ジョージ・A・ロメロといえばゾンビ映画の父である。「ゾンビ」は彼の頭の中で作り出され,1968年に "The Night of Living Dead" という作品をまず世に送り出し,1978年の『ゾンビ』("Dawn of the Dead")でその名を不動のものとした。そしてこの "〜of the Dead" はシリーズ化され,現在までに4作を発表し,今回の "Daialy of 〜" は第5作目に当たるそうだ。
彼の『ゾンビ』の大成功を受けて,次々と彼の追随者が現れ,山のごとくゾンビ映画が作られることになったが,いまだに「ロメロを超えるゾンビなし」と評価されているのだ。
実は私,ロメロのゾンビはかなり昔に見ただけで,このサイトで映画評を書くようになってからは一度も見ていないので,ロメロの世界観とはこういうモノだ,なんて評論は書けないため,純粋にこの映画だけの感想を書くことにする。
ストーリーはこんな感じ。
大学で映画製作を学んでいるジェイソンは卒業制作でホラー映画を撮影するため,大学の同級生と指導教授と一緒に森の中にいた。その時テレビで,殺人事件の現場に駆けつけた取材陣の目の前で,死んだはずの犠牲社が起き上がって周りの人間を襲っている映像が流されていることに気がつく。とんでもない異常事態が起きているのではないかと感じた彼らは,自宅に戻ろうとするが,YouTubeで次々に流れる事件の映像を見たジェイソン(ドキュメント映画監督を志望している)は「何が起きているかを世界に正確に伝える」ために手持ちのビデオカメラを回し続けることにした。
しかし,家路に急ぐ彼らの目の前には「蘇った死者」が出現し,彼らを跳ね飛ばして先を急ぐが,人を轢き殺したという自責の念から運転していた女性が自殺を図る。彼女を助けるために病院に担ぎ込むが,そこはすでに・・・という映画である。
この映画は数年前から流行しているP.O.V. (Point of View) ,つまり《ブレアウィッチ》や《REC/レック》などと同じ,ハンディ・ビデオで撮影された映像で作られている。これまでこのような映画は幾つか見たが,リアルな画像ではあるが,手ブレが激しかったりして見ていて辛く,あまり好きではなかった。しかし,今回の《ダイアリー〜》はそれらより見やすいのだ。プロの映像作家志望の学生が撮影する,という設定のため,家庭用ハンディカメラでなくプロ仕様のものを使っていても不自然さがないためだろう。こういう細かい配慮はうまいなと思う。
ロメロは1940年の生まれでもうすぐ70歳のはずだが,こういう流行りものを取り入れるだけでなく,「俺ならP.O.V.でひと味も二味も違う映画を作れるぜ」という挑戦する精神がすごい。また,監視カメラの映像を所々に使うことで,ハンディカメラのみで撮影される映像の単調さを補っているのも,うまい工夫だと思う。ハンディカメラに固執する凡百のPOV映画とは映像に関する感覚のレベルが違うのである。
そして,随所に盛り込まれている批判精神がこれまた鋭い。例えば,YouTubeで世界各地から送られてくる事件の映像が流れていて,マスコミが機能を失った今,全ての人が情報の発信者となるのだ,というシーンがある。実際,ジェイソンがアップした画像は数分間で数万回,閲覧されるわけだが,近未来の報道はどうなるのかという思考実験である。だが一方で,そういう映像のどこに真実があるのか,ただそれは飽きるまで消費されるだけではないのか,という批判もきちんとなされているし,市民がパニックを起こさないようにと「事態は局所的なもので大したことは起きていない」とマスコミが情報操作する様子も描かれている。
一方で,何が起きたかを記録するのが自分の使命だと信じ,カメラを片時も手放さないジェイソンも次第に異常になってくる。女子学生がゾンビと化した仲間に追われているというのに,助けもせずに撮影に固執するのだ。撮影者は傍観者に徹しなければ客観的な映像は撮れない,というのがジェイソンのスタンスなのだが、それは自分は安全に傍観できる立場にいると思い込んでいるだけなのだ。だから,自分だけは「記録者」という安全な立場で守られている,と考えてしまう。そういう,マスコミ報道者が持ちがちなエリート意識と愚鈍さを,ロメロは激しく糾弾する。
映画のヒロインであるデボラが,州兵の基地で兵士たちに「殺すなら殺せばいい。しかし私たちを殺せば私たちは死体として蘇り,あなた達に襲いかかる。食料を渡して私たちを外に出した方がいいんじゃないの」と口論する場面も,ゾンビという架空の存在を考える上で面白く,そして哲学的だ。敵を殺すのが仕事,という兵士の論理がここでは破綻してしまうのだ。敵を殺すのが兵士の仕事だが,ここでは敵を殺せば殺すほど敵が増えるのだ。もしかしたらこれは,かつてのベトナム戦争やアフガニスタン戦争の姿ではなかっただろうか。
やはり,「ゾンビの父」はひと味もふた味も違うのである。
ジェイソンたちに一人加わっている大学教授がいい味を出している。のべつ幕なしに酒ばかり飲んでいるが,かつて従軍していたことがあり,ここぞというところではゾンビの頭をアーチェリーの矢で打ち抜いていく。つい,軽率な行動に走ってしまう学生たちの中で,ただ一人の大人であり,飲んだくれていても頭脳は冷静なのだ。銃がなければ弓矢で身を守るだけ,という姿がすごく頼もしく,格好いい。
派手さはなく,ややこじんまりした印象のあるゾンビ映画だが,やはり創始者というのは凡百の亜流・追随者とは違うことがよくわかる。よくも悪くも,「俺がロメロだ。これがゾンビだ」という叫びがここかしこにあり,70歳になろうとするのに新しい表現に挑戦し続ける者の作った映像は訴えかけてくるものが違う。
そして同時に、70歳にもなってまだなおホラー映画の新しい可能性を探ろうとするロメロはすごく格好いいし,巨匠という称号を潔しとせず,常に挑戦者として新しい表現を求めていく姿勢は素晴らしいと思う。
(2010/01/20)