新しい創傷治療:いずれ絶望という名の闇

《いずれ絶望という名の闇 “Diamant 13”★★★(2007年,フランス/ベルギー/ルクセンブルグ)


 最高に格好いいタイトルの映画である。タイトルをみるとあの傑作フランス映画,《あるいは裏切りという名の犬》を思い出してしまうが,この作品の二人の警部のうちの一人,鼻尖部に派手な傷跡のあるジェラール・ドパルデューを主役に据えた警察映画がこの作品だ。ちなみに,《裏切り》の監督がこの《絶望》の脚本を書いている。

 しかし,《あるいは裏切りという名の犬》のような緻密な傑作かと思うと,その予想は裏切られる。かと言って凡作と切って捨てるのもちょっと惜しい,という微妙な感じなのだ。
 「警察上部と政治家の腐敗,そしてそれを追う孤高の刑事の物語」といえば単純なのだが,全体に説明不足の部分が多すぎ,何が起きているのかが十分理解できないまま,ストーリーだけがどんどん進んでいくような感じなのだ。恐らく,何の予備知識もなしに見始めると,何が何だかわからないと言うことになりかねないはずだ。

 基本的には悪くないストーリーなので,もうちょっと普通の映画のように作って欲しかった気がする。こういう映画にケレン味はいらないからだ。王道・真っ向勝負でいい映画になるのだから下手な小細工はしない方がいい。


 マット(ジェラール・ドパルデュー)は有能な刑事だが,ある事件で強引な手段に出たことから告訴され,夜勤に配属されてしまう。彼はある日,古くからの友人であり麻薬捜査官フランク(オリヴィエ・マルシャル)から呼び出され,「税金のかからない金儲けの話がある」と持ちかけられる。マットはそれを断るが,実はフランクは癌の末期で余命数ヶ月であった。

 一方,かつてのマットの恋人であり,順調に出世の階段を上がる女性警視カルーン(アーシア・アルジェント)に呼び出されたマットは,フランクが麻薬王のラジと癒着していることを証明するビデオを見せられ,フランクの捜査に協力するように要請されるが,マットはその命令を一蹴する。そしてその数日後,フランクは惨殺死体で発見される。

 マットはフランク殺害犯人を追うが,フランクが持っていたあるリストが彼の死の原因らしいことを知る。そこには市の有力者,大物たちの名前とともに,彼らの悪行が記されていた。その秘密を知ってしまったマットの身に危機が迫ってきて・・・という映画である。


 と,このようにストーリーを要約してみたが,果たしてこれで要約になっているかどうか,ちょっと自信がない。確かに「出来事」としては映像で描かれているのだが,言葉などできちんと説明されていないため,「出来事」と「出来事」の間の関連性が非常にわかりにくいのだ。だから見ている方としては,「多分こういう事なんだろうな」と推論しながら前後関係や関連性を想像するしかないのである。

 フランクの死の原因である「有名人弱みリスト」については早い時期からその存在が知らされているが,誰がそのリストに載っているのかが説明されないし,映画終盤まで「このリストが重要アイテム」という扱いがされないため,観客はこのリストの存在自体を忘れてしまっているはずだ。
 ところが終盤いきなり,「このリストがばらされたらヤバい面々」が集う映像が流れるため,「えっ? この映画ってこのリストを巡る争いを描いたものなの?」と面食らってしまうはずだ。何しろその前まで延々と展開するのは,麻薬王ラジとフランクの対決なのだ。恐らく誰だって,こっちの方がこの映画のメインの事件だろうと思ってしまったはずだ。要するに,この映画の軸の一つがわかりにくいというか,終盤にいたって初めて明らかになるのだ。これは明らかにシナリオ作りのミスだろう。


 映画とは縦軸と横軸が必要じゃないかと思う。たとえばこの映画でいえば,マットの男気,刑事としての矜持が映画を貫く縦軸だ。一方,この映画の横軸は「警察上部と政治家たちの癒着と腐敗」だ。そして,その事件を捜査する上で加わる権力側からの脅しにも屈せず,甘い誘いも毅然と拒絶して巨大な悪を暴き出す「男の物語」として完成する。本来,この映画はそういう映画だったはずだし,そう作られるべきなのだ。

 しかし,本作品ではその肝心の横軸が曖昧である。だからこの映画は傑作になりそこなったのだろう。もしも私がこの映画の脚本を書いたら,フランクが捜査の過程で「警察権力の闇+政治家の裏」の逆鱗に触れて殺され,フランクが残したわずかな手がかりをもとにマットが単身で戦いに挑む,という形にしたと思う。そしてその上で,「誰が本当の黒幕なのか」を探る謎解きの要素を加えたと思う。
 もちろん,これは凡庸なストーリーであり,凡庸な役者が演じたら凡庸な映画になってしまうが,ジェラール・ドパルデューが主役を演じるのであれば,スリリングでしかも底知れぬ深みを持つ映画にできるはずだ。そのためのドパルデューであるべきだ。


 この映画の最大の問題は結末である。ここまでエピソードを積み重ね,膨らませるだけ膨らませておいて,この結末はないだろうと思う。「政治家とつるんで甘い汁を吸っている警察上部は誰なのか?」がラストに明らかにされるのだが,はっきり言って,見ている方にとってはそんなのはどうだっていい問題なのである。だって,それまでこの問題はほとんど映画の中で重要な位置を占めていなかったからだ。

 でもって,明かされる「黒幕中の黒幕」の正体は,余りに順当すぎて拍子抜けしてしまう。もちろん,こいつはちょっと胡散臭いよね,こいつが怪しいんじゃないかということは,観客は早い時期に気がついているはずだ。ただ,こいつが真犯人だとすると余りに捻りがなさ過ぎ,まとも過ぎるため,多くの観客は最初にこの可能性は否定するはずだ。そういう「真相」では詰まらないからだ。
 ところがこの映画は,その「みんなが怪しいと思っているけど,それじゃまとも過ぎるのでその可能性を否定した人物」を黒幕だと明かすのだ。正直言って,この真相はないと思う。それまでの緻密な展開が台無しじゃないかと思う。

 あと,魅力的な登場人物が多数登場する割には,その多くは「使い捨て」状態であるのも気になった。特に,あの黒人少女と「闇の修理屋」ジャンゴの死は余りに無惨で救いようがない。脚本家が彼らの死を必然的とストーリーを練り上げたのかもしれないが,この映画を見た人でこの二人の死に納得できる人はどれだけいるのだろうか。


 私は基本的にフランス映画には評価が甘い。フランス映画の雰囲気が大好きだからだ。鼻に大きな傷跡のある冴えないくたびれた中年男が,男の矜持を失わずに権力に刃向かっていく姿は最高に格好いい。ハリウッド映画には絶対に登場しないタイプの男の姿に喝采をおくりたくなる。

 だが,この映画は余りに説明不足の部分が多すぎる。そして,全体と細部のバランスも悪い。いかにフランス映画好きとは言え,ここまで「観客丸投げ」では辛いものがある。判りやすくし過ぎる必要はないが,判らないままに放り出されるのは困るのだ。
 「フランス映画は難解なのが当たり前」かもしれないが,警察官が警察組織の闇を暴くサスペンス映画には「難解さ」は不要だと思う。

(2010/07/06)

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