《やがて復讐という名の雨 "MR 73"》★★★★(2007年,フランス)


 あの大傑作映画,《あるいは裏切りという名の犬》のオリヴィエ・マルシャル監督と主演のダニエル・オートゥイユのコンビによる作品。《あるいは〜》の邦題も素晴らしかったが,この《やがて〜》というタイトルも最高に格好いい。原題の "MR 73'" は作品の中で登場する拳銃の型番号だが,これでは余りに素っ気なさすぎる。やはりこの邦題の方がいい。

 ちなみに,このマルシャル監督は元刑事ということで,実際に起きた事件をもとにした映画とのことである。雨が降りしきるマルセイユを舞台に,警察という組織の中で個人の意志を通そうと苦闘するオートゥイユの渋い中年男の魅力が炸裂する佳作である。


 かつてルイは敏腕刑事だった。だが,交通事故で一人娘が死に,妻は植物状態になってしまい,それ以来,自責の念にかられて酒浸りの毎日だった。そしてついに,酩酊状態のうちにある事件を起こしてしまい,夜勤へと左遷され,捜査現場の一線から降ろされる。

 その頃,管内では連続レイプ殺害事件が起きていたが,犯人の手がかりはなく捜査は難航していた。かつて,その捜査を担当していたルイは担当からはずされたが,その事件の解決を誰より望んでいて,一人で捜査を続けることを決意する。そして,5人の犠牲者にある共通点があることを発見し,次第に犯人に近づいていく。彼にとっては,その事件の犯人を捕らえることが,唯一の生き甲斐だったのだ。

 その頃,一人の無期懲役囚が仮釈放の申請を出していた。彼は連続殺人犯だったが,今では過去の行いを悔い改めて宗教に目覚め,模範囚となっていた。「自分はもう69歳であり,残りの人生は他の人のために奉仕したい」という彼からの申請は認められ,その釈放の日が近づいていた。

 そのニュースに,若い女性のジュスティーヌは不安を覚える。彼女の両親は25年前,その男に殺されていたからだ。あの冷酷無慈悲な殺人鬼が改心して信心深い人間に変わったとは,彼女には到底信じられなかった。そこで彼女はかつてこの男を逮捕した刑事のルイに連絡を取り,不安を訴える。

 連続殺人犯が釈放された丁度その頃,ルイはかつての同僚をともに犯人とあたりをつけた男の自宅に乗り込むが,事態は思いがけない方向に進み,悲劇の幕が切って落とされた・・・という映画である。


 とにかく,ダニエル・オートゥイユがいつものように渋くて格好いい。この映画では常に飲んだくれていて酒瓶を手放せないし,髭もボサボサ,どうみてもショボクレ中年である。途中で小便を漏らしたりもする。かつては辣腕刑事だった男は,愛娘と妻を失い,そして仕事まで奪われる。そんな全てを失った男に最後に残されたもの,それは刑事としての矜持であり誇りだ。ヨレヨレの中年男が最後まで刑事の魂を失わない姿に心が熱くなる。

 そして,この世に望みがないことを悟った彼は拳銃 "MR72" に6発の弾を込め,どうしても許せないクズのもとに向かい,それから意識の戻らない妻の病室にいって最後の仕上げをする。最後のシーンは悲痛で悲劇的で救いがない。そんな狂気スレスレに暴走して悲劇に驀進する中年刑事をオートゥイユは見事に演じ切っている。

 そんな彼の姿がマルセイユの冷たい雨が重なる。彼に限らず,刑事たちが皮コートを羽織っただけで降りしきる雨の中に立ち,煙草を吸っているシーンは最高にクールで格好いい。このあたりの画像センスは本当に見事だ。

 そしてオートゥイユ以上に迫真の演技を見せるのが「改心した無期懲役囚」だ。もちろんこいつは改心なんてしていない。人を殺すことを心底楽しんでいるだけだ。また人を殺したくなったから模範囚のフリをしているだけなのだ。特に,刑務所の同室の男を自殺に見せかけて殺すシーンがすごい。「冷静な狂気」にかられて殺人を重ねる表情は,あのレクター博士を彷彿とさせる凄みである。出所した彼が妊婦姿のジュスティーヌを付け狙う様子は本当に不気味だ。


 だが,手放しに絶賛できる大傑作かというと,そうでもないと思う。《あるいは裏切りという名の犬》の直線的なダイナミズムに欠けているのだ。重厚な展開と言えば誉め言葉になるが,悪く言えばテンポが悪いのである。それは,2つの無関係な事件を並列的に扱ったことが原因ではないだろうか。

 2つの事件とは,ルイが追う連続殺人事件と,無期懲役囚が過去に犯した事件と釈放後の犯行であり,両者は本質的に全く関係がなく,ただ一点,ルイが捜査に加わっていることしか共通点がない。私は最初,この二つの無関係な流れが,後半一つになって怒濤の展開を見せるのかと想像していたが,そういうことはなく,両者は平行線のまま終結をむかえてしまう。片方がもう片方の伏線になっているわけでもなければ,事件解決の手掛かりとなるわけでもない。たぶんこれがこの映画最大の計算違いだろう。

 普通なら,「全てを失った中年刑事が連続殺人事件の捜査に執念を燃やす刑事ドラマ」にするか,「両親を連続殺人鬼に惨殺されたというトラウマに悩まされる女性を,釈放された殺人犯が付け狙うサイコスリラー映画」にするのが定石だと思うが,それでは余りに普通すぎるため,両者を合体させたのだろうと思う。だが,合体させただけであって,そこには合体させたことを納得させる必然性が感じられないのだ。無理矢理二つの物語を一緒にしただけのように見えてしまうのだ。恐らくこれは,脚本のミスだろう。


 この映画の監督は前述のように元刑事で,彼自身の経験した事件がこの映画の元になったそうで,その事件により彼は警察を辞めさせられたようだ。恐らく,ある事件を捜査していて犯人を突き止めて逮捕したが,実はそいつはトップ警察官僚の家族だったために・・・というように想像できる。この映画では,連続殺人事件の犯人は報道されずに迷宮入り,という結末を迎えるわけだが,そういう警察の隠蔽体質についての批判は全く描かれていないのが最後まで気にかかった。どうせなら,そういう警察組織にルイが捨て身の作戦で一泡吹かせる,なんて展開があってもよかったような気がするが,それは無い物ねだりかもしれない。


 このように,決して完璧な映画ではないし,殺人事件の被害者の姿は眼を覆いたくなるような凄惨さだし,エロティックなシーンも結構ある。説明しすぎの部分と説明不足の部分が混在してバランスも悪いし,展開もなんだかモタモタしている。だが,この映画の雰囲気は私は好きだ。そして何より,歳を取るごとに魅力を増していくオートゥイユがとてもいい。

(2010/04/02)

Top Page