新しい創傷治療:マルタのやさしい刺繍

《マルタのやさしい刺繍》★★★★★ (2006年,スイス)


 チャーミングな婆ちゃんたちが保守的な村の生活に敢然として宣戦布告して,閉塞感漂う村社会を変えていく姿を描いた映画であり,見るだけで勇気と元気が沸いてくる作品である。そして何より,「高齢者が元気で暮らせる優しい社会を作りましょう」なんていう「施し」の精神が微塵もないのが爽快だ。社会の規範とか伝統文化の維持とかでがんじがらめになって一歩も動けない若い世代を尻目に,そんな情けない若い連中なんてぶっ飛ばして新しい価値観を作ればいいのよ,と80歳の婆ちゃんたちが颯爽と立ち上がるのだ。これが面白くないわけがない。

 しかも,婆ちゃんたちの武器はランジェリー,つまり女性用下着である。80歳とランジェリーという,なんとも意表をつくミスマッチな組み合わせだ。これで面白くならないわけがない。


 舞台になっているのはスイスの山間の小さな村,エメンタール(あのエメンタールチーズと関係があるのかな?)。そこに暮らすマルタは80歳になるが,9ヶ月前に夫に先立たれ,その悲しみから立ち直れず,自分も早く死んで夫の元に行きたい,とばかり考えている。彼女の親友のリジィ(若い頃アメリカで暮らしていて,その後,娘を一人で育てたシングルマザー),フリーダ(老人ホーム暮らしに飽き飽きしている),ハンニ(車椅子生活の夫がいる)は何かと彼女を元気付けようとするが,それもうまくいかない。
 そんなある日,リジィがマルタの亡き夫の経営していた店を訪れて店の中を整理していくうちに,一つの箱を見つける。それを開けると美しいランジェリーが幾つも入っていた。実は若い頃マルタは下着のデザイン・製作の仕事をしていたが,結婚して村で暮らすようになった時に夫から「下着作りをしていたなんてここでは隠しておいたほうがいい」と言われ,封印していたのだ。

 彼女が縫製の仕事をしていたと聞き,村の男性合唱団の旗を修繕して欲しいという依頼が舞い込む。修繕用の布地を購入するために親友3人とベルンに出たマルタは,その街角のランジェリーショップの前で立ち止まってしまう。そしてランジェリーを手に取り,ここは縫製がダメ,これじゃ履き心地がよくない,このフリルを変えた方がもっと可愛くなる,私ならもっといいのが作れるはず,と意見を言う。そして,数十年間封印していたランジェリー作りの情熱に再び火がついてしまう。

 そして彼女は新たに生地を買い込み,ファッション雑誌を取り寄せてデザインを研究してランジェリーを作り始め,3人組の助けを借りて,亡き夫の雑貨屋を改造してランジェリーショップに改造する。シャンゼリゼでランジェリーショップを出したかった,という若い頃の思いを込めてその店は "Pepit Paris" と名付けられ,開店の日を迎える。しかし,客は一人しか訪れなかった。

 マルタの息子であるヴァルターは村の牧師をしている。最初の頃は「母親が元気になってよかった」程度に思っていたが,それがランジェリーショップを聞き,そんな汚らわしいことをよくも恥ずかしくもなくできるものだ,と激怒する。村の男どもも「下着? 皮かエネメルか?」とマルタとその仲間たちを嘲笑するし,その妻たちも「いやらしい下着を売る店なんて!」とまともに取り合わない。スイスの古きよき伝統を守ろうと主張する政党の代議士(?)も,伝統を破壊する行為だと批判する。まさに四面楚歌である。

 ヴァルターはマルタに店を止めるように通告するが,もちろんマルタは聞き入れない。そしてヴァルターは実力行使に出て,店の中のランジェリーを持ち出してゴミ箱に捨て,その店を「聖書を読む会」の集会所としてしまう。

 しかし,マルタと3人の仲間たちはそういう脅迫,恫喝,抗議に負けず,怯むことなく全力で立ち向かう。皆それぞれ,マルタの活動から生きる喜びが何かを感じ始めたからだ。そして婆ちゃん4人が戦闘モードに突入する。

 病気がちの夫と暮らすハンニは息子から「わたしは病院への運転手ではない。農場の仕事が忙しく,これからは病院には連れて行けない。父は町の介護施設に入れたい」と宣告され,一念発起して運転免許を取るために教習所の門を叩く。そして息子に,「自分が運転して病院に連れて行くから,あんたの世話になんてならないよ!」と啖呵を切る。

 一方,老人ホームのフリーダは以前からパソコン教室に来るように誘ってくれていたルースリ(同じ老人ホームで暮らしている爺ちゃんだ)からネット販売のシステムとインターネットに広告を出す方法を教えてもらう。彼女の解説したサイトには早速,24件の問い合わせと8件の購入希望のメールが舞い込む。そして購入希望のメールは日を追うごとに増えていく。
 しかし,マルタ一人で作れる数には限度がある。そこで,村の刺繍教室の思い切って協力を申し出る。一人の婆様は「下着なんて汚らわしい」と席を立つが,爺様たちは「新しいことに挑戦するのも悪くないことさ」と協力してくれる。そして,80歳を過ぎて若き日の夢をかなえようと奔走するマルタに,協力の輪,夢の輪がが少しずつ広がっていく。

 しかし一方では,彼女たちの行動を疎ましく思っている堅物連中もいて,ついに保守勢力は実力行動に出てしまい・・・という作品だ。


 とにかく,4人のばあちゃんたちがすごくいい。最初の頃のマルタは髪はボサボサ,服装も野暮ったく,歩く姿もヨタヨタしている。しかし,ランジェリーを作り始めてから彼女の表情は生き生きしてきて,髪形も服装も変化し,どんどん素敵にチャーミングになっていく。生きる喜びが画面いっぱいに広がっていく。

 そしてそれにつられるように,3人の親友たちもまた変化していく。夫の病院通いには息子に頼るしかなかったハンニは思い切って免許を取ろうとするし,フリーダは「80の手習い」でパソコンに挑戦する。学び始めるのに年齢は関係ないのだ。学ぶこと・挑戦することは生きることだ,と婆ちゃんたちは「挑戦することをあきらめた若者たち」にカツを入れる。


 それに対し,彼女たちの子供の世代(40代後半から50代はじめくらいかな?)の頑迷さは目を覆わんばかりだ。村の古きよき伝統を守ることが自分たちの仕事,それから一歩も足を踏み出してはいけないし,足を踏み出そうとする連中は村の伝統と文化を破壊するものだ,と信じて疑おうともしない。80歳が新しいことに挑戦しようとしているのに,それを阻止することが自分たちの義務であり使命だと思い込んでいるのだ。

 その保守派の双璧がマルタの息子である牧師のヴァルターであり,ハンニの息子(古い伝統を守ることを主張する政党の代表)だ。牧師や政党代表としての世間体,建前があるから,自分たちの規範からはみ出すものは絶対に許せないのだ。だから,この二人の妨害活動は陰湿で執拗である。


 しかしマルタとその仲間は毅然として一歩も引かない。私生活上の悩みを抱えるヴァルターを一喝し,合唱祭の壇上で演説するハンニの息子に痛烈な仕返しをする。その姿に会場の老人が立ち上がって「あんたは老人を守るといっているが,実は自分と自分の利益を守っているだけだ」と言うシーンは痛快だ。マルタたちの闘いは,実は自分たちの闘いでもあったのだ。

 そして何より,シングルマザーのリジィがいい。彼女はアメリカ帰りのために保守的なその村では常に「浮いた」存在だった。そんな彼女の人生の謎は後半明かされるが,リジィがいたからこそマルタは立ち上がれたし,リジィの生きる姿勢がマルタを勇気付けたのだ。そして,リジィが成し得なかった夢を彼女の娘が実現しようとするラストが爽快だ。


 ちなみに原題は《遅咲きの乙女たち》という意味らしい。素敵なタイトルである。

(2009/10/30)

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