《クラッシュ》★★★★(2005年,アメリカ)


 あの《ミリオンダラー・ベイビー》の脚本で一躍注目を浴びたポール・ハギスが脚本・監督を務め,2005年のアカデミー賞作品賞などを獲得したことで有名な作品である。そして,いろいろな映画評論サイトやブログを見るとわかるが,この映画を見た誰もが大絶賛しているのだ。

 そして,実際に見て驚くのは脚本の緻密さと見事さだ。どんな小さな伏線にも説明が付けられ,全ての登場人物のキャラが立っていて,無意味な会話も行動もない。互いに無関係な人間が多数登場し,バラバラの事件がオムニバス風に進んでいくが,終盤,それらが一気に絡み合っていく展開は息をのむほど見事だ。このような構成の映画は他にもあるが,ここまで完璧なのはちょっと類がないと思う。

 そして,泣かせるシーンもある。あの「透明マント」の話と,それを身に纏った少女が父親を守るために銃の前に立ちはだかるシーンだ。ここで,世界の全ての父親が泣いたと思う。そして,この「奇跡」の謎解きもこれまた完璧だ。

 だが,少なくとも私にとっては,感涙大絶賛大感動映画ではないのだ。完璧さと緻密さには感心したが,心の底から揺さぶられ,雄叫びを上げたくなるような感動には結びつかなかったのだ。

 たぶん,私はこのハギスという監督と感性が合わないんだろうと思う。みんなが大絶賛する《ミリオンダラー・ベイビー》のラストが気に入らなかったのと多分同じだろう。もちろん,《ミリオンダラー・ベイビー》や《クラッシュ》に感動する方がまともなんだろうけどね。


 舞台は,様々な人種が暮らし,様々な文化が日々衝突するロサンゼルス。そのクリスマス前の二日間の出来事を描くのがこの映画である。

 発端は一件の追突事故だった。それはロスではごくありふれた日常的出来事に過ぎなかったが,それは次々と起こる“衝突(crush)”の連鎖の始まりであり,次々と人々の運命を狂わせていく。


 登場する人物は次のように多彩だ。黒人刑事のグラハムと恋人で同僚のヒスパニック系のリア。雑貨店を経営するペルシャ人のファハドと,看護師をしている彼の娘。ファハドをイラク人と思いこむ銃砲店の店主。典型的WASPである地方検事のリックとその妻。白人に敵意を抱いている黒人青年二人組。白人至上主義者の警官と,彼の人種差別的言動にうんざりしている同僚の若い警官。テレビディレクターとして成功を収めているインド人夫妻。ここには特定の主人公はいない。皆が主人公であり,そして同時に皆が脇役だ。

 彼らは互いに無関係に見えていたが,次第に彼らがどこかで別の登場人物と関係があることが見えてくる。そして同時に,彼らの人となりが明かされていき,悪人と見えた人間が別の人間には善人として振る舞い,いかにも善人だった人間が別の人間の前では悪人に変化していくことがわかっていく。

 白人至上主義者の警官は自宅に戻れば老いた父親を一人で介護する親思いの男になるし,地方検事の美しい妻は一皮むけば人種差別観を剥き出しにして白人以外の人種を口汚くののしっている。家族思いの銃砲店の店主は鍵の修理屋を逆恨みして銃を握りしめるし,窃盗を重ねる黒人青年は母親にとっては優しい子供だ。車にはねられて大怪我をする中国人も裏ではとんでもない仕事をしている。

 神でも悪魔でもないのが人間だ,神にも悪魔にもなれるのが人間だ,神か悪魔になってしまうのも人間だ・・・と,この映画は訴えかけてくる。不完全なものとしての等身大の人間たちがここに描かれている。神を悪魔に変えるのは他の人の悪意と誤解だが,他者の善意と慰撫が悪魔を神に変身させる。


 それにしても,アメリカは世界に類を見ない銃社会であることを改めて思い知らされる。誰でも簡単に銃が買え,自分の身を守るために銃を手に入れる。そして,その銃で誰もが簡単に殺人者に変身してしまう。家族や財産を守るための威嚇が,いとも簡単に殺人行為に転化してしまう。もしかしたら,紛争地域を除いて,これほど多くの銃がゆき渡っている国は他にないのではないだろうか。市民の誰もが銃を持てる社会,誰が銃を持っていても不思議でない社会とは,やはりどう考えても異常である。

 アメリカという国家の理念は「自由」だ。もちろん,アメリカ建国時の「自由」は「国に宗教を押しつけられない自由」,「好きな宗教を信じる自由」という宗教における自由であったらしいが,それがいつの間にか,「武装する自由」「銃を所持する自由」に変化していったらしい。こういう奇妙キテレツな「自由」を「絶対に守るべき自由」だと考えているとしたら,やはりかなり異常な国だと思う。この映画の青年のように,ポケットの中からお守りを取り出そうとして警官に撃ち殺されるのが珍しくない国は,「2010年の世界の常識」から見ると明らかに異常な国だ。


 この映画が正面から取り上げている人種差別の問題は,人間が高速な移動手段を手に入れ,国境を越えて移動できるようになれば必ず起こるものだろう。その意味では,この映画は人類普遍の問題を扱っているといえるし,人種によって他人を差別することの醜悪さと愚かしさを,これでもか,これでもかと抉り出していく。その姿勢は素晴らしいと思う。そして同時に,いろいろな人種,複数の文化(価値観)が共存していくことの難しさを改めて思い知らされる。

 ただ,これらの問題は古くから繰り返し取り上げられてきたものだ。その意味で,この映画にしかない視点があるわけではないし,独自の解決法を提案しているわけでもない。だから,丁寧に作られた良心作ではあっても,衝撃作ではない。
 感動的なシーンは2カ所あり,どちらも深く心に残るものだが,あくまでも一つのエピソードでしかないため,映画全体を通して得られる感動になっていないのが惜しい。「感心はするが感動はしない」と感じた理由はここにある。


 この映画はそもそも,どういうことから作り始めたのだろうか。人種差別の問題を告発したくて作ったのだろうか。人と人との関わりの不思議さを描きたかったのだろうか。この映画を見終わって,それがわからなかった。何を伝えたくてこの映画を作ったのかが私にはわからなかった。

 私だったらどうしただろうか。多分,あの「透明マント」のエピソードを中心に据え,それから逆算して映画全体の筋書きを書いたと思う。そうすれば,映画全体を貫く中心軸が明確になったはずだ。

(2010/05/18)

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