《ぼくの大切なともだち》★★★★★ (2006年,フランス)


 皆さんに親友と呼べる人はいますか? 私はどうなんだろうか。もちろん、知人は全国各地にいるし、私を師匠と呼んでくれる医者もたくさんいるし、盟友・戦友と呼んでいる医者もいる。もしも今週末、日本のどっかで宴会をしたくなったら、ホームページに「宴会やろうぜ」と書けば、2人や3人は集まってくれると思う(・・・多分だけど・・・)

 だが、そういう知人たちがこの映画の主人公が望む「走れメロス的親友」かというと、かなり微妙である。そういう濃厚な人間関係がちょっと苦手というか得手ではないからだ。とりあえず今は、仕事中心の生活なのでそれでもなんとかなっているが、こういう映画を見ていると、それでいいのかと思ったりもするのである。


 というわけで、簡単にストーリーを紹介。

 パリの中年男、フランソワ(ダニエル・オートゥイユ)は美術商をしている。気の置けない仲間はいるし、仕事もうまくいっている。そんな彼はある日、顧客の葬式に参列するが、葬儀に参加したのは彼の妻を合わせてたった7人だった。葬儀の後、彼は仲間たちとの会合で、「寂しい葬式だったよ。友達がいなかったんだな」と感想をいうが、その場に居合わせた友人全員が口を揃えて、「お前の葬式だったら、誰一人として参列しないさ」,「お前に親友と呼べる友達なんて一人もいないだろ」というのだ。フランソワはショックを受けたものの,自分は沢山友達を持っていると信じているから,画廊の共同経営者の女性カトリーヌ(ジュリー・ガイエ)と賭けをすることになる。10日以内に親友を連れてきたら,先日20万ユーロという高額で競り落としたギリシャの古代のツボはフランソワのもの,連れて来れなかったら共同経営者のもの,という賭けである。

 早速フランソワは「友達リスト」を作り彼らを訪ね歩くが,「君,誰だっけ?」,「借金の申し込みか? 断る!」,「君とは仕事の上での付き合い,友達なんかじゃない」,「お前を友達だと思っているやつは一人もいないはずさ」と言われるばかり。どうやらフランソワは「あいつは無二の親友」と一方的に思い込んでいるだけで,彼には困った時に助けてくれる親友は一人もいなかったのだ。

 焦るフランソワだが,ふとしたことで乗り込んだタクシー運転手のブリュノ(ダニー・ブーン)の客あしらいのうまさと相手の心を読んで親しくなっていく様を見て,彼から「友達を作る方法」を学ぼうとする。そしてブリュノから教わったとおりに,小学校時代によく一緒に遊んだ同級生に偶然を装って再会し,近づこうとするが,もちろんうまく行かない。

 運転手のブリュノは雑学王であり,どんなことでもよく知っている男だった。いつかテレビのクイズ賞金番組に出ることを夢見ているが,生来のアガリ症のためにクイズ番組に応募しても予選で落とされ続けていた。

 そしてフランソワは次第にブリュノと親しくなっていき,初めて「自宅に招待される」という経験をする。これこそが自分が追い求めている友情だ,ブリュノこそが真の友人だとフランソワは舞い上がるが,ブリュノとの友情の証としてある計画を持ちかけ,そこで一つの事件を起こしてしまう。

 その後フランソワは,誰とでも仲良しになれるブリュノがかつて,大親友に手ひどく裏切られたと言う過去があったことを知る。それを知ったフランソワは,ブリュノのために自分は何ができるのかと考え,一つの計画を立てる・・・という映画だ。


 「人間の本当の価値は,葬儀の参列者の数で決まる」って,誰か言ってなかったっけ? 誰も言っていないとすれば私の口から出まかせ名言である。「死んだ後,ああ,こんな時にあいつがいてくれたらなぁ,と思い出さしてくれる人がいたら,君の人生は失敗じゃない」ってのは,誰かの名言だったかもしれないが,ちょっと自信がない。「君が危機の時,自分の身の危険を顧みずに君を助けてくれるのが真の友達だ」ってのは,どっかの漫画に載っていた台詞だったな。要するに,人生と友情についての名言は掃いて捨てるほどあるってことだ。

 まぁ,普通の生活をしている分には,「走れメロス」的な親友がいなくても,普通の友人がいれば何とかなるし,親友と呼べる人がいないから人生が失敗でもないし,人品が悪い証明と言うわけでもない。要するに,親友がいるかいないかなんて,人生の諸問題に比べたら重要度はさほど高くないし,大の大人が右往左往するような問題でもない。

 もちろん,フランソワのスケジュール帳は予定で一杯で,遭わなければいけない知人や顧客は沢山いる。しかし,それは「友人,親友」ではない,と指摘されるのだ。それも,皆が口を揃えて・・・。要するに彼は,相手の身になって考えるとか相手を思いやるとか,そういう発想が皆無だったらしい。要するに,それまで必死に生きてきた中年男が,お前の生き方は駄目だ,それでは碌な死に方をしないと全否定されたようなものだ。


 普通に考えれば,親友の有無なんて大した問題ではないのだが,フランソワにとってはそれは大問題になってしまう。なんと言っても,20万ユーロ,つまり2000万円がかかっているし,後ほどわかるように,画廊の経済状況はそれほどよくないらしい。そういう中での20万ユーロであり,嫌でも真剣にならざるを得ない。カトリーヌとの売り言葉に買い言葉的なやりとりから,フランソワが引っ込みが付かなくなる状況になってしまう導入部は本当にうまい。

 そして,あと10日で友達を作れといわれてもフランソワは人と仲良くなる術を知らない。図書館に言って「友達の作り方」なんて本を探し,人付き合いの名人(とフランソワの目には映る)のブリュノに「友達を作るハウツー」を教おうと考え付くのが関の山だ。もちろん,それで友達が作れるわけはないが,いまさら後に引くわけにもいかない。そういう不器用なフランソワをオートゥイユが見事に演じている。

 しかし,フランソワが師匠と仰ぐブリュノにしても,実は親友と呼べる人はなく,自宅に一人で暮らし,両親の元を訪れるだけであることが次第に明らかになっていく。「“誰とでも”友達になれるってことは,“誰とも”と同じさ」という彼の言葉が悲痛だ。


 また,映画の中で度々引用されるテグジュペリの『星の王子さま』の一節が,これまた効果的だ。最後のテレビ番組のあのシーンでこの言葉が繰り返されるところは,まさに感涙物。フランス映画でいつも感じることだが,ちょっとした会話,ちょっとした本からの引用のセンスが抜群にうまいのである。

 そして最後の山場となるのが,「フランス版クイズ・ミリオネア」だ。この人気番組に何とかブリュノが出演できるようになり(なぜ彼が出演できたかって? 映画を見て泣いてください),なんとかアガリ症を押さえ込みながら問題に次々と解答していく。フランス版「みのさん」との掛け合い,「ファイナル・アンサー?」の掛け声がこれまた面白い。そして最終問題となる。これに彼が回答できれば100万ユーロ,回答できなければ4万ユーロだけ。そのクライマックスである問題が出題されるが,ブリュノには答えがわからない。友達に電話をかけてはと「フランスみのさん」が声をかけるが,彼には電話をかけるべき相手がいない。そして時間は刻々と過ぎていき,残りあとわずかとなったその時,まさに感動的な結末を迎える。

 そして,エピローグがこれまたいい。ほろ苦くて,まさに大人のための人情話,大人にしか判らないコメディーとなっている。フランス映画の面目躍如といったところだろう。


 唯一の問題点といえば,フランソワとブリュノの友情が一度壊れて二人のつながりが一度切れてしまってから,最後のテレビ番組のシーンまで,ちょっと展開を急ぎすぎたかな,と思われる点だろう。あのシーンでブリュノがフランソワに電話をかけるであろうことは見た人誰もが予想するし,実際そうなるのだが,それまでの過程で一度,二人が友情を再構築しようとするエピソードを一つ入れるべきだったのではないだろうか。その点だけが惜しまれる。

 いずれにしても,友情とは何か,親友とは何か,という中年男にとってはかなり気恥ずかしいテーマを取り上げ,しかも小細工なしに真正面から見事に描ききったパトリス・ルコント監督はやはりただ者ではないのだ。

(2009/11/26)

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