新しい創傷治療:バンテージ・ポイント

《バンテージ・ポイント》★★★ (2008年,アメリカ)


 複雑で練りに練った(と思われる)構成,あっと驚く仕掛けの数々,次第に明らかになる手がかりがやがて一つにまとまり,ついに事件の真相が明かされ・・・というサスペンス映画は珍しくもなんともない。というか,サスペンス映画というのは大体そういうものだと思う。ここで,その映画を傑作にするか駄作にするかの分かれ道は,最後に明かされる全体像だ。すべてが明らかになったときに「結局,大山鳴動してネズミ一匹かよ」と舌打ちされるか,「すげえよ,この結末。感動!」と思わせるか,いずれかである。要するに,「群盲象を評す」というやつと同じで,部分を寄せ集めてわかった最終像が「象」ならいいが,判ってみたら「象でなくてネズミだった」というのが一番始末に終えない。

 で,この映画はどちらかといえば,実は「ネズミ」だと思う。確かに仕組まれた事件そのものは大掛かりだし,狙われるのはアメリカ合衆国大統領という「大物」なのだが,事件の全体像が明らかにされると犯人側の目的が最後まで不明だし,あまりに都合の良すぎる展開が続くし,釈然としないことばかりなのだ。もちろん,映画の作り手の誘導通りに見て,映画の作り手が提供する「アクションも謎解きも恋愛も親子の情愛も何でもあり」に満足できれば,この映画は一級の娯楽作品なのかもしれないが,2度,3度と繰り返してみるとどんどん粗(あら)ばかり目立ってくるはずだ。

 それと,ビデオ映像が重要アイテムになっている作品であり,再生したビデオを見て主人公が「おっ,これは! なんてことだ」というシーンが何度もあるが,そのシーンを観客側が何度見直してもストップさせて見直しても,どこが「おっ,これは!」なのかさっぱりわからないのである。つまり,映像が手がかりといいながら,それは「映画の作り手にしかわからない」証拠でしかなく,「観客も一緒に推理を楽しむ」ことは不可能なのだ。

 もちろん,この映画を大絶賛している評論家や映画ファンが多数いらっしゃる事は知っているし,これまでにない映画を作ろうとして頑張ったことは認めるが,その努力は「観客の感動」には決して結びついていないと感じた。


 舞台はスペインのサラマンカ広場。ここでアメリカ合衆国大統領を始め,先進国とアラブ各国の首長が一堂に会し,歴史的な和平合意について発表が予定されていた。その大統領警護を任されていたのが,ベテランSP(シークレットサービス)のデニス・ウェイド(デニス・クエイド)だ。そして12時過ぎ,大統領が広場に到着して壇上に上がり,さあ,これから演説というところで大統領は何者かに狙撃されてしまう。さらに,大混乱の広場の外で爆発事故が起き,さらにひな壇の下に仕掛けられた爆弾により会場は滅茶苦茶になる。

 その混乱の中でデニスはテレビ局中継車のビデオや,広場に居て広場の様子を撮影していたアメリカ観光客(フォレスト・ウィッテカー)のビデオをチェックし,そこに驚くべき事実が映っていることを知り,その人物を追う。しかしこの男もジグソーパズルの一つのピースに過ぎず,事件の背景には巨大なテロ組織が隠れていた・・・という作品である。


 映画は最初の1時間ほどをかけて,「大統領到着から狙撃,デニスによる容疑者割り出し」までの15分間を,8つの異なった視点から繰り返すことで,事件の真相を重層的に描き出そうとしている。それはテレビ局の中継画像であり,SPに復帰したばかりのデニスの視点であり,観光客のハンディカムの画像であり,地元スペイン警察の掲示の視点であり,アメリカ大統領の視点であり,・・・といった具合である。例えていえば,歩行者にとっては単に一台の車が狂ったように走り去ったように見えて,実はその車を運転しているのは犯人を追う警察官であったり,その警察官は実は偽者でさっき,本物の警察官を射殺して現場から逃げてきたのだ・・・という具合である。これを「おおっ,面白い」と感じるか,「何だかしつこくないか? さっきもこのシーンを見たよ」と思ってしまうかで雲泥の差となる。

 確かに,8つの視点はそれぞれ「見ている場所」が違っているから,同じようなシーンといっても微妙に角度やアングルが異なっているわけだが,それも最初の3回目くらいまでなら新鮮だが,5回,6回となるとさすがに飽きてくる。もちろん,そのたびに新しい事実が少しずつ付加されていくのだが,結局それは「事実の小出し」に過ぎないのだ。

 これが芥川龍之介の『藪の中』のように,一つの事件なのに語り手が変わるたびに全く違った局面を見せる,というのならこのような手法は意味があるが,この映画の場合には「真実は一つ」でしかないのだ。だったら,何もこんなに手の込んだ見せ方をする必要はなかったと思うし,時系列に8人の視点を並列させて事件を提示するというオーソドックスな描き方のほうがすっきりしたような気がする。要するにこの映画の「8つの視点」は,「単純な事件を複雑に見せかけるための仕掛け」にしかなっていないのだ。つまり,芥川龍之介とは似て非なるものなのだ。


 このような「情報小出し」映画と『藪の中』,物語の書き手としてどちらが大変かというと,もちろん後者が格段に難しい。よほどの想像力を持っている書き手でないと,途中で破綻してしまうはずだ。それに比べ,このような映画を作るのは,実はそれほど難しくないと思う。最初の一つの物語(アメリカ大統領が演説をし,それをテロリストが狙う。テロ実行犯は実の弟がテロの黒幕に捕まえられていて脅されていた。大統領は実は替え玉だったが,テロリスト側はそれさえも事前に読んでいた。最後は派手なカーチェイスで終わる)を作ってさえしまえば,後は完成したものをバラバラにし,わざと全体像が判らないように順序を考えて観客に提示するだけだ。それならむしろ,時系列に複雑な事件の全体像を描く方がよほど難しいと思う。

 最後のカーチェイスのシーンはすごい迫力だが,あれほど長く流す必要はあったのだろうかと思う。過ぎたるは猶及ばざるが如しの言葉どおり,しつこすぎるために見ていて飽きてくるのだ。しかもあれほどの猛スピードで市街地を疾走しているのに,歩行者の一人を見て「あいつ,まだ生きていたのか」と視認するのは絶対に無理だし,最後に大型車に潰されてクラッシュした車からデニスが自力で脱出して無傷で犯人を追うのは,何がなんでもそれはないだろうと思う。


 主要な登場人物といえば,終始ハンディカムをまわし続けるフォレスト・ウィテカーであるが,「お前,死ぬまでラッパを離さなかった木口小平か?」とツッコミを入れたくなってくる。何でこのオジサン,身の危険を顧みず,カメラを回し続けたんでしょうか。もちろん作り手側は,最後にあの女の子のアナを助けさせるためさ,というでしょうが,そのためだけにあそこまで引っ張るほどの登場人物ではないはずだし,アナを助けるだけならもっと別の手段があったと思う。

 アナといえば,最後の場面で大統領を監禁している救急車を運転するテロリストのリーダーがアナの姿を見て車を急停車させるというのが重要な場面であるが,ここもなんだかなぁ,という感じだ。何しろこのリーダー,冷酷非常にこれまで何人もの人間を撃ち殺してきたのだ。あの可哀想な弟すら躊躇せずに撃ち殺すのだ。だとしたら,女の子の一人や二人・・・である。もしもどうしても彼にアナを助けさせるのであれば,実は彼には同じ年頃の子供がいてとか,幼い妹が戦闘に巻き込まれた過去があったとか,彼の過去をきちんと描くべきだった思う。

 と,考えてくると,実はこの映画の最大のミスは,テロリスト側の情報が一切描かれていない点にあることに気がつく。テロリストはどういう組織なのか,どのくらいの規模の組織なのか,大統領狙撃を最初から目的にしていたのか,なぜ替え玉だということに気がついたのか,そして,大統領を誘拐して何をしようと企んでいたのかが最後まで不明なのだ。なぜ最後まで動機と目的が不明なのかというと,恐らく映画の作り手は最初からそれを考えていなかったためだろう。なぜかというと,「大統領狙撃テロ」と「大統領誘拐テロ」では全く異なる犯罪であり,異なった行動原理をもつ二つのグループを組織する必要が出てくるからだ。

 もしも彼らが大統領狙撃を目的としていたのなら,殺してしまえばあとは逃走経路の確保だけの問題となり,テロとしては極めて単純なものだ。しかし,大統領誘拐となると,最後まで大統領の身の安全を確保しつつ逃げなければいけないし,どこか安全なところに大統領を連れ込んでアメリカ政府と直接交渉し,自分たちの要求を政府に突きつけることになる。そうなると,身代金を出せ,テロリストを釈放せよ,程度の要求では全然釣り合わず,それこそ「大統領を無事に帰して欲しければイスラエル国家そのものを地上から抹殺せよ」くらいの要求しなければバランスが取れないはずだ。つまり,誘拐犯としては,誘拐のターゲットとしてあまりにも的がでかすぎ,実際の取引に使えないのだ。


 テロリストたちの行動を素直に見ると,壇上に登場する大統領が実は替え玉だということを最初から見抜いていて,本当の目的は本物の大統領を誘拐することにあったとしか考えられない。となると,最初の狙撃も次の2回の爆破もすべて,現場を混乱させて捜査の手を分散させ,本当はいない狙撃犯を追わせるためのダミーだったことになる。

 しかし,映画の中ではアメリカ政府が「替え玉作戦」に踏み切るのは事件の直前なのである。とすると,テロリスト側の「狙撃から誘拐へ」の切り替えもごく短時間で決定されたとしか考えられないのだが,これはさすがに無理だと思う。


 という具合で,外見上はすごく緻密に練り上げられたプロットのように見えるが,実はかなり杜撰に作られていて,考えれば考えるほど無理に無理を重ねたストーリー展開なのである。これが,脳天気に作られたお気軽サスペンスだったら文句は書かないが,いかにも意味ありげな「8つの異なった視点」なんてものを持ってくるもんだから,余計に粗が目立ってしまうのだ。いかにも頭がよさそうにして古語や成句,四文字熟語を並べているのに,実は誤字脱字ばかり,みたいなものだ。

(2009/10/14)

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