を判りにくくしなくても良かったような気が・・・。

 ちなみに,この映画を理解するために必要な女性とジャックとの関係を整理すると,次のようになる。こいつらを押さえておけば,この映画は楽勝だ。


 映画本編はちょうど100分くらいで,最初の10分くらいは「ニューヨークでの東洋系姉妹の殺人事件とその裁判」の画面で,その2分後くらいでジャックの携帯に最初の「あと88分でお前は死ぬ」という場面になる。つまり,映画の残り時間とジャックが殺害予告された時間がほぼ同じであり,観客の時間経過は映画の進行とほぼリアルタイムに進むことになる。このあたりは実に見事な設定なのだが,逆にそれが映画の狙いと齟齬を生じてしまったようだ。なぜかというと,「何が起きようとジャックは88分間は死なない」ことが保障されてしまったからだ。

 犯人側は最初に「88分後にお前を殺す」と予告しているわけである。だから逆に,ジャックの周辺で何が起きてもジャックは大丈夫なんだな,と観客は気がついてしまうのだ。例えば,最初の方の「大学爆破予告電話」のシーンでも大多数の観客は,「ここで爆破が起こるわけないよね。犯人はあと82分間はジャックを生かすはずだもんね」と気がついてしまうのだ。同様に,途中でいろいろな事件にジャックが巻き込まれるのだが,それで「88分予告犯」は本気で殺すつもりはないことがミエミエのため,緊張感がそがれてしまった。これは脚本の基本的ミスだろう。


 真犯人はさすがに一度見ただけでは推理できないと思うが,ジャックが不注意で自分の携帯電話を壊してしまい,知人女性(もちろん若い美人だぞ)の携帯電話を借りた直後に犯人から「あと○○分」と電話がかかってきた時点で,◇◇と▲▲が犯人とグルか,犯人に操られているんだろうということが判ってしまう。だって,その時点で「携帯電話が変わったこと」を知っているのは二人しかいないんだから・・・。これも脚本のミスだな。だから,最後の5分間で真犯人が明かされても,「さんざんじらしておいて,こいつが犯人だったわけ? 教えてくれてありがとう」程度の感慨しか覚えないのだ。

 それと,映画の色々なところに細々した伏線を張り巡らせていて,繰り返してみると「なるほど,この人物のこの表情はこういう意味だったのか」と納得できるが,それがあまりに多過ぎるため,伏線だらけだけどそのほとんどは「ムダ伏線」にしかなっていないのも脚本ミスだろう。このため,作り手側がそういう詰まらない「伏線張り」にばかり注意を向けてしまい,大きなポカに気がつかなかったのかもしれない。

 一番のポカは,最後のロープを掴むシーン。あの細いロープに50キロ以上の女性が吊るされているんだけど,それを素手で掴んで支えられる? 絶対に無理だよね。ここは失笑するしかないぞ。
 同様に,アパートの天井に滑車をつけて成人女性を吊り上げるのも無理ではないかと・・・。少なくとも,天井を壊して鉄筋にロープをかけない限り,成人女性は吊り上げられないと思うし。


 それにしても,アル・パチーノも歳をとったなと思ってしまった。どうみても爺さんなんだが,階段を駆け上がったり,孫のような娘から「好きなんです」と告白されたり,元気な不良爺さんである。しかし,何かあるとギョロ眼をひん剥いて訴えかける演技が鬱陶しいのである。そんなに頑張らなくていいから,歳相応の年寄りとして演技してもいいんだよ,と言いたくなってしまう。往年のアル・パチーノのファンとしては,67歳になったアル・パチーノのありのままの姿を見てみたい気がするのだ。

 というわけで,映画俳優が歳をとることの難しさを改めて感じてしまった映画である。

(2009/10/09)

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