事件もなければ驚くような仕掛けもない。面倒で複雑な人間関係もなければ目を引くような美男美女が出てくるわけでもない。そういう意味で,この映画は若い人にはお勧めしない。恐らく,見ても途中で飽きてしまうだろうから・・・。
しかし,「20年後,30年後に自分は生きているのだろうか」ということをふと感じてしまった人,人生の折り返し地点を既に折り返してしまったことに気付いてしまった人,死がいずれ自分にも訪れることを感じ取ったことがある人なら,この映画の素晴らしさがわかるはずだ。そういう,心に染み入るような佳作であり,ある年齢以上の人間にしかわからない感動が得られる作品である。
舞台はカンパーニュの田舎。かつてこの地で生まれ育ち,その後,パリで画家として成功した中年男(ダニエル・オートゥイユ)が舞い戻ってきた。古い家屋を改築して暮らしていたが,荒れ果てた庭の手入れをするために庭師を募集し,それに一人の男(ジャン=ピエール・ダルッサン)が応募してくる。そしてすぐに,二人は小学校の同級生であり,悪ガキ仲間だったことを思い出し,思い出話に興じる。
画家はその地方で代々続いた薬局の息子だったが,薬学に進むことを拒否して美術学校に進み,画家として名声を得ている。だが,度重なる浮気のために妻からは三行半を突きつけられているし,一人娘は自分と同じくらいの年齢の男と結婚しようとしている。そして,自分の娘くらいの若い愛人はいるが,彼女には既に「新進気鋭の写真家気取り」の恋人ができたようだ。そして何より,注文で絵を描くことに疲れ,人目を驚かすような仕掛けの絵を描かなければ生きていけない画家という仕事にも飽いている。
一方の庭師だが,労働者階級の子供として生まれ,国鉄に長年勤め,列車の掃除係の女性と結婚し,二人の子供に恵まれ,一年に一度,妻とニースに数日間の旅行に行くのが楽しみだ。そして,国鉄を退職し,長年の夢だった庭師として働いている。
そんな二人が再会し,お互いに「ジャルダン(庭師)」,「キャンバス」と呼び合う。庭師は画家が絵を書く様子を見ながら,荒れ果てた庭の雑草を切り払い,菜園を作っていく。草茫々だった荒地が,次第に整えられ,見事な野菜が実を付けていく。そして画家も自然がうつりゆく様子をキャンバスに描いていく。素朴で誠実な庭師に触れることで,画家の中で何かが変わっていく。
だが,そんな中で庭師の体調に異常が生じる。画家と庭師に残された時間はあとわずかだった。そして,夕暮れの菜園に闇が訪れ・・・という映画だ。
二人は子供時代は台の仲良しである。しかし,その後の人生は全く異なっていて,価値観が全く違っている世界でお互いに交わることのない人生を生きてきた。その意味で,二人の人生は全く相反しているといっていいだろう。だが,二人とも自分の人生と仕事に誇りを持っているし,そして相手の仕事について「自分にはできないことができる」ことを認め,その素晴らしさを尊重している。卑下することもなく,過度に誇ることもなく,淡々と日々の仕事をする「大人の男」がそこにいる。
そして二人の距離感がいい。どんなに親しくなっても過度に干渉し合うことはなく,そして,相手が困っていることを察知したらさっと手を差し伸べる。過剰な押し付けもなければ,頼られていることを楽しんでさえいる。本当の「友」である。
そして何より二人の会話が素晴らしい。渋く,奥が深く,寡黙でもなく,饒舌でもない。あの,死神と鯉の喩え話,ナイフと紐の話,草刈り鎌で雑草を刈る音を描写する話のどれもいい。さりげなくて奥深い珠玉のような言葉のキャッチボールがここかしこにある。だから,「もしもよかったら,傑作でなくていいから,明るい色の絵を描いて欲しい」と庭師が頼み,画家は一時期の迷いを吹っ切ったかのように明るい色調の平易な絵を描き始める。その絵が画廊に並ぶラストシーンが心に染みる。
庭師が荒れ果てていた庭を見事に蘇らせた菜園の美しさには息を飲む。画家がキャンバスに美を描くように,庭師は大地をキャンバスとして美を作り出していく。そして,トマトやズッキーニ,サラダ菜やカボチャやインゲンが瑞々しく育っていき,美しく大地を彩り,食卓を彩っていく。庭師は芸術家だとは,カレル・チャペックの『園芸家12カ月』の一節だったろうか。
音楽の使い方も見事の一言だ。通常使われるような「情感を盛り上げるような」音楽はほとんど使われておらず,画面に流れるのは鳥のさえずりや雨音,そして木の葉のざわめきだけだ。
そんな映画で,音楽が流れるのは4場面のみ。冒頭と途中で画家がピアノでジャズを弾く場面(ちなみに,かなり達者な腕前である),庭師が体調不良を訴える場面にかすかに聞こえてくる合唱を聞いた庭師が『ナブッコ(ヴェルディの出世作となった初期のオペラ)』だな,と言う場面,そして菜園で地面に横たわりながら収穫を楽しむ庭師のラジオからモーツァルトの『クラリネット協奏曲』のアダージョが流れるラストシーン,これだけだ。
特に,土から生まれ,土に返っていく日が近いことを自覚した庭師の表情は神々しいばかりで,モーツァルトの一世一代の神曲がさらに感動を深くする。
(2009/11/05)