そうだ,私たちは本当はこういう映画を見たいんだ。こうやって心地よく展開していく映画が好きなんだ。この映画はまさに,「こう展開して欲しい」と思う方向に進んでいく。だから安心して見ていられる。だがそれだけではない。観客側の予想を超える謎解きを見せてくれるのである。だから,この映画は本当に心地よい。予定調和の展開でありながら,同時に予想を超える展開なのだ。これが面白くないわけがない。
私は基本的にベストセラーの本は読まないことにしている。ベストセラーとは要するに,あまり本を読まない人が「これは面白いよ」という評判を元に購入したからベストセラーになったと考えているからだ。そうでなければ「出版開始から1ヶ月で100万部突破!」なんてことは起こらないはずだ(・・・と信じている)。もちろん,今まで50年以上生きてきて,そのうちの45年以上,本を読まなかった日が一日もないという読書好きだから,ベストセラー本は何冊も読んだことはあるが,そのどれもが大して面白くなかった。少なくとも,百戦錬磨の読書好きが感銘を受けるようなものには出会ったことはなかった。
これは映画も同じで,すごく評判のよい映画,誰もが褒めちぎる映画はなるべく近づかないようにしてきた。見ても多分大したことはないだろうな,と思っているからだ。
で,この映画だ。すごく評判がいい。生涯見た最高の映画の一つに挙げている人も少なくない。そして特徴的なのは,貶している人がほとんどいないことだ。様々な映画評論サイトやブログを見ても,否定的な感想がほとんど見つからないのである。これは考えてみるとかなりの異常事態といえる。「アカデミー賞受賞の感動作」であっても,最後は個人の好みの問題が入るから,全員の好みに適合するなんてことはあり得ないからだ。
というわけで,長年気になりながら見ていなかった本作をようやく見てみたわけである。そんなに凄い作品ってある訳ないよね,どこか一つくらい,変なところがあるはずだよね・・・と先入観一杯モードで・・・。
どうせ,お涙頂戴路線の甘っちょろい映画なんだろうけど,そんな映画に騙されるほどオジサンは甘くないぞ,ってね。
そんな先入観はあっさりと打ち砕かれてしまった。これは文句なしの大傑作だ。140分間,映画を見る至福に酔いしれた。これほど綿密に完璧に練り上げられ,しかも感動作というのは滅多にお目にかかれるものではない。
ちなみに原作はスティーブン・キングの小説『刑務所のリタ・ヘイワース』,監督はキングの小説を映画化し,《グリーンマイル》や《ミスト》などの傑作を次々と生み出しているダラボンである。
舞台は1947年頃のアメリカ。銀行員のアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)は妻とその愛人を射殺したという疑いで逮捕される。彼は一貫して自分の犯行ではないと主張したが,あらゆる状況証拠から陪審員は彼を有罪とし,裁判長は終身刑を言い渡す。そして彼はショーシャンク刑務所に収監される。
刑務所では自由は制限され,ありとあらゆる犯罪者に取り囲まれた恐ろしい生活が始まる。囚人同士の陰惨ないじめ,若い男を性の対象としか見ていない男色野郎どもの執拗な襲撃,そして囚人相手に憂さ晴らしに暴力をふるう看守たちと,アンディには心休まる場所はなかった。そんな中で彼は,囚人たちが必要とするものを「塀の外」から運び入れる「調達屋」のレッド(モーガン・フリーマン)と次第に親しくなっていく。
そんなある日,作業中のアンディの耳に,暴力看守が税金問題で不満を漏らす声が聞こえる。彼は銀行員としての知識から看守にちょっとしたアドバイスをし,それにより看守は大きな利益を得る。そして,看守はアンディに一目置くようになる。そして,税金申告の時期,アンディの前には看守たちが列をなして並び,アンディは彼らのために必要な書類を揃えてやり,投資のアドバイスをする。そんなアンディの経理と投資の能力を聞き,刑務所の所長が不正経理で得た金のマネーロンダリングを持ちかけ,アンディは架空の人物を作り上げる手法で完璧な操作をする。
一方アンディは,州政府に手紙を書き続けることで刑務所内図書館を拡充する予算を獲得する。そして充実した図書を揃えることで囚人たちに高校卒業資格試験のための教師役になり,高校卒業資格を得る囚人が誕生する。
アンディが収監されて19年目のある日,若い囚人トミーがショーシャンク刑務所やってくる。ティーンエイジャーの頃から犯罪を繰り返している男だった。アンディと親しくなったトミーは,「エリート銀行員が妻と愛人を撃ち殺した事件があったが,その真犯人は自分だと言っている男を知っている」と話しかけた。
アンディはもちろん,所長に事件の再調査をするように訴えるが所長はそれに応じようとしない。自分の裏経理のすべてを把握しているアンディを「塀の外」に出すわけにはいかないからだ。そして,一つの事件が起き,アンディのかすかな希望の火は無惨にもかき消されてしまう。しかし・・・という物語である。
まず,ストーリーが完璧だ。そして,ストーリーの展開にも一切小細工がない。要するに,時間軸をゴチャゴチャにするとか,事実をジグソーパズルのように小出しに示すような「あざとさ」に逃げることは一切ない。時間の流れに従って素直に物語が流れていくだけだ。しかも,あの感動的な結末が導き出せる手がかりはすべて,映像や会話で示されているのである。まさに愚直なまでに正攻法である。それなのに,最後の10分くらいで明かされる真相には誰しも驚き,そして感動するはずだ。なるほど,あのシーンのあの言葉はそういう意味だったのかと,ジグゾーパズルの全てのピースが完璧に収まるのだ。これぞ,映画の最高の悦楽だろう。
そして,登場人物たちのなんと魅力的なこと。アンディ役のティム・ロビンスは一見ひ弱なエリートのように見えながら,どんなに絶望的な状況にあっても絶対に譲れない一線は守る不屈の男を演じている。刑務所の中での彼は常に喜怒哀楽を押し殺した表情だが,それだけにあの雨の脱獄シーンの咆哮,そしてラストの笑顔が感動的だ。ティム・ロビンスってこんなに素晴らしい俳優だったんだ。
獄中の便利屋,レッドを演じるモーガン・フリーマンもいつもながら素晴らしい。人情味に厚く,義理堅く,そして常に機知に富んでいる。そして,獄中の便利屋として確固たる地位を占めているが,それは「塀の中」だけにしか通用しないものであることも知り尽くしている。つまり,賢い男,賢者である。だからこそ,彼が「仮出所後の唯一の犯罪」を犯すシーンには拍手喝采だ。
それと対照的に,刑務所の図書係をしていた老人が50年ぶりに仮出所を認められ,社会に適応できずに死を選ぶシーンはあまりにも悲しく痛ましい。彼は「塀の中」では賢者として尊敬され,それに相応しい扱いを受けていた。だがそれは「刑務所の壁」に守られていたからこその尊敬だったのだ。だからこそ彼は仮出所の申請が受理されて困惑し,混乱する。その様子をレッドは「刑務所の壁は最初憎しみの対象だが,やがてそれを受け入れ,ついに,それに守られていると感じるようになる」と仲間の囚人たちに説明している。
50年間,刑務所で生活していた彼にとって,社会といえば刑務所の中だけになってしまった。刑務所の中には制限されているとはいえ自由はあるし,少なくとも生活の心配をする必要はない。そして何より,刑務所の中には仲間がいる。だから彼は,仮出所といわれて困り果ててしまう。「壁」の向こうには家族も仲間も一人もいないからだ。釈放され,刑務所の中にしかない「仲間」と切り離された彼はもはや生きていけずに死を選ぶ。「人間はパンのみにて生きるにあらず」という言葉が胸に迫る。
この映画はこれではまだ語り足りない。それほど懐が深い作品だ。だからこそ,この作品が1995年のアカデミー賞を受賞できなかったことが信じられないのだ。この映画を凌駕する作品となると,あまり記憶にないからだ。
1995年のアカデミー賞でこの作品の前に立ちはだかり,受賞を阻んだのはあのトム・ハンクス主演の名作の誉れ高い《フォレスト・ガンプ》だった。だが,両作品を現在見比べてみると,《ショーシャンク》の方がはるかに優れていると思うし,私ならこちらの方を選ぶ。
《フォレスト・ガンプ》ももちろん素晴らしいが,記録映像とトム・ハンクスの映像の重ね合わせ,という発想がすごいだけで,作品としてみると最初から最後までご都合手技の展開が続く甘っちょろいファンタジーにすぎないと思う。それに比べたら,この《ショーシャンク》は人間の尊厳と誇りを高らかに歌いあげた骨太のドラマである。見終わった時の感動の深さは比べるべくもなく,《ショーシャンク》が圧倒している。《フォレスト・ガンプ》は話のネタに一度見たらそれで十分だが,《ショーシャンク》は見終わった直後にまた見返したくなった。そして恐らく二度見ても三度見ても,同じ感動を覚えるだろう。この映画の感動は人間の心の奥深い部分に根ざしたものだからだ。
この映画でなく《フォレスト・ガンプ》を選ぶのがアカデミー賞なのだろう。
そういえば,この映画には女性はほとんど登場しないことに気がつく。台詞のある女性といえば,アンディの妻とスーパーの女性店員くらいのものだと思う。そう,この物語は徹頭徹尾,男の物語なのだ。ここで私は冒険小説の不朽の名作,アリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』と,かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』を想起する。これらの作品には恋愛的要素が入り込む余地がないし,恋愛的要素に逃げることもできなかった。そういう逃げ場のない局面でしか紡ぎ出せない骨太の物語が生み出されていった。そんな潔さが私には心地よい。
(2010/04/27)