低予算映画,というのがありますが,これには二種類あります。「攻めの低予算映画」と「諦めの低予算映画」です。残念ながらこの映画は後者です。だから,80分ほどの短い映画なのに,その80分が異様に長かったです。低予算ほど作り手側の想像力と才能がモノを言うんですが,この映画の監督にはそのどちらも欠けているようです。
舞台はどっかの森の中で,一人の男(ルー・ダイヤモンド・フィリップス)が目を覚まします。なんと片足宙吊り状態です。何とか暴れているうちにロープが切れて地面に降りられますが,頭にケガをしていて,しかも自分の名前もここはどこかもわからないという記憶喪失状態です。腰には血だらけのナイフがあり,それには“トム・マーティン”という名前が掘られ,ポケットの財布には免許証があり,そこには“フランク・ヒル”という名前があり,いよいよ混乱します。そして,女性の顔を何故か思い出します。
そこに,男アンディ(クリステン・ホールデンレイト)がやってきて,凄まじい剣幕で「あれをどこに隠した。早く教えろ!」と銃を突きつけます。なぜアンディが怒り狂っているのかも,「あれ」が何かもわからないフランクは,何とかして自分が記憶喪失であることを説明し,何とか記憶を取り戻そうとアンディに二人の関係を聞き出そうとしますが,なぜかアンディはフランクを警戒し,詳しく話してくれません。アンディは「あのロッジに案内しろ」と命令しますが,もちろんフランクはその場所を知らないし,アンディも場所をうろ覚えのため,二人で森の中を歩きまわります。途中でフランクはアンディの隙を見て逃げ出そうとしますが,そこで森林警備員のトム・マーティンの死体を見つけます。するとアンディは「お前がトムのナイフで殺したんだ」と言いますが,もちろんフランクには記憶がありません。
やがてフランクは,脳裏に浮かぶ女性がアンディの妻ナターシャらしいことを知ります。フランクの記憶では彼とナターシャは愛し合っていますが,アンディによるとフランクは妻につきまとうストーカーで,妻を連れ出してどこかに監禁していることになっています。やがてロッジに到着しますが,そこは血の海で死体が転がっています。そしてフランクの記憶が蘇り,恐るべき真相が・・・という映画です。
登場人物が二人しかいなくて,しかもそのうちの一人が記憶喪失というのは,「なんでもあり」というか作り手側が好き勝手できる設定です。つまり,記憶喪失でない方の一人が嘘を言っているか本当を言っているかの二つしか選択肢はないので,最後の最後に「真相はこうだったんだよ」って謎解きをすればいいだけなんですよ。要するに,最後まで二人のうちのどちらが犯人か,どっちにもとれるような「伏線的画像とセリフ」を適当に入れておいて,ラスト1分で「実は犯人はお前だ」とすればいいんですから楽なもんです。
この映画の場合も同じで,殺人犯はアンディかフランクのどちらかしかいません。もちろん真相を知っているのはアンディですから,観客側はアンディのちょっとした所作とかセリフを手がかりに真相を推理しながら見ることになるんですが,そういう意味での「推理に役に立つ伏線」が全くないんですよ・・・この映画には。オイオイ,それはないだろうと思っちゃいますね。
「フランクが覚えているナターシャとの記憶映像」はくり返し流れますが,何度も繰り返されるため,見ている方も「これってもしかしたら,フランクの記憶ってバイアスがかかっているのかも」と気がついてしまうだけの効果しかありません。このあたりの作り方は下手というか,もうちょっと工夫しろよと言いたくなります。少なくとも,もうちょっとサービス精神があってもよかったと思いますね。
この映画は「記憶喪失の男がすこしずつ記憶を取り戻していって,真相に近づいていく」というよくあるものですが,何しろ「取り戻した記憶は本当に正確なのか?」ということに何の保証もないんですね。だから「何でもあり」になってしまいますが,これは作り手側にとっては諸刃の刃です。「何でもできる」ことに寄りかかってしまうほど,説得力が失われるからです。
この映画はまさにそういう「悪い見本」です。このあたりがわかっている監督なら,取り戻した記憶が正しいかどうかをいろいろな状況証拠で提示していき,最後に「真相はこれしかない」というところに持っていくのですが,この映画の監督はそういう配慮を一切していません。だからこの映画は駄目なのです。
悲しいことに,この映画についてはこれしか書くことが見つかりません。そんな映画でございました。
(2010/06/01)