とにかく,最後の部分(開始から84分頃かな)のジャニス・ジョプリンになりきってステージで歌うマリー・トランティニャンの絶唱がすごい。マリー演じる平凡な主婦ブリジットが、それまで抑えてきた全ての感情をマイクに叩きつけ,魂を振り絞るような声で歌うのだ(ちなみに,映画の中でマリーは本当に自分で歌っているらしい)。その様子はジャニスがあの世から甦ったかのように感動的だ。まさに,この時,ジャニスは彼女に降臨している。この4分間はまさに奇跡の4分間だ。この4分間の奇跡を聴くためにこの映画はある。それほど彼女の歌は圧倒的だ。
もちろん,この映画を見たことがある人はわかると思うが,ストーリーはご都合主義だし,50万フランもの大金を諦めるキャノンの心の動きも十分に描ききれていない。見終わって何かモヤモヤしたものが残る。この結末でいいのかと口に出そうになる。だが私は,マリーの絶唱で全てを許す。彼女の歌声の前ではそんなものはどうだっていい。
しかもこの映画は,当時まだ41歳だったマリーの最後の映画なのだ。次の映画の撮影中に恋人(ロックグループ,ノワール・デジールのメンバーの一人)に殴打され,それが元で程なく帰らぬ人となってしまったのだ。もちろん,映画の中のマリーにはそんな不吉さを感じさせるものは何一つない。それだけに一層,彼女の不意の死が痛ましい。もっとこの人の作品を見たかったなと思う。それほど映画の中の彼女は光り輝いている。
ストーリーは単純だ。
保険外交員のパブロ(フランソワ・クリュゼ)は平凡な会社員だったが,ふと魔がさし,保険詐欺を働いてしまう。顧客の一人のキャノン(ジャン=ルイ・トランティニャン)が「運転しない高級車」に安心のために保険をかけていることに目をつけたのだ。「運転しない車」が事故に遭うことはなく、「決して支払われることのない保険金」だからだ。しかし,その車が盗まれ事故を起こしてしまう。当然キャノンは保険金50万フランを請求するが、もちろん,その金はパブロが使ってしまった。パブロは窮地に追い込まれる。
そんな時,パブロは母親から従兄弟のレオン(クリストフ・ランベール)が100万フランの遺産を相続したと聞かされる。レオンは若い頃からのドラッグにはしり、LSDでラリっている最中にジョン・レノンとジャニス・ジョプリンに出会ったという幻覚を見て以来,ジョンとジャニスのレコードや遺品を買いあさり,「ストロベリー」という店を開いていた。
追い込まれたパブロはふとしたことから,妻のブリジット(マリー・トランティニャン)がジャニスに似ていることに目をつけ,彼女をジャニスに仕立ててレオンから50万フランをだまし取る計画を立てる。そして彼は,顧客リストから売れない俳優のワルテル(フランソワ・クリュゼ)に連絡を取り,ジョン・レノンに仕立てようとする。
パブロの妻ブリジットは退屈な毎日に息が詰まる思いをしていて,精神安定剤を飲む毎日だった。そんな彼女に夫が「ジャニス・ジョプリンになれ」といったのだ。もちろん彼女はジャニス・ジョプリンの名前すら知らないし,申し出を断る。しかし,ジャニスが歌うDVDを見て気が変わる。こんな風に歌いたい,と。
そして,派手なファッションに身を包むジャニスのまねをすることで,何事にも引っ込み思案で臆病だったブリジットは次第に変わっていく。二人はレオンの店を訪れ,「この世界で愛と信頼の歌を歌うために甦った」とレオンに告げ,レオンは感激して二人を本物と思い込む。
パブロは妻に早く50万フランを騙し取れと迫るが,ブリジッドは次第にジャニスを演じることそのものが面白くなっていき,一方,レオンは自宅のスタジオでジャニスの新しい歌の録音をしなければいけないと使命感に燃え,バンドを準備する。ブリジッドは水を得た魚のごとく生き生きとしていくが,パブロはどんどん精神的に追い込まれていく。そしてある日,レノン役のワルテルとの間に諍いが起き・・・という映画だ。
ちなみに,名前を見てわかるようにキャノン役はマリー・トランティニャンの実父であり,またワルテル役を演じるクリュゼは最初の旦那様,そして,この映画の監督のサミュエル・ベンシェトリは2番目(?)の旦那様らしい。マリーを愛した人,マリーに愛された人が一堂に介した映画とも言え,これが彼女の遺作になったのもなにやら因縁めいている。
とにかく,日々の退屈な生活に鬱屈している主婦が,ジャニスのまねをすることで次第に開放され,ジャニスそのものに変貌していく様子が爽快で,しかも最高に格好いい。最初,奇抜なファッションでしゃがれた声で歌うジャニスを見て「なんでこんなのの真似を私がしなきゃいけないの」と拒絶する彼女が,それでもジャニスが気になってDVDを見直し,ジャニスになることを決意するシーンがリアルでとてもいい。
そして一方,三文役者のワルテルがどんどんジョン・レノンに似ていき,あたかもレノンのように喋る(・・・といってもフランス語だけど)のもなんだかすごく格好いいのだ。
そういう意味で、観ていて元気と勇気が湧いてくる映画である。不遇な境遇や生活に不満を漏らしたり悪態をついても何も変わらない、境遇を変えるのは自分自身であり、勇気を奮って一歩踏み出すしかないのだ、と語りかけてくるからだ。
それにしても、なぜ、フランス映画なのにアメリカのジャニスとイギリスのジョンなのだろうか。なぜ、ジャニスやジョンと同時代のフランスの人の真似をしなかったのだろうか。ジャニスやジョンでなくフランス人だったら、「甦ったジャニスとジョンがなぜかフランス語を話す」という不自然さは回避できたはずだし、ジャニスとジョンがフランス語を話す理由を映画の中であえて説明する必要もなかったはずだ。
恐らくそれは、1960年代から70年代に思春期を迎えた世界中の人間の共通言語がビートルズであり、ジャニス・ジョプリンであり、ローリング・ストーンズだったからだろう。そしてその象徴的存在がジャニスとジョンなのだ。あの時代に青春を過ごした人間にとって、名前を聞くだけで時代のにおいが脳裏に甦ってくる存在として、二人以上のものはないのだ。
そういう意味で、この映画が映画史の中で生き残れるのは恐らくあと20年くらいしかないだろう。「ジャニス&ジョン」というタイトルを見ただけで胸がジーンと来る世代の人間はどんどん減っていくからだ。だから私は、この映画のタイトルを見て心に万感の思いが甦ってくる同世代の方々とこの作品を共有したいし、この映画を大切なものとして紹介する。
最後に、ジャニス・ジョプリン(1943〜1970)について、ちょっとまとめておこう。
彼女は10代までは目立った活動はしておらず、普通の音楽好きの少女にすぎなかったようだ。20歳の1963年、当時のアメリカの青年によくあるように、大学を辞めて西海岸に向かい、フォーク歌手として生活していたようだが、これまた当時の流行ということで、各種のドラッグと酒に溺れてしまったらしい(この映画の中でも彼女のお気に入りの酒として "Southern Comfort" が登場するが、実際彼女はこの酒を愛飲していた)。
1967年頃、バンドを組んでアルバム(もちろん、LPレコードである)を発表するが、全く売れなかったらしい。しかし、モントレーのフェスティバルに参加したことから、彼女の独特の歌声は次第に知られるようになる。
1969年ころに新しいバンド "Kozmic Blues Band" を結成すし(ちなみに、この映画の中で歌われる "Kozmic Blues" はこの時代のナンバーだったと思う)、ウッドストックにも参加するもすぐに解散。その後、新たなバンドを結成し、彼女の最初にして最後の成功したアルバム「パール」を制作したが、その最中にホテルの一室でヘロイン中毒で急死した。享年37歳。誰にも看取られない孤独な死だった。
彼女の熱唱は今でもYouTubeで見ることができる。命を振り絞るように、命を切り刻むように、そして世界に挑みかかるように、時代にあらがうように彼女は歌い続けた。まさしくその姿は、1960年代という混乱と怒濤の時代の化身だった。
(2010/04/22)