《永遠のこどもたち "EL ORFANATO"★★★★ (2007年,スペイン/メキシコ)


 あの大傑作《パンズ・ラビリンス》の監督ギレルモ・デル・トロが制作した秀作。ホラー映画のようでありオカルト映画のようでありサスペンス映画のようでありながら、子供に対する母親の強い愛情が感動的に描かれている見事な作品である。古い屋敷を舞台にしたオカルト系ゴシックホラー映画という感じで、不気味な雰囲気は全体に漂っているが、怖さはそれほどなく,見終わったときに深い感動が残る。また、細部に張られている伏線は最後にはきちんと回収されていて、細心の注意を払って作られた作品であることがよくわかる。また、この手の映画としては後味の悪さが全くないのもこの作品の美点だろう。いずれにしても,見て損はない作品と断言する。


 映画は子どもたちが「1,2,3,壁を叩け。1,2,3,壁を叩け」と「だるまさん ころんだ」で遊んでいる様子から始まる。屈託なく子どもたちが遊んでいるように見えるが,この遊びの怖さはいずれ映画の中で明かされていく。

 舞台はスペインの田舎の海辺に立つ古いが立派な建物。ここはかつて孤児院であり,そこで育ったラウラ(ベレン・ルエダ)はこの建物を買い取り,自分が院長として障害のある子どもたちが暮らす施設を作ろうと考え,医師である夫のカルロス,そして息子のシモンとともに移り住む。しかしその屋敷で暮らし始めたシモンは「この家の中には何人も友達がいる」と不思議なことを言うようになる。ラウラとカルロスは,友達が一人もいないために空想癖から頭の中に友達を作り出しているだけだろうと思い,シモンのためにも施設を早く開設して子どもたちを受け入れた方がいいと考えた。

 そんな屋敷をソーシャルワーカーと名乗る老女ベニグナが訪れ,これまた不思議なことを口にする。その結果,シモンはラウラたちの実子ではなくて彼らが引き取った孤児であり,しかもHIV陽性であることが次第に明らかになっていく。

 そして,事件が起きる。施設開所パーティーのその日,シモンが姿を消したのだ。ラウラと警察の必死の捜査にも関わらず,6ヶ月たってもシモンの行方はわからず死体も見つからない。そんなある日,ラウラは道端でベニグナを見つけるが,ラウラの目の前でベニグナは車にはねられ,無残な死体となる。

 手がかりが途絶えたように見えたが,シモンがその屋敷のどこかで生きていて,あの「屋敷の中の遊び友達(の霊)」に囚われているだけではないかと,ラウラは考えるようになる。そして,霊媒師の助けを借りてシモンの行方を知ろうとしたが,そこで30年前にこの屋敷で恐ろしい事件が起きたことが明らかになる。なんとしてもシモンを取り戻したい,シモンに会いたいと必死に奔走するラウラは,ついにある決断をし・・・という映画だ。


 私が苦手な映画がファンタジーとオカルトだ。この作品はまさにファンタジー系オカルト風味映画なので,本来は私の苦手な分野である。霊魂も幽霊も信じていないし,異界も霊界も私の脳味噌は必要としていないからだ。
 だが,この映画は違和感なしに最後まで見ることができた。「永遠に子供でいたい」という子どもたちの願い,「ずっと子どもたちと一緒にいたい」という母親の望みを描くのに,この映画の設定は全く自然だったからだ。だから,何箇所かあるショッキングなシーン(車に跳ね飛ばされて恐ろしく変貌したベニグナの顔や,無残に朽ち果てたシモンの亡骸など)も,とても自然であり,凡百のホラー映画にある「怖がらせるための怖いシーン」とは一線を画するものだと感じた。

 そして,「死が近づいてきた人間には,霊界と実世界の境目が次第にぼんやりしてきて・・・」という説明もうまい。屋敷に引っ越してきたラウラとカルロスに「子どもたち」が見えないのに,シモンだけにそれが見えたのは,シモンが不治の病におかされているからなのだ。そして,万難を排してもシモンにもう一度会いたいと願うラウラは図らずも「死の領域」に近づいていく。そして,その領域を踏み越えてしまってもシモンと一緒にいたいと望んだラウラは,その願いどおりに「永遠にシモンと友達の世話をする」ことができるが,それは命と引き換えに実現されるわけだ。このように考えてくると,屋敷の地縛霊(?)となっている子どもたちが望んでいたのは「遊び相手としてのシモン」ではなく,孤児である彼ら一番望んでいる「本当の母親」だったことがわかってくる。そしてラウラ自身もその「母親」になることを受け入れる。本来,こういう結末は悲しいが,ラウラ自らの決断であり、なにより彼女はそれを望んだのだ。


 そして,シモンの行方を探して半狂乱になるラウラの姿には,最愛の妻の死を受け入れられずに冥界まで探しに行ったオルフェオや,死んだイザナミを追ったイザナギの神話が重なってくる。「冥界から抜け出すまで決して後ろを振り返ってはいけない」と言われたのに,つい振り返ってしまった彼らには恐ろしい現実が襲いかかってくるが,彼らと同様,苦難の末にシモンに再会できたラウラもシモンが亡骸であることを知る。これはまさに「振り返る」ことの恐ろしさであり,人類普遍の寓話である。

 振り返る動作はとても怖い。妖怪「のっぺらぼう」が一番怖いのは振り返るまで普通に人間にしか見えない怖さだし,ホラー映画でもっとも怖いのは「普通の人間と思った人物が振り返って顔を見せたら・・・」というシーンである。そう考えたとき,なぜこの映画が「だるまさん ころんだ」で始まったのかがわかってくる。鬼の背中にタッチしようとして伸びてくる手がとてつもなく不気味だし,振り返るまで後ろに何がいるかわからない怖さがそこにある。これは,人間にとっての根源的な恐怖ではないだろうか。


 いずれにしても、ちょっと怖いシーンはあるが多くの人に見て欲しい傑作映画である。

(2010/02/12)

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