ナチス・ドイツ占領下のオランダに暮らしていた一人のユダヤ人女性の数奇な人生を描いた傑作映画。とても重いテーマを扱っているのにとてもスピーディーに展開するサスペンス映画となっているため,140分を越す長大な作品なのに最後まで緊張が持続し,あっという間に終わってしまった。
ちなみに映画監督は《ロボコップ》や《氷の微笑》で知られるポール・バーホーベン。とはいっても,私は彼の作品はこれまで見たことがないため,バーホーベンの映画作りの中でこの作品の位置づけは・・・なんて難しい話は書けませんのでご容赦のほどを。
映画は最初,1956年10月(この日時の意味は後述する)にイスラエルのキブツで偶然二人の女性,ラヘルとロニーが再会するシーンから始まる。二人は10年ほど前,オランダで暮らしていたのだ。
そして12年前(1944年)の第二次対戦末期のオランダに舞台が移る。ユダヤ人の若い女性,ラヘルはオランダの田舎に隠れ住んでいた。当時のオランダにはナチスドイツ軍が駐留し,ユダヤ人の生活は日々逼迫していった(ちなみに,あのアンネ・フランクが家族とともに隠れ住んでいたのもオランダだった)。そして,そんな田舎にもドイツ軍の空爆が及ぶようになり,隠れ家は全焼し,彼女をかくまってくれた一家も全滅する。
途方に暮れる彼女の前に,オランダ人のレジスタンス(=ナチスドイツからのオランダ解放のために活動している)が登場し,安全な南部にユダヤ人を船で逃がしていると告げられる。そして翌日,指定された集合場所に行ったラヘルは,それまでばらばらに隠れていた家族と久しぶりに再会し,船に乗り込んだ。
しかし,これで逃げ出せると安心した一家をナチスの船が待ち構えていて,一斉射撃を浴びせられる。ラヘルは川に飛び込んで難を逃れるが家族は全員射殺されてしまう。
何とかレジスタンスのアジトにたどり着いたラヘルはエリスというドイツ名と身分証明書を手に入れ,偶然の出来事からドイツ人将校ムンツェと少しだけ言葉を交わす。
やがて彼女はレジスタンスに協力するようになる。レジスタンスにとってムンツェは目の上のたんこぶであり,彼の情報を得るためにエリスはムンツェに取り入り,彼の愛人になる決意をする。やがて彼女はムンツェに近づき,二人は親密な間柄になる。
しかし,ムンツェはレジスタンスの仲間が考えているような悪人ではなかった。彼もまた戦争の犠牲者であり,イギリス軍の空爆で妻と二人の子供を亡くしていた。そして彼は,戦況はどんどんドイツに不利になっていることを知っていて,これ以上の無駄な流血を避けたいと考えていた。誠実な人柄のムンツェにエリスは次第に惹かれていき,やがて本気で愛するようになる。
レジスタンスのスパイとしての任務とムンツェに対する愛の間でエリスは揺れ動くが,ある日,彼女の仕掛けた盗聴マイクからエリスの聞き覚えのある声が流れてくる。それは,脱出のための船を準備してくれた男の声だったのだ。そしてレジスタンスたちは彼を裏切り者として殺そうと計画し,計画は実行されるが,実はそれはさらなる裏切りと悲劇の序盤にすぎなかった・・・という映画だ。
というところまでストーリーを紹介したが,ここまでで全体の1/4までも行っていないのである。これから先,裏切りに次ぐ裏切りがあり,敵と味方が入れ替わり,次々と真相が明らかになっていく。しかも,丁寧に見ていくとその「裏切り」を予想させる手掛かりが必ず提示されているため,謎解き映画・サスペンス映画として見ていても一級品の出来である。
とても重いテーマを描いているはずなのに,娯楽作品として気軽に見られ,それでいて映画監督が言いたかったことが鋭く迫ってきて,彼が伝えたかったであろうことが全て伝わってくる骨太の作品である。この力量はやはりただ者ではないと思う。そして,所々に挟まれている凄惨な暴力的シーンにしても,エロティックな場面にしても,全てに必然性があり,ここはこう描かれなければいけない,と納得できるものなのだ。
この映画で監督が描きたかったものは何だろうか。恐らく,人間には完全な善も完全な悪もなく,その場その場で生き延びるために道を選択しているだけだ,という透徹した人間哲学ではないだろうか。
登場するナチス・ドイツの将校も様々だ。個人的な体験から戦争が悲しみしかもたらさないことを知っている将校もいれば,ユダヤ人が身につけている財宝を奪うことしか考えていない者もいるし,その将校を糾弾するナチス将校もいる。その姿はあくまでも等身大の人間そのものであり,神でも悪魔でもない「普通の人間」の集合体がナチスだったことを表している。
一方のオランダのレジスタンスの面々にしても,オランダの解放だけを考えている者,ユダヤ人のことなんて知ったことかと考えている者,レジスタンスの運動を利用して私腹を肥やそうと画策する者など様々であり,レジスタンス運動が決して一枚岩でなかったことが描かれていて,きわめてリアルである。
例えば,生き延びるためにナチスの将校に媚びを売るしかなかったオランダ人女性もいる。決してそれは誉められる行為ではないが,糾弾を受けるほど非人間的な行為でもない。自分や家族を守るためにそれしか道はなかったのだ。しかし,戦争が終わりドイツ軍が敗退すると,彼女たちは激しい非難を浴び,公衆の面前で頭髪を切られて坊主頭にされる。
それまで抑圧されてきた民衆が今度は迫害する側に回るのだ。コインの裏表のように,あっけなく立場が変わり,立ち位置が態度が変化する。そして,迫害される側と迫害される側は簡単に逆転する。
ラヘルはドイツ軍将校の罠に引っかかり,レジスタンスからはドイツに寝返ったスパイと呼ばれ,ユダヤ人からも裏切り者扱いされ,収容所で糞尿を浴びせられ凄惨なリンチを受ける。しかも,彼女を糾弾した側に,ユダヤ人の財産を奪う計画の黒幕がいたのである。情け容赦ない人間の悪意に翻弄され,身を守る術のないラヘルの姿が痛々しい。
映画の最初の方で,ラヘルは父親の友人から金を渡されるシーンで「金を数えなくていいのかね? この時代,人を安易に信用しないことだ」と忠告を受けるが,この言葉にこの映画の全てがある。
他人を安易に信じると裏切られるが,誰かを信じなければ人間は生きていけない。人間として他者を信じるのか,他者を信じるのは間違いなのか,この映画は見るものに究極の二者択一を迫ってくる。
このように考えると,この映画の中でのムンツェの役割がおぼろげながら見えてくる。彼はこの映画の中で唯一,人を裏切らず,人への信頼を貫いた人間だ。要するに唯一の「善き人」だ。そして彼はその善良さ故に無残に殺されていく。その姿はまさにイエス・キリストそのもの,あるいはキリスト教が過度に美化したイエスの姿ではないかと思う。登場人物のうち,ただ一人「人を裏切らない」人物が,まさに「人の裏切り」により,殺されるのだ。
穿った見方をすれば,人を信じたがために殺されるムンツェの姿は,「報復の神」エホバを信じるユダヤ教へのアンチテーゼ(これは,ユダヤ教に対する初期キリスト教の立場と同じだ)ではないだろうか。この映画が,ナチスによるユダヤ迫害をテーマにしている以上,そこまで踏み込んで解釈することも可能だと思う。
そして映画は,1956年のイスラエルのラヘルに戻る。彼女は優しそうな夫と二人の子供に恵まれ,彼女がようやく幸せに暮らせるようになった様子を描いているが,実は彼女の悲劇はまだ続くのだ。それが,映画の最後のシーンで一台の軍用ジープが猛スピードで走り込む様子で暗示されている。1956年10月29日に第二次中東戦争(スエズ危機)が勃発したからだ。
以後,この映画とは直接関係はないが,中東戦争についての知識をまとめておこうと思う。
スエズ運河はフランスとエジプトにより建設されたが,この工事への巨額の出費によりエジプト経済は破綻し,エジプトはイギリスの管理下に置かれることになった。しかし,スエズ運河は貿易戦略上の要衝であることに変わりはなく,1956年7月,エジプトのナセル大統領はスエズ運河の国有化を宣言した。当然,イギリスは激しく反発し,フランスとともにエジプトへの軍事行動を画策する(フランスは,アルジェリア独立戦争でアルジェリアを援助するエジプトと対立していたという事情もあった)。
そしてイスラエルもイギリス側に荷担することを決める。第一次中東戦争でイスラエルはエジプトと敵対したからだ。ここでイギリス,フランス,イスラエルの利害関係は一致した。
かくして,1956年10月29日,イスラエル軍精鋭がシナイ半島に侵攻し,第二次中東戦争の火蓋が切られるが,当初エジプト軍はイスラエル軍に圧倒され,開戦翌日,イスラエルはエジプトに対し,スエズ運河からの撤退を求める勧告を出した。エジプトのナセルは徹底抗戦を決めたが,開戦から2日後,早くも英仏軍はエジプト領内への侵攻を開始した。
開戦から1週間後,エジプトの敗北は誰の目にも明らかだったが,歴史の偶然がエジプトを助けることになる。なぜか冷戦下で敵対していた米ソが連携し,イギリス・フランス・イスラエルに停戦を呼びかけ,エジプトからの即時撤退を迫ったのだ。アメリカの呼びかけに国連も3カ国の撤退決議を採択し,11月8日に全軍が停戦した。
この時アメリカは,追い詰められたナセルがソ連と手を組み,中東にソ連の支配が及ぶことを嫌ったため,このような行動に出たと言われている。そして同時にこの事件は,ヨーロッパ先進国が世界政治の先頭から脱落し(この戦争によりイギリスのポンドは大幅下落して経済基盤が弱体化し,フランスも同様に国際政治において低迷することになる),アメリカが世界の先頭に立っていることを印象づけることになった。
同時にエジプトのナセルはアラブ世界での指導者の地位を確立し,エジプト国内からイギリス・フランス資本の一掃を行った。これが第二次中東戦争の顛末だ。
だが,中東戦争(=アラブとイスラエルの戦争)はその後も続き,第3次,第4次ともにイスラエルの圧勝に終わる。特に,第4次中東戦争は開戦から6日間でイスラエルの圧勝で幕を閉じたが,「6日はエホバの神が世界を創造するに要した日数」であることから,この勝利は聖書で予言されたものであった,という考えがイスラエル国内で流布するようになった。
そのため,イスラエル建国は神の意志である,という極右政党が政権を握ることになった。それ以前は,イスラエルの政権を握っていたのは穏健派・現実派であり,パレスチナとの共存を目指していたが,第4次中東戦争での圧倒的勝利以後,「パレスチナとの妥協はエホバの神の意志に背くもの」となり,パレスチナとの妥協は不可能になってしまった。
(2010/03/30)