《ビハインド・ザ・マスク》★★ (2006年,アメリカ)


 まぁなんと言いますか、ホラー映画大好き人間が作った映画でございます。後半はそこそこいいのですが、そこにいくまでが長い長い長い。ホラー映画の舞台裏というか、ホラー映画の脚本を長々と見せられている感じなんですが、それが延々と60分以上続きます。ようやく面白くなるのは70分のあたりからです。多分、普通の映画ファン(がこの映画を見るとはとても思えないけどね)なら70分に到達する前に「詰まらねぇ映画!」とDVDプレーヤーのストップボタンを押すはずです。

 かといって、最後の20分だけを見たんじゃ、どこが面白いか全くわかりません。そこだけ見たら、ごくありきたりの「仮面をかぶった連続殺人鬼が若者を殺しまくる映画」に過ぎず、面白くないんですよ。やはりこの部分を面白く感じるためには、それまでの詰まらない70分に我慢してお付き合いしてあげなければいけないのです。


 で、ストーリーはこんな感じ。連続殺人鬼に関するドキュメンタリー番組を作るためにテレビクルーたちがアメリカの片田舎にあるグレン・エコーという小さな町を訪れます。この町には秘密にされてきた事件があったのです。それは、生まれながらに悪魔の子供と呼ばれて両親に虐待されていた子供レスリー・ヴァーノンがいて、両親を殺した罪で住民たちに捕まり、生きたまま滝壺に投げ入れられて殺された、という凄惨な事件でした。そのレスリーが実は生きていて、大人になった今、社会に復讐しようとしている、という噂を聞きつけたからです。

 スタッフ3人はレスリーに取材を申し込みますが、レスリーは明るく屈託のない好青年で、スタッフたちはレスリーが昔の事件を利用して人を驚かせようとしているだけだと考えます。そして、ジェイソンのような不死身で神出鬼没の殺人鬼を演じるために体を鍛え、完璧な演技を目指すレスリーに好感を抱いていきます。準備は着々と進み、当日を迎えます。「レスリー・ヴァーノンの家」には肝試し気分の若者6、7人が集まっています。

 しかし、レスリーを演じているはずの青年は、実は本物の殺人鬼で、次々と若者たちを血祭りに上げていきます。責任を感じたテレビクルーはレスリーの計画を阻止し若者たちを助けるために屋敷に入りますが・・・という映画です。


 映画はいきなり、若い女性がレストランの裏にゴミを捨てていて、何かの物音に気づいて振り返ると裏口のドアがひとりでに閉まっていて・・・という、いかにもいかにも、というシーンから始まります。これ、面白いかもしれないかも、と思ったその瞬間、テレビの女性レポーターがある家の前でレポートを始めるシーンになっちゃいます。見ている方は何がなんだかわかりません。そのうちに何とか、これは世間で噂になりつつある連続殺人鬼を取材するテレビクルーであることがわかってきます。観客がこの状況を理解するまでしばらく時間がかかるはずです。そして、そういう説明が続けられるうちに冒頭の「ちょっと怖いかも」というのはどっかに行っちゃいます。

 その後は延々と好青年へのインタビューが続きます。ここで彼は、「連続殺人鬼と言っても普通の人間なんだから、必ずトリックがある。どのようにして神出鬼没に見せかけているのか、どのようにして建物の地下室に追いつめていくのか、恐怖にとらわれた人間はどう行動するのか」ということについて、長々と語り始め、自分が計画している映像について説明します。

 この部分は確かに、いろいろな連続殺人鬼系ホラー映画(ジェイソンとかフレディとか)の名場面(?)の解説になっていたり、オマージュであったりしてそこそこ面白いし、普通の人間がジェイソンを演じようとしたらどういう努力が必要かという分析もなかなか鋭いのですが、いかんせん、マニアックすぎますね。要するに、延々とメイキングビデオを見せられているようなもんで、次第に飽きてきます。

 おまけにこのレスリー君、うるさいくらいにお喋りで、おまけにいきなり話題が飛んでしまうため、彼のお喋りに付いていくのがちょっと難しいです。


 で、本当の殺人事件が起きてしまうわけですが、取材クルーにとってはレスリーの仕掛けてくる罠がわかっていて、しかもしそれにまんまとアホ若者が引っかかっていくのもわかりきっています。そこに行ったら危ないとわかっていても、行きがかり上、そこに行かざるを得なくなる状況に追い込まれます。このあたりの設定はうまかったですね。個人的には、クルーの一人が逃げ出してた助けを求める、なんてのもありかと思っていたんですが。

 そういうわけで殺人鬼レスリー君の活躍となるわけですが、これがジェイソン君やフレディ君の大活躍と比べるとちょっと地味目です。お喋りレスリー君が冷酷冷徹な殺人者に変身する様子がいまいち描かれていないため、鎌を振りかざすレスリー君を見ても恐ろしさはあまり感じないんですよね。さらに、使う道具も鎌などの農機具だけですから、これもかなり地味です。

 おまけに、レスリーが若者たちを殺す様子は映画の前半で繰り返し描かれています。いわばリハーサルですね。そしてレスリー君は完璧主義者のため、そのリハーサル通りに行動するんですよ。ま、それだけレスリーのシナリオが完璧であり、彼がその実現のために完璧に演技したということなんでしょうが、あまりにも予行練習通りに事が運ぶため、インパクトが薄れてしまった感があります。


 で、大量殺人鬼系ホラー映画と言えば「こいつは最後まで生き残って、殺人鬼に立ち向かうんだよね」というヒロインがつき物です。この映画ではそういう女性を "survive girl" と呼んでいます。レスリー君は当初、若くて美人の女性をsurvive girlとして想定してましたが、「○○である」という条件に合わないためにさっさと殺しちゃいます。そういうわけで、この「条件」に合うのが一人いて、彼女が生き残り要員になりますが、個人的にはもうちょっと美人女優さんを使ってほしかったなぁ、と思います。もちろん、最初からこいつが生き残るんだろうな、というのはミエミエなんですが、それだけにもうちょっと配役には気を使ってほしかったなぁ・・・と。どうせB級映画なんですから・・・。

 そして、彼女がレスリーを倒す手段ももうちょっと工夫してよかったんじゃないでしょうか。たとえば、完璧主義者のレスリーの裏をかくとか、レスリーが予想もしない行動に出て虚を突くとか、そういうのがあった方がよかったような気がします・・・というか、私はそういう方向でレスリーに引導を渡すもんだとばかり思っていました。

 ちなみに、このレスリー君がフレディー君やジェイソン君に並ぶようなビッグネームになれるかというと、ちょっと無理っぽいですね。「連続殺人鬼の舞台裏」を見せちゃったし、何よりレスリー君自体に凄みがないからです。レスリー君、この一作でお払い箱になりそうな気配です。少なくとも、続編は作りにくいキャラじゃないでしょうか。


 そういうわけで、変わり種ホラー映画として、あるいは連続殺人鬼の実在条件についての真面目な考察映画として見るならこういう映画もありかなとは思いますが、それ以上の面白さはなかったような気がします。

(2010/03/10)

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