新しい創傷治療:レオポルド・ブルームへの手紙

《レオポルド・ブルームへの手紙》★★★★★(2002年,イギリス/アメリカ)


 しっとりした感動を残す,とてもいい映画だ。そして何より,緻密に丁寧に作られている。ジェームズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』を下敷きにした作品ということで,もちろんジョイスの小説を知っていたことに越したことはないが,だからといって無理にジョイスを読む必要はない。知らなくても十分に感動できる作品である。


 映画は二つの別々の物語が同時進行する形で作られていく。一つは刑務所から出所した男の物語,そしてもう一つは生まれながらにして母親に疎まれながら育った男の子の物語だ。

 18歳の時に殺人を犯し,15年後に刑期を終えて出所した男スティーブン(ジョセフ・ファインズ)がいる。無口で常に感情を押し殺した表情の彼はヴィック(サム・シェパード)が経営するレストランで働き始めるが,その店に毎朝顔を出すオーナーのホラス(デニス・ホッパー)が傍若無人な振る舞いをし,前科者であるスティーブンに対し,事あるごとに挑発してきた。彼がその店で働いているのには目的があった。刑務所の中で受け取った見も知らぬ少年レオポルド・ブルーム(デイヴィス・スウェット)から受け取った手紙に書かれていた「私は母の罪の烙印である」という文章に,是非彼に会わなければと考えていたのだ。

 メアリー(エリザベス・シュー)は大学教授の夫と一人娘を持つ女性。彼女はもともと,大学で文学の研究者の道を歩んでいたが,結婚を気に研究生活から身を引いている。生活は恵まれていたが,研究者としての階段を登り,研究者仲間に囲まれている夫の姿を見るにつけ,自分は社会から取り残されているのではないかと焦っている。そんな彼女に,隣人の女性が「あなたの旦那さんが学生と一緒にいるところを見たわ」と告げる。そういえば,夜まで仕事をしているし,夜中に変な電話がかかってくることもある。そして彼女は夫が浮気していると確信し,自暴自棄になって,娘の部屋の壁の塗り替えに出入りしている塗装工のライアン(ジャスティン・チェンバース)と勢いで肉体関係を持ち,程なく彼女は妊娠してしまう。夫の子供からライアンの子供か確信はない。

 メアリーは夫を問い詰めるが,実は彼は浮気していなかった。隣人がウソを言っていたのだ。彼女は罪の意識にさいなまれるが,夫はお腹の子供は自分たちの子供と信じている。そんなある日,娘を乗せて運転する夫の車が交通事故に巻き込まれ,二人は即死してしまう。その知らせを聞いたメアリーは気を失い,意識を取り戻した彼女は,お腹の子供が未熟児として生まれたことを知る。彼女は赤ん坊にレオポルドと名付ける。(若い頃に研究したであろう)ジョイスの『ユリシーズ』の登場人物にちなんでのものだった。しかし,彼女に取ってレオポルドは自分に罪の象徴であり,常に自分の罪を糾弾してくる厄介者に過ぎなかった。彼女は酒浸りになり,育児を放棄する。

 それでもレオポルドは成長していく。外で遊ぶことをメアリーから禁止された彼は,家に残された亡き父の蔵書を読み耽り,次第に才能を開花させていく。そして彼は,学校の授業の「誰かに手紙を書いてみよう」という課題に対し,刑務所の囚人に手紙を書くことにする。それは「僕の人生は生まれる前に始まった。僕は母さんの罪の烙印だった」という文章から始まるものだった。

 そんなある日,スティーブンが働くレストランでオーナーのホラスがウェイトレスに暴力を働くという事件が起きる。ホラスに近寄ったスティーブンは「私は以前にも,女を力でレイプしようとする男を殺したことがある」と耳元で打ち明け・・・という映画だ。


 さて,この映画が下敷きにしているのはジョイスの長編『ユリシーズ Ulysses』である。そしてもちろん,ユリシーズといえば,古代ギリシャのホメロスの叙事詩『オデュッセイア Odysseus』の主人公(ユリシーズはオデュッセウスの英語読み)であり,ホメロスの一種のパロディーとしてジョイスは『ユリシーズ』を書いたわけだ。

 『オデュッセイア』は子供の頃にダイジェスト版(確か,小学館の「少年少女世界の名作文学」シリーズだった)で読んだ。オデュッセウスはトロイア戦争で活躍した英雄だったが,帰国のために乗った船が難破したり,怪物に襲われるなどさまざまな困難に見まわれ,それでも10年かかって帰国する。しかし,その10年間,王妃のペネロペはさまざまな男たちに言い寄られていた。それを知ったオデュッセウスは男たちに復讐する,という物語だ。以前紹介した《オー! ブラザー》という映画はまさにこの『オデュッセイア』を換骨奪胎し,舞台を現代に移して作り上げられた作品だった。


 一方のジョイスの『ユリシーズ』だが,主人公のレオポルド・ブルームはアイルランドのダブリンに住む広告業に従事する中年男であり,彼の1904年6月16日の朝8時から,深夜2時(=17日午前2時)までの一日を描いた作品である。一言で言えば,「レオポルドは朝,家を出て,夜遅く帰宅しました」という小説である。オデュッセウスの10年間を1日に縮めたという構図である。これだけなのに,途中でレオポルドの脳裏に浮かぶさまざまなことや意識の流れを事細かに,細大漏らさず書き連ねることで,700ページを優に越す長編小説が生まれたのだ。

 私も何度か挑戦してみたが,最初の早い部分で挫折した。ワケが分からなかったからだ。とにかく日本語訳が日本語になっていない。なぜかというと,ジョイスの原文自体が英語として超難解なためらしい。古い英語の言い回しや警句はもとより,ラテン語などが頻繁に挟まれ,それをもとにした造語も登場し,ギリシャやローマの神話やシェイクスピアなどの古典が引用されているらしい。要するに,普通の意味で「読める小説」ではないのである。

 で,仕方ないのでネットで『ユリシーズ』について調べてみてまとめると次のようになる。主な登場人物は3人,レオポルド・ブルームとその妻のモリー,若い歴史教師のスティーブンだ。レオポルドはモリーとの間にできた子供が生まれてすぐに亡くなったという過去があり,若いスティーブンをわが子のように可愛がっている。一方,レオポルドとモリーの間はしっくりいっていなくて,いわゆるセックスレス夫婦らしい。そういう中年男の一日の意識の流れを克明に描いたのがこの小説らしい。言うまでもなく,10年間放浪を余儀なくされるオデュッセウスがレオポルド,王妃ペネロペがモリー,オデュッセウスの息子テレマコスがスティーブン,というアナロジーになっているわけだ。


 というところで,映画に戻ろう。実は,少年レオポルドは後のスティーブンだ。これはいわゆる「ネタバレ」になってしまうため,書こうかどうか迷ったが,恐らくこの映画を見た人はすぐに分かるはずだ。映画タイトル(邦題)そのものがネタバレになっているからだ。

 この映画の邦題は《レオポルド・ブルームへの手紙》であり《レオポルド・ブルームからの手紙》ではない(ちなみに原題はLeoである)。つまり,手紙の受け取り手がレオポルドだ。しかし,映画の早い部分で,手紙を書いたのがレオポルドであり,受け取った囚人がスティーブンだと説明されている。ここで私は混乱した。手紙を書いたのがレオポルド? 手紙を受け取るのがレオポルド?

 しかし,すぐに疑問は氷解した。二人は一人なのだ。「僕の人生は生まれる前に始まった。僕は母さんの罪の烙印だった」で始まる手紙を書いたのはレオポルドであり,それを受け取るのは未来のレオポルドなのだ。だからこそ,ラストシーンでミシシッピ川のほとりにある木に根元でスティーブンがレオポルドに,「君のことは私が一番よく知っている。君は大丈夫だ。絶望することはない。君には未来がある」と語りかけるわけだ。そして,15年の刑期を終えて出所した33歳のレオポルドは過去の軛(くびき)を絶ち切って,未来に向けて歩みだすのだ。ラストで野原で本に囲まれて穏やかに微笑するレオポルドの笑顔が本当に印象的だ。


 ただ,個人的には母親のメアリーの心情が最後まで理解しにくかった。息子の裁判のあの頑なな態度はないだろうと思うのだ。この殺人事件はあくまでも,母親を守ろうとして子どもが情人に殴りかかり,偶然の結果として殺人になったものだ。まして,裁判の場でレオポルドが誰の子供かが明かされているのだ。彼女が一言,「ライアンは刃物で私を殺すと脅した」と正直に証言するだけでレオポルドは救われたはずだ。何より,自分を守ってくれたのは長年放ったらかしにしておいた息子なのだ。それに対し,あの仕打ちはないだろうと思う。なぜ彼女はそこまで意固地になるのだろうか。刑務所の中で面会に行った彼女は息子の言葉に泣き,彼にすがろうとするが,今頃になって反省されても見ている方も困るのだ。

 「ライアンの子供」と信じていたからこそ,レオポルドが文学(=もちろん亡き夫の専門分野だ)に目覚めるのを疎ましく思うのもわかるし,レオポルドの文学の才能に気づいた教師が留学を持ちかけてきたのにけんもほろろに追い返すのも理解できる。あるいは,自分が結婚で諦めた文学の道に,「無学な塗装工」の息子が進むことを拒否したかっただけかもしれない。


 そんな彼女の姿と対照的なのがレストランの経営者ヴィックだ。レストランのウェイトレスをレイプしようとするホラスをスティーブンは追い返すが,もちろん,コケにされたホラスが黙って引き下がるわけはない。翌日,銃を持ってスティーブンの部屋に乗り込んできて,彼に暴力を振るう。弱い相手には徹底的に強く出,強い相手には尻尾を巻く嫌な男をデニス・ホッパーが見事に演じている。そんなスティーブンの窮地をバットを持ったヴィックが救う。しかし,ホラスはレストランのオーナー様である。それをしたら自分も窮地に追いつめられる。しかし,ヴィックはスティーブンを守る。そして,降りしきる雨の中,スティーブンが行くべき方向,ミシシッピ川を指し示す。その男気に胸が熱くなる。この時,ヴィックは英雄オデュッセウス(=レオポルド)そのものであり,映画の中のレオポルドは「ユリシーズ」のスティーブンに役割を変える。そして「ユリシーズ」,「オデュッセイア」の物語が完成する。


 もしも時間があったら,この映画を見て欲しい。これは語られるべき映画であり、語るべき映画である。

(2010/05/27)

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